#25.ピアノは孤独

 ピアノを弾く人は孤独である。
 理由は簡単、他の楽器と組まなくても完結できるほとんど唯一の楽器だからだ。

 これは子供のときのレッスンのときから既にはじまる。家での練習もピアノという真っ黒い大きくて重い楽器と対峙して、ひとり黙々と練習を続けなくてはならない。少なくともマロニエ君の世代は、とりわけ厳しい先生につくと勝手や気ままが許される余地はなく、それこそ生活の中心がピアノの練習となった。先生に言わせれば学校でさえ脇役だ。来る日も来る日もそういう状態が続き、練習を重ねてようやくレッスンに赴く。レッスンでは恐ろしい先生の前で、緊張の極みに達しながらピアノを弾き、暴君の命令のような指導を受ける。そして帰宅すれば、また孤独な練習がはじまる。
 これが他の世界なら、レッスンや学校に通ううちに自然と友達というものができるだろう。だがピアノの場合はそれはほとんどまず無い。限りなく皆無に近い。レッスンは完全に個人指導で時間が決められており、早めに行っても前の人のレッスンを息を殺して静かに聞くだけで、それが終わるとすれ違いに自分がピアノの前にすわるだけ。前の生徒とはなんの接触もない。ピアノをやめない限り、これの繰り返しである。
 マロニエ君はたまたま地元の有名な先生についたので、同時にこの方が院長である学院にも毎週通って、聴音や楽典の授業を受けたり、学院ホールでは院長による公開レッスンが毎週のように行われたが、そこでも生徒間の交流はなく、ただただ緊張してそのレッスンの様子をじっと見守るのが精一杯だった。他のみんなもそうだった。3時間の授業がおわると一斉に帰途につく。誰かと帰りに寄り道して…なんてことは考えてみたことさえなかった。そして、当時は楽器を習う(少なくとも一流の先生について習う)ということはそういうものだと思っていた。

 その異常さに気が付いたのは高校に入ってからだった。故あってフルートをちょっとだけ習うようになり、こちらも上記の先生の紹介で、やはり有名な先生だったから同じようなものだろうと当然のように覚悟していた。ところがこちらは人間的にも温かく、やさしみがあり、普通にいろんな話ができ、生徒間の交流というのもはじめて経験した。フルートは基本的に旋律楽器なので、発表会ともなるとほとんどの場合ピアノの伴奏を必要とする。フルートは副科でピアノをやらされるので、簡単な曲ならお互いに伴奏も受け持ったりして、相互に自宅を訪ねあっては合わせる練習をする。そして勉強会という発表の場で演奏するのだが、そこでも生徒同士は自然に言葉を交わしたり名前を呼び合うことになる。
 ピアノで当たり前だったことは、実はピアノだけの閉ざされた世界のことで、同じ音楽でも楽器が変われば、これほどなにもかもが違っているのに気が付いて、呆然となったことは今でも忘れられない。
 この先生とは、現在も親しい交流が続いていることは嬉しいことだ。

 ピアノだけは違う。ピアノをやる以上は親も先生も、生徒間のお付き合いなど眼中にもないし、友人との交流はむしろ慎むべき事だった。それにより気が緩み、練習時間が減る、これが最も悪いことだった。当時、その先生の名前は畏れとともに広く轟いていて、九州山口の各地から、汽車やバスを乗り継いで、遠方はるばる母と子が毎週のように通ってきていた。話をするのは基本的に先生と本人と母親だけで、他の生徒との会話などまずない。必要がないからだ。

