#32.ステージで弾くベーゼンとヤマハ

 ぴあのピア会員のK.Hさんのお誘いで、ホールのピアノの練習利用というものに行ってきた。
 マロニエ君の住む福岡は市内はもちろん、郊外にもいくつものホールが点在し、それぞれに素晴らしいピアノが設置されているが、今回行ったのは福岡市と北九州市との中間地点に位置する、まさに郊外型のホールだ。ここは美しい田園の中に立てられた開館22年目を迎える本格的な文化施設で、同じ建物の中に多目的ホールと音楽ホールが隣り合わせに造られている点がひじょうにめずらしい形態のホールだといえる。珍しいのはそれだけではない。設置ピアノがヤマハのCFと、もう一台は定番のスタインウェイではなくベーゼンドルファーの275というのが特徴だ。ベーゼンを設置したホールというだけならそれほど珍しいものではないが、そこにはまず必ずスタインウェイがあり、その上でのベーゼンという構成となり、そうなるとステージ用のピアノだけで4~5台という陣容に達するわけだが、ここは上記の2台のみであるところが異色だろう。
 
 この練習利用というのはホール側の企画によるもので、このホール所有の優れたピアノをときどき一般人にも練習目的に提供しようというものらしい。K.Hさんが予約された時間にマロニエ君が便乗させてもらえることになり、2時間のうちの半分を思う存分弾かせてもらうという貴重な体験が出来た。
 ホールの人の案内についていくと、練習利用といっても音楽ホール(622席)のステージ上に2台のコンサートグランドが整然と並べられており、それなりに本格的なものだからちょっとしたステージ経験にもなる。ただし、客席は完全にライトが落とされた暗闇だし、ステージには反響板が一切置かれないから、舞台の3面はいわゆる裏方の設備類がむきだしの状態で、本来のホールの響きではないだろう。さらにピアノは2台とも調律はされておらず、これらのピアノの本来の力ではない状態という条件つきとなる。それでもホールのピアノをステージ上で思うままに体験できるというのは、我々シロウトにとっては貴重な体験であることは間違いない。
 ピアノはマロニエ君がベーゼンドルファーの中でも個人的に最も興味を持っていたモデル275で、これは現在のカタログにはない昔のアーキテクチャによって作られたピアノで、現在は280というモデルがこれに代わって製造販売されている。
 ステージの背面から入って徐々にピアノに近づくにつれ、辺りを払うような格調高い存在感とフォルムの美しさ、造りの見事さと溢れ出る気品に思わず息をのむようだ。インペリアルの過剰ともいえるサイズやいささかグロテスクな佇まいに比べると、この275はまったく文句の付けようのないバランスの良さが漲っていて、音を出す前からそのとろけるようなシックな雰囲気に呑み込まれてしまいそうだ。なんと上品で美しいピアノだろう。ただもう、ため息が出るばかり。
 中を覗いても、深い飴色のまるで陶器のように滑らかなフレームの上に、全ての弦が伝統の一本張りで整然と張られており、それらの織りなす一種独特の景観は、まるでこのピアノ自体が芸術品のようだ。
 
