#13.新しいピアノは偉い?(1)

 むかしは録音やコンサートは無論のこと、家庭のピアノでも新しいピアノは決して良いものとはされず、いわばこれから花を咲かせる固いつぼみと同義語だった。
 新しいピアノは音や響きが不完全で、木やハンマーが馴染んで本来の鳴り方をするには最低でも2~3年を弾き込み、開花を「育てて待つ」ことが常識だった。むかしの人達は、知る人ぞ知るピアノマニアであられた故高城氏の表現に倣って、ピアノのこの時期(車でいうところの慣らし運転期間)を、オーディオ用語からくるエイジング(熟成)という言葉をよく使った。我々のような素人から見れば、オーディオのような機械類であってもエイジングがあるのなら、ピアノにそれが必要なのが至極当然だった。

 ピアニストにとっても新しいピアノとは敬遠すべき対象であって、どこそこの会場ではピアノが新しいので演奏しないとか、あのピアノは弾き込みがたりなくてまだまだ使いものにならないというようなフレーズも決して珍しいものではなかった。ましてや録音に新しいピアノ使うなどほとんど非常識に近いことだったろう。

 マロニエ君も当然のようにそういうものだと思っていた。思っていただけでなく、実際に新しいピアノに触ると古いピアノよりも全体にキーは重く、音はモコモコとした明晰を欠くもので、ただの鈍重な表現力のない楽器にか思えなかったのは事実である。
 それに対して、5年10年と弾き込まれたホールのスタインウェイなどは、華麗なことこの上ない絢爛たる響きを容赦なくまき散らし、聴く者の心を掴んで思うさま揺さぶらせたものだった。

 それがいつごろから変化したのかはわからないが、新しいホールが落成するたびピアノは次々と納入され、コンサートの数は日増しに増え、ピアノが新しいということにあれこれ不満をもらすような空気はいつの間にかなくなった。ピアノといえどもそんな悠長なことは通用せず、即戦力として納入されたその日から活躍できるようなものに変わったのか…よくわからない。硬化剤のような薬剤の力によって何が何でも鳴らしているのか、フェルトの巻きの硬度が変わったのか、とにかく何かがかわったに違いない。

 専門家の話によると、スタインウェイを例にとれば昔よりもハンマーのサイズが若干小さくなったということはあるらしい。それは現代のピアニストが軽快でスピーディな反応を好むからだそうで、その点昔のピアニストはたっぷりとした深い響きをもつ重厚な演奏だったことが思い当たる。

 昔のピアニストと言えば、いわゆる重厚な演奏とは違うけれども、戦後来日した晩年のコルトーが日本滞在中に多くの演奏会を開いたと聞くが、そのひとつに日比谷公会堂でのリサイタルがある。このリサイタルはこのホールに納入されたばかりのニューヨーク・スタインウェイのピアノびらきという目的を兼ねていたようだ。ライブ録音がCDとして発売されているが、たしかに氏のテクニックの衰えだけでなく、新しいピアノが本調子でなく弾きにくそうな気配をマロニエ君は感じてしまう。

 ピアノをジーンズに喩えるのもなんだけれど、新品のピアノは真新しいごわごわのジーンズのようなものだった。とはいえジーンズに対するかっこよさの価値観のほうがある意味まともで、今は始めからある程度色落ちしたものや、中にはわざわざダメージ処理をしてでも、らしさの状態を作ろうとしている。
 このように以前はピアノはある程度年季の入った、熟成された楽器が良いとされ、それが現在の目で見てもでもあながち間違ったことではないと思うのだが、時代の潮流は全く逆である。