#15.恥と宣伝

 ピアノリサイタルに行くと、しばしば目にする光景がある。
 開演前のステージにスーツ姿の男がひとり立ち、ぽつんと置かれたピアノの前で最後の調整(?)に余念のない調律師の姿だ。ライトを落とされた薄暗いステージのピアノに向かって、すでに調整されているはずの音を今更のように聞き直しては黙々と微調整のようなことをやっている。開演時間が迫ると、なんとも絶妙のタイミングで仕事は終了、手早くあたりを片づけ、最後にいかにも篤実そうな面もちで鍵盤を布で軽く拭いた後、カバンをもって静かに舞台袖に消えていく。

 前半の演奏が終わり、ステージがいったん薄暗くなると、再びさっきの調律師が神妙な面もちでステージへあらわれて、また微調整らしき作業が開始される。いかにも前半の演奏で生じた狂いを再調整しているといった感じで、私はちょっとの事でも見逃さないという様子。ここでも、15分ないしは20分の休憩時間中に作業はいかにも手際よく終わり、彼は心得顔でつつましく袖に消える。そして充分お世話の行き届いたピアノは凛とした姿勢でピアニストの登場を待つことになる。

 長年、マロニエ君にとってこの光景は見慣れたものだったし、コンサートの調律をするほどの人なので、自分の技術にも厳格で、最後の最後まで与えられた仕事に責任を果たし、僅かな狂いにもすかさず修正を入れる。よってピアニストの信任も厚く、いわば技術者の誠実な仕事の姿だと思ってきた。

 ところが、現在我が家に来てくれている調律師の話は、それまでのマロニエ君の認識を根底からひっくり返すような内容だった。ちなみにこの方もこの世界では知る人ぞ知る人で、個人のピアノはもちろんのこと数多くのコンサートやレコーディングへと日本全国はもちろん、時には海外まで飛び回って仕事をしている人であるし、人間的にもおよそいい加減なことを言うような人ではない。
 その氏曰く、開演前ギリギリや休憩時間といった、要するにお客さんのいる前でピアノを触るのは調律師の恥ですよ!とおっしゃるのだ。それを聞いてはじめは大いに戸惑ったことは言うまでもない。氏によると、本当に技術のある調律師なら本番前にピアノの調整はすべて済まさねばければならないし、調律もリサイタルの半分を弾いたぐらいで狂いが出るなんぞ、ろくな調律ではない証拠だそうだ。むしろ本当の調律の真価は、調律後しばらく弾いて、ほんの僅かに狂いが出てきたときであり、演奏会でも後半になるとピアノが鳴り出すといわれるのも、ひとつにはそういう現象が表れてきた為だという。
 それをお客さんのいる開演直前や休憩時間にまで舞台に出てきてまで、ピアノをいじる必要があるとすれば、それは調律師としては技術が未熟であることを意味しているというのだ。かくいう自分も、前半を聴いて放置できない問題点に気付いたときなどに限り、やむを得ず休憩時間にステージに上がり修正をすることはあるけれど、それは本来は極力避けるべき事だし、技術者として恥ずかしいことだと心得ているということだった。
 ふーん、そういうものですか…。

 さらに別から聞いた話はもっと驚く話だった。一般論として、リサイタルの調律をしているということは調律師としても上級ランクの人であることのようについ連想されがちである(現実はまったくそうではないとマロニエ君は思っているが)。したがって自分のグレードの高さを来場したお客さんに誇示する絶好のチャンスになるというわけで、できるだけ本番前と休憩時間には必要がなくてもステージに姿を現して、自分がこういう場所でこういう特別な仕事をしているところをちょっとでも長くアピールしているのだそうで、これはつまり宣伝費のかからない格好の宣伝ということだろう。要するに箔がつくのである。お客のほうも見栄っ張りがいるから、うちのピアノは××ホールの調律をやっている方にいつも来てもらっている、というようなご自慢トークになるのだろう。まあ、なんというか、それでひとつの何かが成り立っているんだなあとは思う。

 それを聞いてからというもの、マロニエ君はステージ上の調律師の様子を、なんとなくそんな目で見る習慣がついてしまい、いつしかひとつの楽しみになってしまった。プログラムなんぞ読んでいてはわからないが、じっと目を凝らしていると、たしかにほとんどどうでもいいようなことしかしていないような事が多く、所作の一つ一つまでがいちいち演技めいたものに見えたりするものだ。最後にはとうとうすることがなくなり、ピアノをちょっと拭いてみたり、椅子の位置なんかを何度も調整してみたり、できるだけこの場をを立ち去りたくないという願望のあらわれのようで、なにやら哀れでもあるが、やっぱり苦笑してしまう。まあ調律師さんも仕事獲得のために一生懸命なんだからあまり観察したら失礼かもしれないが、可笑しいものは可笑しいのだからしかたがない。
 もちろん、ステージ上の調律師が全てのそうだとはいわないし、中には本当に必要なことを真面目にやっておられる方もおいでのことだろう。しかしながら実際には上記のような宣伝目的の行為に専念する御方が非常に多いように感じるのも事実だ。