 見た目のことばかり言ってもはじまらないので、そろそろ音を出してみる。まずタッチが現代の平均的なコンサートグランドよりいくぶん軽めで、音色も優しげな音の立ち上がりとともにふわっとした響きが立ちのぼり、このピアノは生まれながらにそういう性格を作り手から与えられていることがわかる。よくベーゼンはタッチコントロールが難しいと言われるが、マロニエ君はちっともそうは思わなかったし、むしろこちらの意図に敏感に応じてくれる極めて優れたピアノだと感じた。音楽的な気分をふくよかに蓄えて弾いてみれば、どこまでも繊細かつ温かく反応してくれる。しかし、やはり基本的にはパワーで押しまくったり叩きまくるタイプの弾き方は頑として拒絶してくるだろうから、相性は弾く人によるのだろう。
 はじめは簡単なベートーヴェンを弾き、続いてショパンの幾つかを弾いてみる。素晴らしいピアノだけに調律が全くなされていない(というか明らかに狂っていた)のがあまりにも残念でならない。だがやはりその実力の一端には充分触れられたのは間違いない。
 ところどころで横に並ぶヤマハを弾いてみるが、ベーゼンとこうして隣り合わせでの直接比較ともなると、頭ではわかっていても、実際ここまで違うものかということをまざまざと感じる。相手がベーゼンだと、こちらはとにもかくにもごく普通のありふれたピアノという印象でしかない。ここのヤマハは古いCF(CFII、CFIII、CFIIISの前身)だからタッチも昔のヤマハらしい、やや鈍くてねばっこい感じがあり、しばらくベーゼンを弾いた後では、却って弾きにくい印象となった。逆にK.Hさんは普段慣れているぶんヤマハのほうが弾きやすいという意見だった。
 ベーゼンドルファーはガンガン弾けば嫌がり、繊細な表現をしようとすれば上機嫌でピアノがついて来てくれる芸術家肌。対するヤマハは逆にガンガン弾くぶんには我慢強い日本の旦那さんのように受け止めてくれるが、繊細な領域になると忽ち不器用で気の回らない人のようだ。これはあくまでもこの2台のピアノ個体のことであると断らなくてはならないだろうし、もっと繊細な表現性をもった新しいアクションを備えるヤマハもマロニエ君なりに経験しているので、これをもってヤマハの代表的な特徴だと言うつもりはまったくない。しかし、やはりベーゼンの血統からくるとしか思えない表現の妙と音楽性にはただただ感銘を受けた。
 後半は、このウィーンの名器に敬意を払ってシューベルトの後期のソナタを少し弾いてみたが、まさに水を得た魚の通り、曲と楽器がピッタリと一体化し、しばし陶然となるばかりであったのは鮮烈な経験として忘れがたい。
 
 過日弾き比べしたスタインウェイD/ベーゼン・インペリアルのときに感じたことと同様に、この275もピアノとしてのパワーという点においては、やはりそれほどのスタミナはなかった。もちろん、それがダメだと言っているのではないし、ベーゼン固有の長所や美点は数多い。しかし、現代のピアニストがコンサートでこのメーカーのピアノを積極的に選ばないというのも、広いホールでの一発勝負の演奏という大前提がある限りは分かるような気がした。逆にこのピアノに適した曲を個人的に弾いて楽しむぶんには、おそらくこれ以上のものはないだろう。
 先にも述べたように275は旧型モデルであるから、現行の280になれば、おそらく現代のコンサートピアノの様々な要求を満たすべく、パワーをはじめいろいろな変更がなされているものと想像するし、また、そうでなければわざわざモデルチェンジする必要もなかっただろうと思われる。これを敢えて「改良」といわないのは、マロニエ君自身が未だ280に触れたことがないことと、往々にして昔のモデルのほうがメーカーの目指す楽器としては魂の純潔性が高い場合が多いからだ。
 見た目のデザインも280はやや野暮ったい感じになったが、275のほうは遙かに格調高く、スマートで気品がある。弾いた感じもわずかにだがフォルテピアノ的な良い意味での薫りが絶妙に混ざり込んでいるし、ピン板なども板がそのままむき出しで(普通は金属フレームに隠れてピン板は見えない)、これひとつとってもこのピアノの伝統的な成り立ちが窺える。そのデリケートな持ち味とニュアンスは、現代の大半のピアノが失ったものであり、ことほどさようにピアノに望める限りの繊細な要素を備えていれば、勢い演奏するピアニストも作品も、限定されるのは致し方のないことだろう。このピアノに例えばロシアの作品とか強靱なテクニックを要する華々しいコンチェルトなど、何もかもを要求する方が間違いというものだ。昔は何事においてもそれぞれに棲む世界というものがあったのだということを思い出させられた貴重な体験だった。インペリアルはちょっと引いてしまうけれど、この275なら夜陰に紛れてまたまたピアノ窃盗に入りたい。
 できることなら、このピアノの良さを十全に発揮できる上質なコンサートをぜひともやってほしいものだ。