フレディ・ケンプピアノリサイタル

 若手ピアニストのホープの一人であるフレディ・ケンプのリサイタルに出かけてみた。が、マロニエ君には少々納得しかねる演奏会だった。
 曲目は前半がJ.Sバッハのパルティータの第6番、後半がシューベルト=リストの魔王とアヴェマリアのトランスクリプション、最後がさすらい人幻想曲。

 バッハはいかにも若い彼らしい溌剌としたもので、それなりの爽快感は楽しめたが、できればもう少し構築性や精神的な厚みのようなものが出てくれば良いと思う。バッハと言えば、全ての作品の根底にキリスト教の宗教的色合いがあるというのが一般的だと私は思っているが、この日のバッハにはそういう音楽的ルーツや宿命感の類いを感じさせない、どちらかというとあっけらかんとしたものが主体だったように思う。それにしてもバッハのパルティータ1曲だけで前半は終わりというのも、なんだか少しあっさりし過ぎていると思うのは私だけだろうか?

 後半は大小三曲すべてに共通した印象だが、あまりにもピアニスティックな面を強調し過ぎるために作品の輪郭が崩れ、各フレーズの対比や陰影、ポリフォニックな要素などがほとんど表現されない。並外れた強靭な技巧はたしかにあるのだろうが、なぜそれほどまでに荒っぽく猛烈なスピードで曲を強引に押し進めたいのかが全く分からないし、だから当然の如くところどころで破たんが起こる。まるで「スピードを出し過ぎてあちこちで接触事故を起こして走り回るドライバー」といった印象だった。どれも良く知る作品なのに曲の印象がまるで残らない演奏だったとしか私には思えない。ピアニストが使ったであろう猛烈な運動エネルギーにもかかわらず、会場はさほど盛り上がらなかった。
 これを若さ故と結論付けるのは容易いが、私は芸術家における若さとは本来もっと違う意味合いを持つことのような気がする。

 ただし、CDなどでは好評を得ているものもあるらしいし、個人的にはこのコンサート1回をもって彼の評価を決定する気はないので、ともかく今後に期待したいピアニストである。

 それから、この日のピアノは日本の大手のピアノが使われたが、こちらにもいささか失望した。
 まず、コンサートグランドのあの大きな図体は何のため?と言いたくなるほど鳴りが悪い(少なくとも私は悪く感じた)。むろんピアノの音は、演奏者、ホール、座席の位置など様々な要素で容易に変化することは承知しているが、それにしたってもこんなものだろうか? あるいは演奏者の周辺ではそれなりに鳴っているのかもしれないが、少なくともそれが客席(といっても私の席は中央の前から10列目ぐらいだったが)に届かないのである。アンコールの超絶技巧練習曲など、フレディ・ケンプ氏が渾身の力を込めて挑みかかり、ピアノの大屋根が小刻みに揺れるような強烈な連打でさえ、一向に鳴ってこないという点では、まさにのれんに腕押しといった感じだった。もちろん楽器たるもの、力でねじ伏せればいいものではないけれど。

 この日のコンサートはこのメーカーの主催でもあったわけだから、ピアノの準備には万全を期したはずで、調整がおろそかだったとはとても考えにくい。この点は、以前も別のホール(ピアノのソロコンサートとしては定評のあるホール)でやはり同様の印象があったので、これはひょっとするとこのメーカーのピアノの共通した特性なのかもしれない。だとしたらより多くのピアニスト(そして聴衆!)からの信任を得るためにも、この点はピアノファンとして一刻も早い改善を望みたいところである。

 中にはもっとも良く鳴る個体もきっとあるのだろうが、だとしてももっと平均点を上げてほしい。いずれにしろ自国のピアノであるだけに日本人として個人的な心情からしても、もっと上を目指して頑張ってほしい気がした。
 この日のピアニスト、ピアノのいずれも潜在的には大変な能力を持っている世界的レベルの逸物であることは間違いないだろうから、進むべ き道を誤らずに正常な進化を遂げてほしいところである 。

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