藤原由紀乃ピアノリサイタル

 2002年10月19日、佐賀県基山町で開かれたコンサート。曲目はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」からはじまり、ショパンのエチュード4曲、後半はベートーヴェンのハンマークラヴィーアというプログラム。
 藤原由紀乃さんは、87年にロンティボー入賞(第一位グランプリ)後から演奏活動をはじめられたが、以降TVなどで観る限りでは一貫してベーゼンドルファーを使うピアニストだったので、演奏に対して期待はもとより、ピアノは何を使うのかと言う点でも大いに関心があった。
 今回は基山町民会館という都市部ではない地域でのコンサートだったこともあり、この点はどうなるのだろうと思ったが、会場に行ってみると果たしてベーゼンドルファーのModel-275がステージ上に据えられている。聞くところでは大阪からわざわざ持ち込んだピアノの由。当日はあいにくの雨だったので、コンサートが始まる直前まで除湿器を回し続けていた。

 藤原由紀乃さんの演奏は、とにかく徹底して丁寧で、一瞬たりとも曖昧なところがない。幼少期から独特のメソード(ベアタ・ツィーグラー奏法)のもとドイツで育ったというだけあって、まず心の中で曲のイメージを作り上げ、しかる後に演奏を開始するというもので、ピアノの前に座ってから実際に指が動き出すまでかなりの間を要する。
 演奏自体は、一つ一つの音符とその構造が常に明確であるが、だからといって機械的な演奏とも正反対で、全体を彼女独特の音楽が確固とした形で息づいている。まさに一瞬一瞬を慈しむように、愛情豊かに歌い上げながら音楽を構築して行くのである。こういう点ひとつでも、日本人ピアニストとしては珍しいことではないだろうか。

 初めにラヴェルこそ多少の硬さがあったものの、ショパンになるとすでに本領を発揮。独自のショパン像を展開する。ただし後半のベートーヴェンはハンマークラヴィーアという、32の全ソナタ中最大規模のまさに大伽藍のごときこの大曲は、さすがに彼女に重すぎた。全体の曲の姿が伝えられず、持て余しぎみという点は隠しようもないもので、藤原さんの美点が出てこない。明らかに選曲ミスと思われ残念である。

 しかし、大いなる拍手に応えて「第三部」といってもいいような重厚なアンコールの数々には驚かされた。とりわけラヴェルの「オンディーヌ」「水の戯れ」やドピュッシーの「映像(第一曲)」などフランス物に彼女の美点が遺憾なく発揮され、正確でありながらも抽象表現に優れる点はさすがと瞑目させられた。リストの「ラ・カンパネラ」も例のフジコ・ヘミングとはまた違ったテイストでの佳演であった。またモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」を全曲弾くというのもアンコールとしては珍しい。
この日のコンサートは、このアンコール群あってはじめて完成に達し、聴衆も本当の感激と満足を得られたといって差し支えないだろう。

 ベーゼンの275は、いかんせん終日の雨模様が祟ってもうひとつ鳴りが良くなかったが、それでもやはり良い音で、藤原さんの独自の演奏を力強く支えていた。意外だったのは、ベートーヴェンは当然としても、フランス物との相性が思いのほか良いことで、スタインウェイとは違った瑞々しさや美しさがあり、やはり大したピアノだと痛感させられた。
 私見だが、ベーゼンは最大のインペリアルより275のほうがバランスがいいと思う。インペリアルはあまりの過剰さからくる響きの偏りにどことなく怪物的なものを感じるが、275ならそういう一面はあまりなく、聴いてて違和感もなく、ベーゼンの良い点だけがストレートに伝わってくる気がする。
余談だが、スタイルもいささか不恰好なインペリアルとは違って、275のほうがまことに優美で美しい。カタチは音とは直接関係ないかもしれないが、優れた楽器はやはり姿形も良いはずだと私は信じたい。

 藤原由紀乃さんはCDは、何かしら訳があるようで一般店頭では販売されず、日本ツィーグラー協会という団体を通じてしか入手が難しい。ロビーにはそれらのCDが即売されていたので、これはチャンスとばかりに買い求めたところ、終演後に彼女がCDにサインをしてくれるのだという。
 長いアンコールの数々を弾き終えた藤原さんが登場するや、一人ひとりに誠実な態度でサインをされ、さらに丁寧に握手して下さった。そこには彼女の人柄、ひいてはその演奏の実態が矛盾のないありのままの形であらわれており、何かしらすべてが納得できたという心地よさで帰路についた 。

投稿日:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です