#30.中国のピアノ

 マロニエ君は中国を訪れる機会があると、わざわざ楽譜を買って帰ることがある。
 昔と違い、日本では需給バランスのせいか、楽譜も結構お高くなってきているが、中国の大きな書店や楽器店には楽譜もそれなりに置いていてとても安いからだ。種類こそ豊富とは言えないが、中には日本と同じ色/デザインのウィーン原典版(文字は中国語)などもあり、日本の数分の一の価格で買えるので、持っている楽譜でもつい買ってしまうことがある。

 ピアノ好きの習性で、上海音楽院の近くを散策していると楽器店が目にとまり中に入ってみると、日本では見ることのできないピアノがいろいろあっておもしろい。なんでも安いのが当たり前の中国だが、贅沢品とされる品目はその限りではなく、ピアノもそちらに分類されているので、ピアノの値段はそれなりである。店に並んでいるのは中国産のピアノが大半だが、主に低価格の売れ筋を置いているのだろう、アップライトもしくは比較的コンパクトなグランドが多い。グランドではだいたい150~180cm前後のものが大半で、それ以上のものにはめったにお目に掛からない。中国で最大のピアノメーカーであるパールリバーが多いが、聞いたこともないようなヘンテコなメーカーもたくさんある。
 最も驚いたのは、TOYAMAという上海のメーカーが作るグランドだが、これが外観のデザインがなにからなにまでスタインウェイA型のコピーなのである。はじめは斜め後ろから近づいたので、足や譜面立ての形状からてっきりスタインウェイだと思ったが、前にまわると鍵盤蓋にTOYAMAという、まるで日本の富山のことかと思うような奇妙な文字が並んでいる。だいたい中国では、この手のことはいろんな分野で日常茶飯事だけれど、ピアノさえもその例外ではないと知ってさすがに驚いた。

 音は正直言ってどれも大したものではない。アップライトもグランドも似たり寄ったりで、おそらくピアノに対して良い音とか品質といったものがまだまだ真剣に求められていないのだろう。「とりあえずピアノです」という感じだから、たまにヤマハなどがあると、たとえ調律は不十分でも、やはり際立って高品質なピアノという印象だった。

 調律で思い出したが、マロニエ君が上海で宿泊したホテルは錦江飯店という築80年は経つ老舗ホテルである(宿泊代は決して高くない)。
 以前泊まったときには、北楼(北館)の二階のラウンジに古いベヒシュタインのグランドがあって、それを若い中国人女性がのんべんだらりと弾いていたが、そんなところでベヒシュタインに出会っただけでも予想外の驚きであった。ところが、その次に泊まったときは前回とは別の南楼(南館)となったが、タクシーを降りて正面玄関を入るなり我が目を疑った。ロビーの中央に戦前の古いスタインウェイのコンサートグランドがポンと置いてあり、アッと驚くとはこのことである。さすがは周恩来など政府要人も利用しただけのことはある老舗ホテルというところなのだろうが、それにしてもとにかく驚かされた。
 夕方になると、こちらもロングドレスを着た若い女性がこのピアノをポロンポロンと弾きはじめるが、その音がまた傑作だ。スタインウェイどころか、日本じゃほとんど値の付かないほったらかしのアップライトといってもいいようなビラビラにだらけきった音で、まったくめちゃめちゃだった。そういえば前回のベヒシュタインもほとんど同じタイプの音だったことを思い出す。

 これはおそらく中国のピアノ業界の今後の課題というべき部分で、なんでも恐ろしい勢いで追い上げてくる中国のことだから、近い将来この点も急速な進歩を遂げるのかもしれないが、今のところは未知数だろう。ラン・ランやユンディ・リのようなスターを輩出し、いまやピアノを習う子供の数も空前の規模らしい。さらには生産台数の点においても日本を抜いて世界一になったという話も聞いた覚えがあるが、なにか肝心な点が後になってしまう物事の進み方も中国らしいところなのかもしれない。
 戦後の日本だって似たようなプロセスを経たではないかと言う人もいるかもしれないが、マロニエ君にはやはり日本の辿った道とはまた違う、中国的な現象という気がしてならない。

 余談をひとつ。中国共産党の全人代大会で有名な北京の人民大会堂(とてつもなく大きな建物)を見学した際、正面入口を入った正面の壁際になにやら不気味なかたちの謎の巨大物体があることがわかった。少し近づくにつれ、それは布製のカバーを掛けられたピアノであることがわかったが、なんとこれが5mを超えるダックスフンドのような長大なピアノで、横に置かれた説明によると、この人民大会堂の落成に合わせて作られた世界最大のピアノということであった。重さもおそらく1トンを優に超えるのではなかろうか。足の太さもハンパではなく、1本が普通のグランドピアノの5~6本ぶんぐらいありそうな冗談のような迫力だった。ことほどさように中国は大きいこと世界一というようなことがお好きである。