弓張美季ピアノリサイタル

 2002年11月4日、2台の黄金時代のスタインウェイを使ったコンサートが神戸の神戸朝日ホールで開かれ、マロニエ君はこのために神戸まで往復してきた。
 主催は日本ピアノサービスで、例の4台の貸し出し用のスタインウェイの中から、1963年のハンブルクと1925年のニューヨーク(CD-135)がステージに上がった。

 ピアニストは弓張美季(YUMIHARI MIKI)さんという神戸出身で、ドイツ、ニューヨーク、そして現在はロシアに留学中の方で、日本ピアノサービスのバン田氏ご推薦の若い才能あふれるピアニストである。
 ちなみにこの弓張さんの独奏による、日本ピアノサービスのピアノを使ったCD(ペトラルカのソネット3曲)も同社から発売されている。

 現在、ピアノリサイタルは星の数ほどあるものの、そのほとんどがホール備え付けの製造後10年以内のあてがいぶちの新しいスタインウェイか、あとはわずかにベーゼンドルファーや日本製のピアノを使ったコンサートがある程度で、このように良き時代のこだわりのピアノをわざわざホールへ持ち込み、ピアノそのものにまで焦点を当てたコンサートというのは皆無に近いだろう。

 コンサートの構成としては、まず前半が63年のハンブルクを使ってハイドンのソナタHob.50、シューマンのアベッグ変奏曲/蝶々、後半はピアノをCD-135に替えてショパンのバラード第1番、リストのベネツィアとナポリ、プロコフィエフのソナタ第3番というものである。
 前半のハンブルクはもちろんなかなか良い音であったが、以前に自分でも触れてみた経験から、このピアノにかなり惚れ込んでいる筆者としては、正直いってもうひとつ不満の残る面もあった。これは、いろいろな要因が考えられるだろうが、そのひとつにこの日のピアニストとの相性の問題があるのかもしれない。ピアノの特性を最大限ひき出すべく、ひとつひとつのタッチに細心の注意を払い、澄んだ美しい音づくりを心掛けてそれを実践するタイプ(比較的男性ピアニストに多い)のピアニストだったらあるいはまた違った結果が出ていたかもしれない。
 弓張さんの場合、このピアノの最良の面と彼女の美点が合致しているとは必ずしもいい難い面もあったように感じた。敢えていうなら、ピアノという概念を超越したところの、自己の音楽表現そのものを最優先させるタイプのピアニストであるように見受けられた。そして、その最右翼がかのリヒテルであろう。

 いうまでもなくピアニストの型というのも実に千差万別であるし一回ごとの演奏も生き物である。だからこそ出来不出来もあれば好みも別れるのであって、そういう不確実性にも聴衆は惹きつけられる。そしてまた楽器であるピアノも、より優れたものであればあるだけ、広義に於いては演奏者を助けつつ、狭義に於いては個別の演奏者の微細な機微や特性までにも赤裸々に反映してしまうものであって、そういう意味では頼もしい反面、恐くもある楽器といえよう。

 ついでにいうと弓張さんのピアノは、華奢な体格とは正反対に音楽の骨格が大きい。いわゆる平均的日本人ピアニストにありがちな端正さや線の細い小ぢんまりしたまとまりの良さといったものではなく、常に曲を大掴みに捕らえ、それぞれの曲が内包するドラマを雄渾なタッチで描き出す。そのため、時に楽曲の要求するものとは食い違った表現になることもあるが、専ら自分の信じるところを貫き、恐れず音楽の核心に全身で飛び込む。したがって人によっては好き嫌いもあろうが、ともかく彼女のピアノは情熱的でいきいきとした生命感あふれる明瞭な言語を持っていて、こういうところは日本人ピアニストには珍しいことであり、私は大いに支持したい。

 そもそもこのCD-135というピアノ、実は近くで聴くと、さほど音の美しい上品なピアノとは言い難い面がある。エンターテイナー的要素が強く、狭い部屋ではその強烈無比な個性がその空間に収まりきれず、どうにも真価が発揮できない。
 ところがどうだろう。ステージで聴くと、その派手めの独特の音色が必ずしもそういうふうには感じられず、ホールという空間と距離のなかにその弾力のある艶やかな響きが充溢するにつれ、なかなか具合のいい堂に入ったものになってきたのに驚かされた。これぞまさにステージ用のピアノ!なのだ。あたかも間近で奇異に感じる舞台化粧が、客席からは適度な距離とライティングを得てちょうど良く見えるようなものであろう。とりわけ後半はじめのショパンとリストは、ホロビッツのあの音と雰囲気を感じさせる刹那があった。

 弓張さんもこのCD-135のほうが相性が良かったのか、演奏もさらに熱っぽいものであったし、ピアノもそれに応えてどこまでもついてくる。バン田氏がこのピアノを「ロデオのような」と表現したのは前にも書いたが、だとするなら、弓張さんはおとなしく調教された名馬より、このような卸し難い荒馬を巧みにあやつるほうがお得意なのだろう。
それがもっとも象徴的だったのが最後のプロコフィエフのソナタ3番であった。このときは演奏開始直前のまさに息詰まるような静寂の中、突如履いていたサンダルを荒々しく脱ぎ捨てて、いきなり素足でこの難曲に体当たりした。その光景は、まるで猛獣を自然に手なづける野生の少女のようであった。

 この日の終演後には、バン田氏にもうひとつの思惑があり、会場のお客さんを舞台上に招き入れて、この2台のピアノを自由に触らせるという粋なはからいだった。多くの人たちが恐る恐る舞台にのぼって、たった今聴き終えたばかりのこれらの名器を、今度は自分の手で触れてみるという思いがけないチャンスが与えられたのである。お約束のネコふんじゃったを弾く子供からリストの超絶技巧練習曲のさわり部分を弾く人まで、お客さんもさまざまで、たちまち2台のピアノのまわりは黒山の人だかりである。もしも私のような臆病者がこれらのピアノの所有者だったら、大切な名器に万一被害でも及びはしないかと気が気ではないだろう。ところがバン田氏ときたら至って平然としておられ、なんとも度量のある方だと思わずにいられない。

 ピアノに限らず良いものはいかに理屈を並べ立てたところで意味はなく、結局のところ自分で触れて体験してみなくてはわからないものだが、そのためにはバン田氏は惜し気もなく貴重な名器を提供してひとりでも多くの人に伝えようとされているようだ。
 弓張さんのピアノも機会があればぜひまた聴いてみたいものだ 。

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