アメリカのスター崇拝

 かつてアメリカのピアニストをダメにしたのはホロヴィッツの存在といわれた時期があった。これはまだホロヴィッツが存命中の話である。現在只今はどうだかわからないが、まあ多少はもう影響力は薄まったことだろう。
 
 ホロヴィッツが生きているころの彼の存在といったら、それはもう尋常なものではなかったし、とりわけアメリカでは神にも匹敵する存在だったような印象がある。19世紀のヴィルトゥオーゾがそのまま現代に姿をあらわしたがごとく、神秘のベールに包まれたホロヴィッツの動静はたえず人々の関心であったように思い出す。
 アメリカで生まれ育ったあらゆるピアニスト、さらには学生やピアノ学習者までもが、このカリスマの存在とその魔性の演奏から、何らかの影響を受けなかった者はいないとまで言われていた。
 人々は、ホロヴィッツの演奏を通じて、ホロヴィッツ自身はもとより、その背後にうっすらと透けて見えるラフマニノフやアントン・ルビンステイン、ハデレフスキー、ホフマンなどのあの黄金時代の空気を生々しく嗅ぐことまで同時にできたのだろうと思う。ホロヴィッツはそんなカリスマによる歴史的な時代そのものを、自らの強い存在感と魔性によって、20世紀の終わりまでそれを体現することのできた唯一人だったに違いない。
 そんなスーパースターどころではない魔力の影響から完全に遮断されるなんてことが、当時のアメリカのピアノ界でできただろうか。生きたホロヴィッツがいる、それだけでアメリカのピアノ界は世界に向かって燦然たる輝きを放っていた。こんな人は現在は一人もいないのはいうまでもない。
 
 そして、もうひとりのスーパースターがヴァン・クライバーンであろう。いまある本を読みながら、つくづくと感じるところがあるのである。その本自体は20年以上前に書かれたものだから多少現在とは内容が異なる部分もあるとは思うが、当時のクライバーンコンクールを中心にした入賞者の悲喜劇が綴られた本で、冷戦構造の緊張の中、モスクワの地で開催された第1回チャイコフスキーコンクールにおいて、まったく無名であったアメリカの田舎出身のヴァン・クライバーンという純朴な青年が優勝の栄冠を勝ち取ることになる。微妙な米ソの政治バランスまで絡む中に誕生したピアノのヒーローは、いらいシナトラかプレスリーのようなスーパースターとして祭り上げられ、アメリカはその後数十年間にわたって、クライバーンの劇的ドラマからも計り知れない影響を受けたという確信を持つに至った。
 
 クライバーンコンクールが世界の名だたるコンクールの中でも際立ってアメリカ的ゴージャスの異彩を放っていることは、ご存じの方も多いだろう。
 国際ピアノコンクールとしての純然たるレヴェルも今やトップクラスのものとなっているが、1962年に始まったこのコンクールは、開催地をあえてニューヨークにせず、テキサス州ダラスのすぐ側に位置するフォートワースという牛の町で開催されることになる。ここで開催されるようになった理由は、コンクールの運営をアメリカの富裕層からの資金提供で賄うため、意図的にそういう層の多いダラスやフォートワースとなったらしい。
 時代も良かったものと思われるが、この地にはアメリカの石油産業、航空産業、そしてなにより畜産業が集中しているために非常に経済的にも豊かな地域とされているらしい。強力なリーダーシップのある有志の呼びかけに、地元の多くの財界人が呼応するかたちでクライバーンコンクールはスタートを切る。
 
 ホロヴィッツという神が君臨しているとしても、やはり彼は出自が亡命ロシア人であり、アメリカのコンクールの大看板としては、ピアノのアメリカンドリームとでもいうべきアメリカ生まれのアメリカ育ちの純朴な青年であることのほうが望ましく、だからこそこういうコンクールが立ち上がったのはいうまでもないだろう。
 このピアノの一大スター、ヴァン・クライバーンの名の元に、ピアノの国際コンクールがいわゆる地元あげての大イベントになった。一説によるとクライバーンがチャイコフスキーコンクールに優勝してアメリカへ凱旋帰国してほどなくして、やはくもこのコンクールの構想があったというから驚くが、このときのアメリカ人の熱狂のほどが伺える。
 
