#14.新しいピアノは偉い?(2)

 最近の傾向はいよいよもってマロニエ君の好みとは逆行する流れになってきた。
 ピアニストを見ていると、一流どころの多くは、可能な限り新しいピアノを使っているように見受けられる。とくに録音ではその傾向が強く、今やよほどの変人か物好きでなければ、ちょっと枯れたいい感じのピアノで録音などしないのだろう。その結果、最近のCDは調律や録音環境の違いを除くと、どれもほとんど同じような新品のピアノにしか聞こえないのは、なんとも残念だ。

 ピアニスト自身も新しいピアノのほうが、若々しいアクションに助けられて演奏が楽なのだろうとは思うが、本当にそれでいいのだろうか。

 これに少なからぬ影響力を及ぼしているのが録音の専門家達の価値観だ。彼らにはオーディオ専門家ならではの特異なこだわりがあり、それがまた少なからぬ害を及ぼしているとマロニエ君は思っている。
 彼らは録音するに際して、極力録音上のミスのない破綻のない、無傷なテイクを欲しがるらしい。その為にはピアノにも、クセのない、キズのない、完璧な楽器を欲しがる。実際に聞いた話だけれど、あるピアニストが演奏する曲に相応しい音を持つという理由から持ち込んだ、たかだか10年余使ったスタインウェイに対し、彼らなりの観点では「この楽器はもう終わっているね」というような見解を下すらしい。まったく驚くほかはない。そんなら200年も前のストラディヴァリウスやアマティはどうなるの?と言いたい。

 まあ世の中にいろいろある裏事情のことは知らないが、マロニエ君のように純粋に音楽が好きな愛好家にいわせれば、聴く側にとって新品のピアノの音ほど面白くも可笑しくもないものはない。個体としてなんの個性もない、若さだけを自慢にするファッションモデルのような表面的な美しさがあるだけで、本来音楽を聴いて湧き上がるであろう様々なイマジネーションを喚起する精神性がない。音楽はまぎれもない芸術であり、その重要なパートナーであるピアノが、どれもこれもまるで高級デパートのピカピカの商品のようではなんとも興ざめである。完全な美しさを求めるにしても、ミケランジェリが求めたようなフレスコ画のような豊穣な色彩感や不健康な完璧性の類とは、その根本にあるものが全く違う。
 新しいというだけの、ただ5月の新緑のような美しさだけが、理想的なピアノの美とはとても思えない。

 これに反抗するようにマロニエ君は昔の(せいぜい70年代ぐらい)録音を鳴らしてみる。そこには完璧ではないけれど、人の息づかいと体温のある、深みのある本物の世界が間違いなくある。こういうことを言うと、「それは要はアナタの好みの問題あって、同じように新しいピアノのほうがいいと思う人もいるというだけのこと」などというバカなことを言う輩が必ずいるものだ。
 奥行、風格、頽廃、とろけるような甘み、吟醸酒のような辛口、そういうピアノの音は聴いていて本当に飽きないし、疲れない。…疲れない?そうだ、新品ピアノの音はどんなに粒が揃って美しくてもすぐに飽きがきて疲れてくる。無機質で人の心に染み入ってくるものが無いからだろう。

 とにかく最近のピアノには、表面的な無傷の美しさはあっても、どこかウソっぽい。心から聴き入る心情にはなれない。それならいつの日かデジタルピアノで事足りる日が来るのでは!といいたくなる。もしかすると、ハイテクで徹底的に品質管理された現在のピアノは、事実上のデジタルピアノなのかもしれない。