#11.アンチスタインウェイ

 よろず偉大なカリスマは、膨大な数の熱狂的支持者を抱える反面、その反対派・否定派が必ずいるものだ。カリスマとはこの反対派の存在を得てはじめてカリスマ足りえるのかもしれぬ。
 カラヤン、ルビンシュタイン、メルセデス・ベンツ、ルイ・ヴィトン、人でも物でもなんでもそうだ。ピアノならまさにスタインウェイだろう。

 世界中で認められ信頼されるスタインウェイだが、それを嫌いだという人は少なくない。本当に嫌いな人ももちろんいるだろうが、いろいろな理由がある。数が多いとか、有名すぎるからとか、右といえば左の人、少数派が好きな人、実は好きだから嫌いな人、判官贔屓、評価の定まったものがとにかく嫌い、華やかなものを否定し地味なものを好むことが本物だと勘違いしている人、さまざまである。
 ピアノ業界人や専門家にもアンチスタインウェイの人は少なくないが、これには多少なりともビジネスや利害が絡んでの場合もあって、マロニエ君の興味の対象ではない。
 でも、興味の対象ではないといいながら、ちょっとだけ触れておくと、たとえばある人が別銘柄のピアノの販売に積極的に関わっていたりすると、その傾向は俄然ヒートアップする。ただし、だいたいこの業界の人は当たりはソフトなので、もちろん露骨にけなしたりはしない。会話の中に間接表現としてやんわりと批判ととれる意味を織り込んでいく。スタインウェイという最も明解で象徴的なブランドをイメージ的に失墜させることで、それに代わるお薦めブランドを際立たせるというやり方。

 マロニエ君が感じることは、純粋なピアノの好みの他にも、いささか不純な動機からスタインウェイ批判をやってるなという印象を受けることがある。
 たとえば自己主張。スタインウェイを批判することで自分を表現しようとしている人、皆が良いと信じ世界が認めているものを否定できる自分には、それだけの眼力があるのだぞといいたげな人など、ちょっと歪んだ自己顕示欲が見え隠れすることがある。

 他にもまだいろいろある。
▲良いのはわかるが、いささか過大評価だというような中道を行く人。
▲どうせ買いもしないのに、買うならスタインウェイより××のほうが自分は好きだなどと、口だけ言ってみる人。
▲××ホールのスタインウェイなら、△△のほうがまだマシなどと、ぜんぜんマシじゃないのに言ってみる人。
▲どこどこにある、あのスタインウェイに限っては素晴らしいと思うけど、基本的にはあまり好きじゃないなどと、通ぶったことを言ってみる人。
▲同様に、ある時期のまでのスタインウェイのみが自分を満足させるもので、それ以外は味噌カスのようにいう人。
▲意識的にスタインウェイを無視して、自分が認めた別のピアノが最高であると熱弁をふるう人。こういう人は逆にすごく意識しているような気配を感じる。
▲なんだか知らないがスタインウェイを目の敵のように思っている人。
▲本当に好きなのは○○だけど、自分はピアニストだからスタインウェイを買わざるを得なかったなどと、二重三重に手の込んだ自慢に仕立ててくる人。

 まあ、とにかく、いろいろな反応があるものだ。
 特徴的なのは、おおかたのスタインウェイのユーザーは素直にスタインウェイの素晴らしさを認めて満喫し、それでいて他のブランドの魅力も理解しようという素直さや寛容さがあるが、他の同等品のユーザーはまるで武士の妻の貞操観念のごとく自分のピアノもしくはそのブランドにまっしぐらで、スタインウェイなど眼中にないといった風情だ。まるで他のピアノのことは思わないように決意を固めているようにさえ感じられところが、やっぱり本当は気になっているようにも思える。どんな世界でも、良いものはたったひとつなんてことはないのだから、そんなに意気込まなくてもと思うのだけれど。
   これだけ意識され、マークされ、嫌われるというのも、偉大さの証拠だろうか。

 逆に、神戸の日本ピアノサービスのばんだ氏などは、スタインウェイの熱狂的肯定論者の最右翼であろう。氏のスタインウェイにまつわる半ば講談のような話を聞こうものなら、否応なしにスタインウェイの素晴らしさに叩きのめされ、しばらくは陶然となってしまうほどだ。まるでピアノ版『そこまで言って委員会』状態である。反対派もいれば、こういう人もいるのだから面白い。

 別にマロニエ君はスタインウェイの身内でも回し者でもないから、人がそれをどう言おうとも一向に構わないが、こうしてスタインウェイを軸とした人間の反応のいろいろを見ていると、それだけでもとにかく面白いものだと思う…人間って。