 運営の鍵を握ったのは、地元の大富豪などで組織された財団であり、当時から破格な賞金や参加者への歓待ぶりなどは、世界の他のコンクールの追随を寄せ付けぬ圧倒的なものがあったようである。すべての面で豊かで明快なアメリカを地で行ったコンクールだといえよう。
 フォートワース市をあげてのイベントとなったクライバーンコンクールは、それまでクラシック音楽など聴いたこともない人達までを巻き込んでのお祭り騒ぎとなっていくのに大した時間はかからなかったという。開催期間中連日連夜にわたって開かれるレセプション、パーティ、関連イヴェントなどは際限もなく続くのだそうで、審査員などはもちろんお付き合いをこなすだけでもヘトヘトらしいし、ときにはコンテスタントでさえも例外ではないようだ。
 ところが、それだけのお祭り騒ぎにしては、肝心のコンクール会場はとくに前半などはホールに空席が目立ったりするらしく、ショパンやチャイコフスキーのように連日大入満員というわけでもないようである。要するに地元で開かれる世界的コンクールというイベント性ばかりが一人歩きして、クラシック音楽に対する真の意味での関心や理解はやや追いついていないのかもしれない。
 
 以前、なにかの雑誌に中村紘子女史が書いていたけれども、このコンクールは要するにピアノなどに興味のない地元の富裕層にとってのお祭りイベントという側面が強いのだそうで、コンクールの運営に携わる幹部クラスの女性が、当時の審査員の一人だった世界的ピアニストのワイセンベルクが通りかかるのをみて「あの人だれ?」と傍にいる人に向かって聞いたそうだ。「ワイセンベルクよ!」と答えると、その女性は「何をする人?」と言ったのだとか。
 
 ともかく万事がこんな調子らしいけれども、それでも地元の熱心な支えによってこのコンクールはともかく大きく成長したことは間違いない。そのエネルギーの源は「地元からスーパースターを生み出したい」という無邪気な思いと、入賞者へ与えられる賞のアメリカ式物量にも追うところが大きいのではないだろうか。
 優勝者への賞金もさることながら、それどころではないのがその副賞で、2年間にわたるアメリカ国内およびヨーロッパを始めとする海外へのコンサート出演がまさにそれで、いかにもアメリカ人の好みそうな輝ける成功物語の幕開けといったところであろう。
 
 そのコンサートというのが数量においてハンパなものではなく、昨日までただの音楽学生だった若者が、一夜にして演奏のために東奔西走する生活に突入、向こう2年間これを送らなければならなくなるのである。
 それまで経験したことのないような過密スケジュールの真っ只中にいきなり投げ込まれ、ホテルからホテルを渡り歩く根無し草のような生活を強いられることで、練習する時間もなく、中には精神的にもボロボロに消耗してしまうピアニストが何人もいたということだから、これはいかに豪快なアメリカといえどもちょっとやり過ぎではないだろうか。
 この本によると2年間で実に300回という途方もないステージが与えられ、うち50回がオーケストラとの共演というから尋常なものではない。
 気前が良いといえば違いないが、そこには本物のピアニストを育むという面での深さや地道さがなく、何事も派手な大スターを好むアメリカ人の単純思考が裏目に出た結果ではないだろうか。
 
 これは世界的な売れっ子ピアニストが自然にそれだけの数をこなせるよう、精神面、経験面、レパートリーの面で、それに耐えうるだけのスタミナを着実に身につけた上でならいざ知らず、ひと月前まで学生だったような若者にいきなりこういう生活を強いるのはいくらなんでも行き過ぎだと言うべきである。
 もっと言うなら、充分に経験を積んだ人気ピアニストでも、これだけの回数を消化するとなると当然演奏の質は落ちるはずで、本当に心ある芸術家は自分の演奏クオリティを維持するために活動量を厳しくセーブしている。ましてや若い修行中のピアニストなのだから、その芽は大切に育てていくべきであるが、そのあたりはコンクールの運営サイドにはなかなか理解されないのだろう。
 
 そういう意味で、これはあまりに仕組まれたピアノのアメリカンドリームが空回りしていると言わざるを得ない。コンクールが若い優勝者へ、ピアニストとしてのチャンスをつくってやって世界への扉を開くというのももちろんウソではないだろうが、それにしてもここまで極端なことをする必要がどこにあるのか…以前はわからなかったけれども、この本を読んでいると、べつに書いてあるわけではないが、しだいにその真相が見えてきたような気がした。
 
