#2.技術者のレヴェル

 技術者の技術的レヴェルを見分ける尺度とはなんだろうか? そのひとつして以下のようなことを平生よりマロニエ君は思っているので、ちょっと怖い内容だが書いてみることにする。

 そもそもピアノ技術者の要件とはなにか? 
 これは簡単なようで難しい問題だが、大別すれば純粋な技術水準とあとひとつはそれを使いこなすセンスといえるのではないか。どんなに高度な技術があっても美的センスがなくてはダメだし、センスがあっても技術が低いとそれを具現化できない。つまり美的センスや音に対する価値観も大事な技術の一つであるとも言い換えることができよう。そんなわかりきったことをくだくだしく言うまでもなく、本物の技術者というのは不思議にわかるものだけれど。
 一般的には有名楽器店や一流メーカーお抱えの技術者であるとか、どこそこのホールの専属であるとか、有名ピアニストの御用達、あるいはコンサートのリクエストが多いなど、まあ自分は一流でございますと表現する通俗的な手段はいろいろあるだろう。だが実際にはそれだって疑わしいし、さらに家庭のピアノ調整で上手くて誠実な技術者を捜して判断することは至難の業だろう。
 要するに、マロニエ君は肩書きが全て無意味だとまでは言わないが、それを安易に信用してはいけないと思っている。そういう立派な肩書きをもっていても、ごく平凡な仕事しかできない人も現実にいるし、肩書きとは逆に仕事の酷いことで有名な人もいる。それがこの世界の現実である。技術は技術でも処世術に長けていることも肩書き獲得には重要なようだ。しかし、市井の片隅で、ことさら派手なスポットライトを浴びるような出番はなくとも、優秀で良心的な技術者は、少数だがちゃんと棲息しているのも事実なのである。
 ただし、そうでない「並&並以下」の技術者がわんさかいる中から本物を探し出すのは容易なことではない。めちゃくちゃに散らかった部屋の中から真珠の一粒を探し出すぐらいの覚悟で、根気よく本物の技術者を見いだし、なおかつ「お任せ仕事」にしないで、できたらこちらも勉強しながらお付き合いさせていただきたいものだ。

 マロニエ君としては、まず技術者の評価基準の要である仕事の技術は当然だけれども、専門家でもないこともあり、今回は敢えて別の視点から見ていきたいと思う。
 はじめに技術者の「気質」に注目したいと思うのであるが、本物の技術者には、資質として音に対するセンスと手間暇かかる作業への忍耐力、さらにはある一定のマニア性のようなものをもっていなければならないと思う。良い技術者か否かの分岐点は、単なる技術の巧拙のみではなくて、技術者の良心の部分がピアノ調整という仕事には、想像以上に大きく関わってくる問題だからだ。いわゆるピアノ技術者の仕事は、やるべき事をやり始めたら際限がなく、逆に省略しようと思えば、いくらでも省略できる世界だ。その決断ラインをどこに持ってくるか、その時に良心が大きくものを言う。

 マロニエ君が良心的な技術者として信頼を置くO氏は次のような興味深いことをおっしゃる。
『自分は特別すぐれた技術を持っているわけじゃない。ただ、もし他の人と違う点があるとすれば、それは技術者として「ごく基本的なこと」「当たり前のこと」こそ第一と心得て、まずそれを忠実にやっているだけです。だれでも調律師学校に行けば等しく教わる基本的なことなんだが、実はプロになるとこれをおろそかにしている人が多いんですよ。』
 つまり、まずは基本的なこと、当たり前のことをやるだけで、ピアノはめざましく良くなるというわけだ。ここまでで9割は完成しており、あとの1割、ここが神業の領域だと思っている。

 困るのは自信過剰の人だ。この手合いは必要な謙虚さを失い、視野や価値観が狭くなっていて、独善的な偏った仕事しかできない。自信を持つことは大切だが、それが強権的に先行するとその先にはもう進歩はない。謙虚で柔軟で、常に新しいことに対する興味や向上心を失っていない人こそ、優れた技術者の要件の一つだと思う。
 もうひとつ、マロニエ君はピアノに限らず、さまざまな技術者の評価ポイントとして「他人(とくに同業者)を褒める人かどうか?」という点にも注目している。だいたい他人を素直に褒める人は自分に自信と余裕があり、それでいて自分の仕事に対しては厳しく純粋であると経験的に感じる。逆に他人を褒めない人は競争心ばかり旺盛だが実は自分は大したことはないと知っているので、他者をけなすことで自らを優位に立たせようとするらしい。

 良い仕事のできる人は自分のペースを守り、ときに無邪気な一面さえ持っているものだが、逆の場合、自分の実力や技量を正視せず、自己主張に躍起である。他人を褒めるどころか、だいたい何でも片っ端からケチをつけたがるし、なんでもかんでもとにかく批判になる。それもいかにも雑談的にさりげなく言う。自分の基準はそれほどの高みにあると訴えたいのだろう。この手合いは人を認めないという点においてはほとんど執念のようで、こちらはただただ驚く他はないし、見ていて哀れであるが、当人は精一杯の主張を展開して一定の効果を得たつもりなのだろう。傍目には、それをやればやるだけその人が矮小化され拗くれて見えるのに、当人はどうしてもその点に気がつかないらしい。

 上記のようなことは、お店の体質にも(営業サイドであれ技術サイドであれ)同様のことがほとんどそのまま言える。別項でも少し書いたが、何かにつけよその批判をしながら、自店アピールを巧みにやるような店は底が知れている。聞かされるほうにはバレバレで、この場面に遭遇するとなんともいたたまれない思いをする。
 最後にマロニエ君が技術者の諸氏に知っておいてほしいと思うことは、たとえこちらが専門的な知識や経験がなくとも、その人の技術的レベルというのは不思議に透けて見えるものだということを、どうかお心に留めておいて欲しいということです。もしかすると、却って専門家のほうがいろんな評判や柵もあり、知識や経験が邪魔をして、シンプルな事実がわかりにくい場合もある。
 これは他の業種でも同じだが、優れた本物の技術者の腕というのは、意外にわかりやすいものかもしれない。子供の弾くモーツァルトが素直で美しいように、素人の感覚というのは素直であるぶんとても鋭くて怖いものなんです。ただし、この人はダメだと思っても日本人は黙っていますが。