#1.独立アリコート

アリコート──この場合のアリコートとは通称で、正しくはデュープレックス・スケールまたはデュープレックス・スケーリングのこと。
 これ、日本製ピアノでいうと、カワイはマロニエ君の思い違でなければ50年以上前から装着されていたと思う。一方のヤマハは、ある時期までベヒシュタインを手本にしていたという話は耳にするが、そのせいかどうかはわからないけれど、たしか1960年代まではアリコートは付いていなかった。ヤマハにアリコートが付くようになったのは、外装のデザインが一新され、足はわずかなカーブを描く形状となり、それまでのやや野暮ったい印象のあったYAMAHAのロゴが、現在の縦長でスマートなものになってから後のことだったと記憶している。しかしこのデザインになってからしばらくは、随所に使われるフェルトの色はベヒシュタイン風の渋くくすんだ上品なモスグリーンで、なかなか味わいがあったと個人的に思う。ついでながらフェルトの色で言うと、カワイは長らくあざやかなブルーものを使うことが多く、マロニエ君はのちにブリュートナーの青いフェルトを見たときに「カワイのようだ」と思ったぐらい、昔のカワイはブルーのイメージが強かった(ブルー以外が無いわけではなかったようだけれど)。ところが今はほとんどのピアノが申し合わせたように赤フェルト一色で、こんなところにも個性や社風が無くなってきたように感じる。
 ついでながら本来のアリコートとは、上記のブリュートナーが共鳴のための為だけに、三本弦の横に打弦されることのない第4の弦を張った機構のことらしい。

 さて、あるところで聞いた話なのだが、通常のアリコート(数音ぶんをひとまとめにして、三本弦を駒の後ろ部分で引っかける金属のパーツ。これにより打弦時に弦長に応じて計算された倍音効果が得られる)を、あえてバラバラの独立したアリコートへと変更することで、その押さえの位置を一音ずつ任意最適に位置を変えられるようになる。その結果、各音ごとに望ましい倍音効果が得られる最適ポイントに調整が可能となり、より美しい本来の響きが得られると力説する技術者の方がいらした。氏曰く、量産品のアリコートでは倍音調整しようにも一音ずつの調整ができないので、アリコートといっても見た目だけで、実際には倍音といえるようなものではなく、ただ出鱈目な雑音を出しているだけという。
 理屈としてはわかるのだが、いかにして最適の位置を探り当てるのだろう。科学的な測定なしにこれをやり遂げるとなると、相当の経験と職人的直感力が必要であろうし、正に手間と根気の世界に違いない。
 いずれにしろ推奨者はこれ以上のものはないかのようにその素晴らしさを力説され、しかもそれだけの作業を出張作業という限られた場所と時間内で理想的に完遂できるといわれたのだが、理論はともかく、全体としてはちょっと鵜呑みにすることはできないような気がした。

 これには思いがけない後日談があって、ある別の知り合いの技術者の話によると、たまたまやむを得ない事情があって、現物を見ないまま下取りをするハメになった世界的ブランドのピアノが、なんとこの「独立アリコート」に改造してあったらしい。このピアノはさるマニアの所有だったものだそうだが、果たしてその効果は?というと、いかにお説は立派であろうとも、現実はとにかくハチャメチャであったらしい。元に戻すだけでもそれはもう大変な作業となり、とんだ貧乏くじをつかまされたと憤懣やるかたない様子であった。
 ちなみに、ヤマハもカワイも、さらにはスタインウェイも実は独立アリコートではない。また、ベーゼンドルファーやディアパソン(現行型は不明)にはこの機構そのものがない。しかし、新興の高級ピアノ、ファツィオリはこの独立アリコートを採用している。
 たしかに、この独立アリコートは最良のピアノ調整を可能にするための、さらなる調整余地を残すものとして、一つの理想形態であるようにも思える。しかし技術者にとってはそれだけ仕事の分量が増大し、同時に自分の技術も厳しく問われるだろう。そのための特殊技術や修練も必要とされ、おそらくは巧拙の差も出やすく、へたをするとピアノそのものが不安定になる恐れもあるような気がする。すなわち、その機能を知り抜いた技術者に恵まれれば最良の結果もえられようが、一歩間違えば悲惨な結果にもなりかねない両刃の剣のようにも思える 。