#21.美しい日本人の演奏

 毎年ぞくぞくと登場してくる日本人ピアニスト。
 いまや整体学にまで取り込んだ徹底した指導と、合理的なメトード発達の賜物か、難曲を楽々と弾きこなすことはもはや当たり前。昔なら絶賛ものだったろう指さばきも今や普通のこととなり、きわめて安定した見事な演奏をこなす。

 それとは逆に時代の特徴だろうが、いわゆる巨匠型といえる圧倒的存在感をもったピアニストというのはいない(これは世界的な傾向でもある)。それに代わる新しいトレンドや個性が、まあ出てきているようでもり、やっぱりちょっと違うような、そのあたりは複雑な思いがする。ともかく、ひと時代前の基準で言うとみんな本当に上手くて、その点はもはや有難味がないぐらいだ。
 惜しむらくは、そのような技術の向上と芸術性の向上は比例しないということか。「みんな上手いが個性がない」ということが巷間言われているが、ある意味ではその通り。だがしかし、マロニエ君は最近のピアニスト特有の魅力がないわけではないと思っている。

 なぜなら、次々に登場してくる、名前もろくに知らない日本人ピアニストの中に、ときどきハッとするような本物の光を持った人がいることがある。それは現在の非常に高いレベルを背景に出てくる人達で、ここにマロニエ君は注目したい。ついでながら、近年の日本人ピアニストからは昔の人が不本意に背負っていたもろもろの要素がほとんどなくなり、この点は今昔の感に堪えない。
 昔の日本人ピアニストには、いわゆる日本人ゆえのハンディからくる重々しい悲壮感を漂わせた人が多かった。ピアノに我が身を捧げ、まわりの尊敬と無理解を一身に背負いながら、それでも挫けず邁進している感じだった。実際、音楽の根本にあるものが大和民族的でずんぐり感が抜けきれず、ひたすら西洋の模倣と自己の両立に苦慮し、日本人である自分と何か終わりのない戦いをしている感じがあった。そこには西洋音楽という異文化に身を投じたプライドと劣等感が複雑に同居していた。
 金髪の王子役に扮する日本人バレエダンサーを見るときのような痛々しさがそこにはあった。

 それがいつごろからか、姿を変えてくる。
 とりわけ1980年代以降の生まれの人達は、それ以前には否応なく重くのしかかっていた日本人的ハンディをさほど背負わず、のびのびと成長し、世界と対等に渡り合える技量を獲得するに到った。それは前記のような先達が粉骨砕身の果てに開拓した道あってのことだろう。ピアノに向かう姿にも悲壮感や重苦しさは、少なくとも見ている側には感じはなくなり、ごく自然に楽器と向きあっている。テクニックも然り。
 出てくる音楽も変わった。時代の潮流で個性や味わいは少々薄くなったことは否めないが、これはほとんどすべてのジャンルに言えることで、ピアノ固有の問題ではない。そのかわり、聴いていて不快感の少ない快適で安定した演奏が保証されている。

 前記のような日本人らしさと入れ替わりに、日本人の持つ東洋的なデリカシーがすぐれた演奏をさらに際立たせるようにもなった。日本人に共通した美点として、上品さ、繊細さ、隅々までの目配りがある。この点は、昔はむしろ弱点のように言われた時期があった。生け花や茶の湯を楽しむならともかく、西洋音楽においてはそれは基本的に向いていないと。とくにピアノ演奏には指のがむしゃらな訓練と併せて演奏の逞しさやダイナミズムが求められ、それがなければ欧米では通用しないといった旨の指導だった。
 それがどうだろう、若いピアニスト達はタッチコントロールや音色の変化まで自然に身につけ、不必要な強打や過剰表現をすることもなくなった。解釈の点でも概ね正統的なものが主流で著しく偏ったものがなく、音楽もどちらかといえば長身の身ぎれいな輪郭をもっている。
 もちろん昔のピアニストにあった味わいや魅力にも捨てがたいものがあるし、現代の平均化されたピアニスト特有の欠点も言い出したら多くのことがあるだろう。それでもなお、彼らのその長所は瞠目に値するものがあるとマロニエ君は思っている。

 強いて言うなら、伊藤みどりと浅田真央のような違いといえるかもしれない。

 マロニエ君が注目するのは、優秀なピアニストが日本中に充溢するにつれ、特定の作曲家の研究と演奏など、様々なかたちでのエキスパート的な分野を行くピアニストなども現れ、それぞれの進む目的そのものにも多様性が出始めたことである。こういう存在は昔は外国人ピアニストの中でも少数派であり、一部の作曲家や国別の作品を専門的に追求し自らのレパートリーとするような人がいること自体、欧米ならではのことだった。日本人ならせいぜいフランス音楽を得意とした安川加寿子ぐらいしか思い浮かばない。
 西洋音楽の下地のまったくなかった日本人が、これだけ短期間にここまで質の高い演奏をいとも易々とできるようになったことを、日本人の例外的な能力の高さ、優秀な民族の証としたい。

 マロニエ君がそういう日本人ピアニストの存在を知るチャンスは、コンサートではなく大抵CDからである。名も知らぬピアニストのCDを直感だけで買い求めて聴いてみて、思いがけない素晴らしい才能に出会ったときの喜びはちょっと言葉に尽くせぬものがある。個人的には、
そういう対象は昔は外国人ピアニストに限られていて、日本人なんてほとんど期待もしていなかった。
 しかし、今はまったく逆だ。日本人の中にこそその手の発見の確立が高いと感じるようになってている。世界のメジャーなコンクールでも、今や現場は東洋人主流の様相を呈していることは広く知られている。
 現在の日本は、こういう厚い層の中からさらにまた素晴らしいピアニストを輩出する可能性が大きいのかもしれない。これはたいへんな事だと思う。
 そう思うとなんとも楽しみでわくわくしてくる。