 こうしてピアノをする人は、子供のころからピアノ=孤独という図式を否応なしに叩き込まれて成長するから、学校でも他の生徒のように友人関係が自然でない場合が多い。一刻も早く帰宅してピアノの練習に取りかからなければ母親から叱られ、その先には絶対君主である先生の戦慄の叱責がまっている。叱られるのは母子二人まとめてである。ひどいときには「ヤ○ハのバスに乗りたいのか!」という台詞となる。ヤ○ハのバスとは、大手楽器メーカーの経営する月謝さえ払えば済む音楽教室のことである。
 考えてみれば、よくもまあこんな恐ろしい世界に何年間でもいたものだと我ながら感心するし、それでも尚サボることを画策し、人の半分も練習しないで過ごしてきたので、マロニエ君は決してよい生徒ではなかったことだけは確かだろうし、そこには多少の自信?がある。しかし、そうだったからこそ、そんな手痛い目にあっても尚ピアノが好きでいられるのだとも思っている。もしそれに甘んじて耐え抜き、まぐれで音大などに行っていたらどうなったかと思うことがたまにある。生徒の中にはその厳しさから病気になったり、家庭崩壊になったりした話をいくつも聞いた。
 人間形成に最も大事な幼年期から青年期にこんなも過酷で偏った生活をしてきた人の中から、さらに精鋭が選び出され、コンクール入賞や海外留学を果たして、まだまだピアニストとも言えないような人が出てくるわけだが、ピアニストになれるのはそのうちのどれぐらいか、考えるだけでも虚しいことだ。
 多くは社会人になる過程のどこかで見切りを付け、ピアノをやめてしまう。それでもやめたほうはまだ幸せで、やめられずに有名音大に入り、その後も大学院に進んだり海外留学をしても、あとに待っているものはせいぜいピアノの先生がオチだろう。先生になればさらにまた社会との疎遠が続く。恋愛も上手なはずがないし、孤独の上にさらなる孤独を塗り重ねて行く。
 こういうことは音楽の世界でもピアノだけのことで、弦でも管でも声楽でも、基本がアンサンブルであることが大前提で、一部の作品を除けば、他者との協力関係なしには音楽が成り立たない。そして協力関係なしでも成り立つのがピアノというわけだ。音大でもピアノ科の人は特殊とか変わっているといわれるのは、そういう楽器特性からくる背景が大きいだろう。
 かのアルゲリッチでさえ、ソロを弾かなくなった理由として『ピアノはレパートリーは膨大で、いつも孤独だからいや』だとはっきり語っている。彼女は天才であったがために親の判断で学校にも行かず、自宅で学校教育を受けながらピアノの道を究めた。そして待っていたのは未成年の時分から、海外を股にかけた孤独な演奏旅行の連続だったらしい。

 彼女に限らず、世界的なピアニストの孤独というのは察してあまりあるものがある。演奏旅行はいつも一人か、付き人が同行する程度。世界のあちこちでリサイタルのツアーが行われるとしても、ひとつの国や地域で10ヶ所なら10ヶ所をピアノを弾くためだけにろくな休みもなく渡り歩く。どんな名人でも一回のリサイタルというのは大変な消耗に違いないが、それを移動を繰り返しながら敢行し、ほとんどの場合ホテルとホールを往復するだけ。リハーサル、休憩、食事、本番、移動、まあ関係者ぐらいはいても、仲間は基本的にいない。人気アーティストの場合、そんな予定が数年先まで決まっているというから、これは尋常な神経でつとまる仕事ではない。
 また時々はオーケストラや室内楽との共演などがあるかもしれない。
だがこの場合も基本的にはピアニストは一時的な「お客さん」であって、いつも一緒の仲間ではない。わずかな例外が、器楽や声楽との共演やがせいぜいだが、本当に共演(競演)と呼べるものはごく僅かで、大半は伴奏という引き立て役となる。

 こう書くと、だったら小説家でも絵描きでも、仕事は所詮一人ではないか。つまり本業のときは孤独じゃないかと言われるかもしれない。だが、小説家や絵描きは、ピアニストのように技術習得のための陰惨な幼年期はまず経験してきてはいない。楽器演奏者の訓練はそれほど初期教育がものを言うという事でもあるだろう。人生のやむなき事情によって孤独の中で育ってきた人はいるだろうが、ピアノの場合は楽器特性と技術習得のために教師や親から孤独を押しつけられるわけだから、見方によっては人権蹂躙ものの教育とも言える。
 どう考えても、ピアノは孤独であるという事実に変わりはなさそうだ。