#28.ベーゼンドルファーの出番

 最近のめぼしいホールには、ほとんどスタインウェイが納入され、さらにちょっと上のクラスのホールになると、選択肢としてベーゼンドルファーのインペリアルもしくは275(現在は280)などが揃っているが、実際に出演者がピアノ選びをしてベーゼンを使うコンサートは一割をはるかに下回るらしい。まさに「世界の名器を置いてるだけ」状態である。
 しかし、実際にピアニストにしてみれば、このクラスのホールで演奏するとなると、自分の出す音がどれくらい客席にまで行き渡るかという懸念なしにピアノを選ぶことは無いだろう。そうするとどうしても頼りになるスタインウェイということになるのは理解できるところだ。またベーゼンは演奏される作品もある程度選ぶから、ステージに上がるのがますます難しくなるのだろう。マロニエ君の個人的な好みで恐縮だが、例えばベーゼンで弾くショパンというのはまったくミスマッチで、聴いていて背中の当たりがむず痒くなるし、この楽器でロシア物なんて考えただけで違和感を覚える。
 ベーゼンは本当に素晴らしいピアノだが、いつもモーツァルトやシューベルトばかり弾くわけにもいかないだろうから、対応する作曲家とのマッチングが難しいというのはこのピアノが抱える最も大きな部分だろう。もちろん対応する/しないというのは個人の感性に依るところが大きいから、そう感じないで何を弾いてもひたすらベーゼンがお好きという方もおられる筈だ。しかし、多くの人の好みや印象ではやはりスタインウェイやヤマハのように守備範囲が広いほうがステージでの使用頻度が高くなるのは致し方ないことだろう。
 以前、ファツィオリには明確な個性がないと書いたことがあるが、そういう意味では個性があるばかりに自分の首を絞めるより、何でも来いのオールマイティさを目指したということかもしれない。

 プログラムの曲に応じてピアノを替えるというようなコンサートも万に一つぐらいはあるようだが、普通はまずない。手間やコストもさることながら、スタインウェイとベーゼンドルファーでは厳密には奏法も違うので、ひとつのコンサートの中で楽器を取り替えることは、奏法まで切替えることになり、そんな大変なことまでして、そういう試みをやるピアニストはいないのだろう。それ以外にもピアニストとメーカーの契約などによっても、いろんな制約があったりなかったりということも関係しているようだが。

 昔はバックハウスのように、何を弾くにもベーゼンドルファーを用いるようなピアニストもいたが、今は基本的にベーゼンを使う有名ピアニストはあまり思いつかない。強いて言うとアンドラーシュ・シフはベーゼンをよく使うけれども、同時にスタインウェイもよく弾いている。音楽の友のインタビューによると曲によって使いわけをしているらしく、バッハはウィーンとは無関係なのでスタインウェイの由である。
 ちょっと前でいうとグルダやブレンデルもしばしばベーゼンを使っていて、いくつかのレコーディングにもこの名器を使用していたが、後半にはなぜかそれもなくなってしまった。また、ヤマハを使うことで有名なリヒテルも、クレスハイム宮にあるベーゼンは大のお気に入りで、このピアノで多くの素晴らしい録音を遺している。あの不滅の名盤と名高いバッハの平均律全曲も、少々マイクが遠いのが残念だがここのベーゼンドルファーによる演奏である。
 日本人では藤原由紀乃がベーゼンを使うピアニストだが、彼女の特徴である清らかで丁寧なタッチの使い分けには、なるほどこのピアノは存分に威力を発揮していると思う。また、アクロバティックな兄弟デュオピアノで売り出したル・フレールがベーゼンを積極的に使っているが、こちらはマロニエ君にはベーゼンを使う理由がよくわからない。

 上記の音楽の友の誌上インタビューで、シフはスタインウェイは間違いなく素晴らしいピアノだと何度も認めながらも、だからといってそれ一色という現状には深い憂慮の念を示している。いいものは決してひとつではないと。まったくその通りで、ピアノファンとしては曲や演奏もさることながら、同時にピアノもいろいろなものをコンサートで聴いてみたいのだが、その楽しみはほとんど絶望的だ。