 それは「あの夢をもう一度」、クライバーンのような歴史的なスターを、こんどはアメリカのコンクールから世界へ送り出したいという財団やアメリカ人の願望ではないだろうかということ。
 かつてのヴァン・クライバーンはチャイコフスキーコンクールの優勝によって時のアイゼンハワー大統領は狂喜し、帰国後は宇宙飛行士並みのパレードがおこなわれ、この優勝によってクライバーンの生活は文字通り一変し、人々が熱狂するロック歌手並みのスーパースターへと祭り上げられたわけであるが、アメリカ人はこの手のことがとにかく好きなのであろう。
 若い才能あるピアニストを育てるという、真っ当な芸術文化への貢献というよりは、自分達も熱狂できる「あの夢をもう一度」の精神がこのコンクールを動かしているような気がしてならない。
 
 その結果、優勝を勝ち得たその途端、待っているのは怒濤のような過密スケジュール、以前では考えられなれなかった有名オーケストラとの相次ぐ共演、メディアからの取材等々、これはアメリカ人が大好きな成功物語の筋書きそのものではないか。ピアノじゃないが、こんなスター誕生のくだりは何度か映画で見たような覚えがある。
 コンクールの優勝者をよってたかってスーパースターに作りあげようという、ある意味、ショービジネスに手慣れたアメリカ人特有の気質そのものみたいな方法論があるようで、金と力による物量もってすればそれが可能だと思っているような奢りを感じるのはマロニエ君だけだろうか。
 クライバーンやホロヴィッツが勝ち得た人気には当人達のピアノを弾く能力もさることながら、彼らが持っている資質やカリスマ性、背後にある社会のドラマなどが偶然に絡み合った末に出来上がったものであって、こういうことは仕組ん祭り上げたからといって出来ることではない気がするのだが。
 とりわけピアニストは受ける評価も厳しく、クラシック音楽そのものがいわゆるショービジネスとはやや趣の異なる面があるために、社会のほうでもそう簡単に大スターとして遇してくれることはなかなか難しいだろう。
 
 これが見事に裏目に出たものか、クライバーンコンクールからは逆にこれというピアニストが出ないと陰口をたたかれる時期がずいぶん長いこと続いてしまったようだが、それはピアニスト本来の意志とは無関係に仕組まれたスケジュールを消化することだけで精一杯という、本質を置き去りした結果ではないだろうか。
 こういう実績の伴わない必然性のない苛酷で分不相応なスケージュールは、却って若い才能を枯らしてしまうことになりかねないし、だいいち当のクライバーン本人もチャイコフスキー優勝後はあまりのスーパースターぶりに自分の才能も精神もすり切れさせてしまって、ながらく悲痛な時期を過ごした。本来のピアニストとしての実のある活動が、すっかり出来なくなって、長いこと隠遁同然の生活に転落してしまったことは有名である。
 
 それでもなんでも、アメリカという国はスターを製造しては騒ぐのが根っから好きで、これは音楽がどうとか個人がどうという価値を超えた、ほとんどあの国の人達の体質なのだと思われる。
 自然に子供を授かるのと同じように、スーパースターの出現も過度に人工の手を加えたりせず、ある程度自然の成り行きに任せた方がいいような気がするが、彼らの頑なな思い込みには通じないことかもしれない。きっとショービジネス界の裏側にも通じた彼らは、何度失敗しても、それ自体に魅力があって懲りないのだろう。
 
 ヒーロー崇拝がアメリカの特徴というのはわかるが、音楽芸術の面にまで、あまりに表面的なヒーローを求めすぎるのは、かえって稀有な才能を潰してしまうことにもなりかねないだろうし、近ごろではそんな風潮がアメリカ以外にも広がりつつあるのを感じて、暗澹たる気分になる。
 最近話題のランラン、ユジャ・ワン、ブニティアシヴィリなどはアメリカではないけれども、見ていて首を傾げるばかりで、どうみても現在の地位が彼の実力に応じたものとは思えない。というか、彼らはピアノの、つまり指のアスリートではないか。その運動能力の優れた者の中から、スター性・話題性を備えた者が目をつけられ、商業主義の強力な後押しを得ているという気配が背後に見えて仕方がない。
 
 クライバーンコンクールでは、一昨年の同コンクールで優勝を果たした辻井伸行氏が、このアメリカのコンクールの副賞義務をどうこなしたのかはマロニエ君は知る由もないけれど、たしかに昨年の末頃にテレビで観たリサイタルの様子では、多少荒れ気味な印象だったのが気になったことを思い出さずにはいられない。

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