#31.自称ピアニスト

 プロのピアニストということほど定義の難しいものもない。
 私見ではプロのピアニストはすなわちコンサート・アーティストのことであって、早い話がホテルのラウンジでピアノを弾く人が、ピアニストとしてプロではないというあたりまでなら分かりやすいが、これが有名音大を卒業し、海外留学し、聞いたこともないようなコンクールに入賞したりして、徐々にステージに登場しはじめると個々の認識に差が出てくる。
 
 マロニエ君の知る限りでも、何人かのピアニスト(のつもりの人)がいる。
 いずれも有名な人ではないし、ピアニストとしては花が開いたとはとてもいえないけれど、しかしその腕前はやはり素人とは一線を画するものであることは間違いない。他の世界だったら、幼少の頃からひとつの修行に身を投じ、これくらいの成果が出せれば職業人としても充分に通用するだろう。だがピアノばかりはそうはいかない。プロとアマの明確な境界線もないし、プロの定義もあってないようなものだから、各人思いたいように思っているのが実情だろう。難曲を楽々と弾きこなす腕前だけなら今や珍しいものではないから、単純に「プロ級の腕前を持つ人」ということにはなる。しかし、本当のプロのピアニストは、名前とその演奏が広く知られ、それが社会のほうから求められなければならない。
 そんな人は仮に各都道府県に一人ずつとしても多すぎるだろう。以前目にした、ものの本に依れば、極論すれば世界にはピアニスト(クラシックの現役)は20人しか要らないとまで断定されていた。
 
 マロニエ君の知り合いでコンサートの開催やお世話などもされる業界の方が、ピアニストのプロ/アマチュアの定義としてこんなことを言った。
▲「ピアノが弾けるだけでは、どんなに上手くても素人」
▲「有料の演奏会をしても、客の大半が縁者知人なら素人」
▲「演奏依頼が来たりCDを発売しても、その報酬だけでは生活できない人はセミプ ロ」
▲「広く名前が知られ、演奏会のチケットは縁者の助けを借りることなく一般人に売 れて黒字が出せ、それで生活ができる人がプロ」
▲「ピアノの先生はそれで報酬を得て生活しても、演奏のプロではない」
 厳しい意見のように思われる方も多いだろうが、じゅうぶん納得できる話だ。
 
 以前も書いたが、マロニエ君は数年前にコンサート情報誌の編集発行を手がけた経験があり、その経験は音楽の世界のいろいろな実情を垣間見ることができた。
 
 今こうしている間にもあちこちの有名でないピアニストが、世の中から事実上無視され、自分の身の振り方に明確な答えを出せないまま、ピアノと自分という関係性に悩み逡巡していることだろう。こういう人は、日頃は先生などをしながら数少ない演奏機会(伴奏や共演などを含めた)を待っているが、それも多くの場合たいしたコンサートではないことははじめから知れている。
 そういう人の中から、ついにその状況を打ち破って自主コンサートを企画する人が出てくる。ピアニストはピアノを弾くというのが本分だろうから、自らの手で機会を作ってでもステージ上で演奏し、喝采を浴びたいという心情は個人としてはわかる。が、これがさらにやるせない方向へと事は進む。チケットが売れないという最大の難関があり、要するにお客さんが動員できない。公的機関の後援等をとりつけても、大半の場合彼らは何一つしてくれない。申請書に記入し、公序良俗に反する催しでないと判断されれば、後援名をチラシやチケットに「記載して良い」という許可が下りるだけで、一枚のチケットさえ買ってくれるわけではない。
 日時を決め、ホールを予約し、プログラムを決め、チラシやチケットを作る。やがて始まる猛練習と並行しながらチケット売りという、できもしない営業活動の開始となる。しかし、売れる数など微々たるもので、ホールの客席が埋まるような数とは程遠い。大手のチケット販売会社や有名プレイガイドに高い料金を払ってチケットを委託していても、気の毒とは思うが最終的に合計10枚も売れないのがごく普通だ。そのうち生徒の親に押しつけ、友人知人に一枚売って一枚サービスというようなことがはじまり、最後はタダで配りまくるか、それをしない人は使われる見込みのないチケットの束を抱え込むことになる。
 かくして◎×△□ピアノリサイタルは開幕の運びとなる。客席には半分も人がきていれば御の字だし、必要経費だけでも赤字が出なければ良しとしなくてはならない。本当にお疲れさまというわけだが、尋常な判断から言えば、これでは一体何のためにやっているのだかわからない。
 
 上記のようなケースはせいぜい数年に一度きり、自分自身の記念イベントのような思い入れでどこか控えめにおこなわれる面もあるからまだ可愛げもあるといえよう。ところが、ステージには魔物が棲みついていると巷間いわれるがごとく、リサイタルというものに取り憑かれ、どんなに醜態をさらし、恥をかき、無理に無理を重ねても、やめられない中毒症のような人がたまに現れる。中にはかなりの重症者もいて、毎年のリサイタルツアー!?を恒例化し、それを何十年来続けているという強者もいる。もちろんそれに相応しい実力が伴ってのことではないから、すべてが自主開催で、東京文化会館のような本物の集まる会場を含め、主要都市4~5ヶ所を巡回するわけで、さらにはCDも何枚も作って販売している。形だけはいっぱしだが、これらはすべて自費開催/自費出版なのだから驚く他はない。さらには、常日頃から取るに足らない小さな演奏の機会(幼稚園の発表会から結婚式まで)にまで食指を伸ばし、それらを掃除機で吸い取るがごとく掻き集めて、ご当人は演奏のために東奔西走する「ピアニスト気分」なのだから、勘違いもここまでくればただただ恐れ入る。
 入場料もCDも他にひけをとらない金額設定だから、会場は当然ながら毎年毎回同じ顔ぶればかりが集まることになる。運悪く知り合いにこういうピアニストがいたらお付き合いもたまったものではないが、そういう意味では日本人は本当におとなしくて優しい民族だといえるだろう。終演後は有名ピアニストよろしくサイン会がはじまり、CDを買った人には直筆のサインがもらえる他、ときには自分のカラー刷りポスターにまでサインするというような場面もあるらしく、ここまでくるとちょっとした有名スター気分に酔いしれているのだろう。
 
 世の中にはいろんな道楽をする人がいて、自己責任で楽しむぶんには結構なことだと思うが、趣味でも道楽でも全てに共通する鉄則は「人に迷惑をかけない事」だろう。家計も省みずブランド品の買いあさりに血道を上げる主婦もいると聞くが、リサイタルなどという芸術行為に形を変えた、このようなまことに手の込んだ道楽は、多くの人達に甚大な迷惑をかけることで成り立っているのだから、なんとも質が悪いというか救いようがない。
 マロニエ君もこの手のコンサートには何度か行ったことがあるが、いやはやスリル満点とはこのことで、音楽性云々以前にともかく曲が終わることを我知らず祈るばかりで、気付いたときには得体の知れない猛烈な疲れに襲われている。もはやミスタッチなどという生易しいものではなく、随所でクラッシュが盛大に発生し、ご当人さえどこを弾いているのかさえわからなくなっている場面がしばしばだったりする。もともと下手なのか、練習ができていないのかはわからないが、客席から見ているとなんともいたたまれなく哀れに見えるが、それでもご当人はなんのその、絶対に演奏会を止めるようとはしない。
 他人が見てさえそうなのだから、さぞかし家族は悲痛の極みだろうと思うが、もしかしたら一緒に喜んでいるのかもしれない。本当に世の中にはいろんな人がいるものだ。