映画「ピアノマニア」-追記

 映画『ピアノマニア』のメインでもあったエマールの「フーガの技法」のCDをあらためて聴いてみました。ほとんど80分弱の録音なので一度通して聴くだけでも結構長いのですが、数日にわたっておそらく10回以上は聴いたと思いますし、現在もしばしば聴いています。ここでは敢えて演奏については語ろうとは思いませんし、それはじゅうぶんに見事なものだったと思います。
 印象的なのはピアノの音で、映画に於いてもエマールはシュテファンにクラビコードやチェンバロなど、バッハの音楽に求められるいろいろな楽器の要素を兼ね備えた音を望むとしきりに云っていましたが、それはなるほど見事に叶えられた音になっていることがわかり、まずその点にびっくりさせられました。ピアニストの要望をこれほど正確に汲み取って、実際の音として表すことのできる技術とはやはり大変なものだと素直に思いました。
 
 ただし、その音は個性的だとは思いますが、特殊で、個人的にはあまり好みではなかったことも事実ですし、またこういう音がバッハに相応しいということになるとしたら、モダンピアノでバッハを弾くと云うことにある種の難しい課題が突きつけられたような気もしないではありません。
 予想したよりも、肉感のない、少し枯れたいぶし銀のような音で、いわゆる極限までコントロールされたピアノの美音の精華に身を浸し、心ゆくまで楽しむといった種類の音ではなかったように思いました。
 
 マロニエ君はどちらかといえば響きのやわらかい、甘く伸びのある色彩的な音色が好きですが、このピアノは色彩感も特定の階調にだけ意図的に限定したような、どちらかというと暗めの音で、全体にストイックで遊びのない音色だったことがまず意外でした。
 古楽器の醸し出すさまざまな要素を求めすぎて、それが却って中途半端に終わってしまっているようにも聞こえましたが、そのわりには演奏がそういうピアノの音色を十全に生かし切っているか?ということになると、マロニエ君はとくにそのようにも思えませんでした。調律師にはたいそううるさく云うわりには、自分は結構自由に弾いている印象すら受けました。全体に、エマールという人のやることがどこかあともう一押しがないような気もしましたが、もしかすると、その一押しのなさが彼の理想として目指している境地なのかもしれません。
 
 いろいろな考え方があるとは思いますが、マロニエ君なら、現代のピアノでバッハを演奏するのであれば、楽器の音色や性格に対してある程度の注意は払うとしても、決して過剰な手を入れ過ぎることはせずに、その楽器のもつ性格に合わせて演奏したほうが、もっと方向の定まった結果が出るようにも思いますし、敢えて古楽器的な風合いを出したいのなら、いっそ思い切って古い楽器──モダンピアノでもかなり年季の入った楽器など──を使うというのも一興だろうと思います。
 それと、個人的にはピアニストがあまりにも技術者の仕事の具体的な領域に踏み込んで、微に入り細にわたって注文を出すのはどうかという気もしなくはありません。
 
 もちろん結果としてこのエマールのCDは出色の一枚であるとは思いますが、ことピアノの音に関していうと、ピアニストが技術者に出すべき希望や注文というものにも、おのずとここまでという一線があるような気がします。なぜなら、ピアニストは楽器調整の専門家ではないわけで、あまりその領域に足を踏み入れすぎると、技術者のほうでも前後左右一貫した本当に納得のできる仕事ができなくなるような、完成度の高い仕事が却ってできにくくなるような危惧を覚えてしまいます。
 その結果、技術者のエネルギーは専らピアニストから出された項目をとにかくクリアし、要望を達成することにばかり注がれて、最終的にどこかバラバラな、首尾一貫しない性格のピアノになってしまう危険を感じてしまうのです。そういう意味では、技術者もある程度以上のことに関しては、最終局面においてはピアニストの意見を黙って却下するぐらいの度量も必要なんじゃないだろうかと思ったりするわけです。
 
 理想は、信頼のできる相性の良い技術者を見つけ出し、自分の好みや要望を懇切丁寧に伝えて、それに対する理解と結果が得られたと感じたら、あとはその技術者の才能とセンスに潔く下駄を預けるべきではないかと思うのです。少なくとも自分がピアニストであったならそうするだろうと思います。どんな分野でも言えることですが、あるところから先は、手を下す技術者の個人世界であり、自由裁量によって、自らの経験と信念と美学が命じる流れの中で仕事をしないことには、辻褄のあった結果はでないし、理想的な結果は生まれないという気がするのです。
 
 このフーガの技法で聴くピアノの音は、もちろん全体としては素晴らしいもののように聞こえはしますが、かすかにそのピアノの本来のものではない要素がねじ込まれているような、どこか不本意な感じが拭い切れませんでした。すくなくともシュテファン氏が本当にこれがいいと信じてやった結果なのかどうかということになると、マロニエ君は甚だ疑問を残すというわけです。
 
 そう考えると、ピアノ技術者という仕事は、常に微妙で難しい立場に立たされながら、そのいっぽうで高度な手腕を要求されているようにも思われます。あれだけの修練を要する細密で極限的な仕事を、絶えず他者の意志と制約と妥協を背負いながら敢然と挑まざるを得ないということ自体、そこに渦巻く精神的な労苦は大変なものだろうと察せられます。
 どんな不本意な仕事でも、最大限の誠実を注ぎ込んでやり遂げなければいけないという点では、ピアノ技術者にとって最も必要な精神的要素は「忍耐力」なのかもしれません。
 そして、そこがまたこの仕事は日本人向きでもあるのでしょうか。
 
 尤もシュテファン氏を見ている限りでは(あくまでも映画の上ですが)、そんなピアノ技術者の悲壮感というよりは、突きつけられた無理難題をひとつずつ突破していくことに半ばオタク的な快感と楽しみさえ感じているように見えましたから、そこまで突き抜けてしまえば鬼に金棒でしょうね。
 いずれにしろ、この『ピアノマニア』では映画とCDという二本立てであれこれと楽しむことができて、とても貴重な体験をさせてもらったと思っているところです。

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