#35.自分に最良なピアノ

 自分に最良のピアノはどんなピアノか。
 これを探り当て、正しい結論が出せる人は、実は相当のピアノ通である。同時にかなりの経験を積み、応分の授業料を払った人ということにもなるだろう。誰でも、どんなことにも、人には失敗や後悔はつきもので、はじめから最良の結果を出すことなど無理というものだ。いいモノに対する尊敬の念をもち、時間と経験を積むことでようやく結論が見えてくる。だが、ピアノは電気製品やクルマのように容易く買い換えるものでもないし、生活必需品でもないから我々素人には「必要」の大義名分が弱く、そのくせ高額商品ときているから、いざというときには後回しになりがちな品目であろう。おまけに図体は大きく重く、とりあえず長く使えて寿命というものさえ定かではないから、一度買うとなかなか買い換えに踏み切るのは精神的にも経済的にも難しい。それに加えて最近では住宅事情からくる制約もあり周囲への騒音被害への配慮なども深刻で、いよいよ無邪気にピアノ選びなどしにくいご時世となっている。
 
 楽器店の人の話にもよくあるように、ピアノを買う人の多くは「ピアノを買いたいがどこのメーカーがいいんですか?」「どういうピアノを買ったらいいですか?」といった状態での購入となることが非常に多いらしい。日本では国内大手メーカーの製品が品質・信頼性・耐久力の面から無難で良いとされるのも道理であるし、あとは予算とスペース、消音機の有無等が判断基準となり、機種はそれこそ消去法によってたちまち絞られ決まっていく。ここに、好きな音色やタッチ云々という要素が入り込む隙はまずほとんどない。もちろん楽器店の系列や個性によってもオススメは多少変わってくるだろうから、それを含めての出会いというか、偶然の作用もかなり大きいといえるだろう。それだけに信頼のおける店選びは慎重であるべきだろう。
 
 初めにこういう経緯でもって、とりあえず平凡にピアノを買うのは、購入者にも確たるピアノ像が確立できていないのだから致し方ない。したがって目や耳を肥やして本当に気に入ったピアノを買うチャンスは必然的に二台目以降という事になるだろう。すなわち一台目の購入資金と、あとはそのピアノを通じての年月と経験が差し当たっての授業料というわけだ。こんなことを言っているマロニエ君とて同様で、幼稚園の時に両親が購入したヤマハG2を弾き始めたのが自分のピアノとの出会いに過ぎない。
 
 日本人の場合、ピアノと言えばヤマハかカワイしか知らない人が圧倒的で、外国製でもスタインウェイやベーゼンドルファーのブランド名を耳にするのがせいぜいである。国内二大メーカーのピアノもとても優れた良心的なピアノだとは思うけれど、音楽に愛情を持ち、心の充実としてピアノを弾くのであれば、いろいろなピアノに触れてみることはとても意義深いことだと思う。
 
 世界中には数多くのピアノメーカーが存在し、実に様々な個性を持ったピアノがある。
 外国製のピアノといっても、むろん中には粗悪品もあるので、ここで目指すのは中級以上のピアノに限定したい。数少ない専門店を丹念に調べることや横浜(以前は東京)で隔年開催される楽器フェアなどで、さまざまなピアノに触れてみれば、必ず何かを感じる筈だ。
 輸入ピアノといえばスタインウェイかベーゼンドルファーしか思い浮かばないというのも、外車と言えばベンツかBMWしか知らないのと同じで、もっと視野を広げるべきだと思うが、実際問題としていろいろなピアノを見て触るチャンスというのは皆無に等しいからやむを得ないだろう。
 
 さて、ヨーロッパのピアノの中には、実際に弾いてみて、なんとも弾き心地のよい素性のいいピアノが多い。キーに触るや上品な水仙のような美しい音が次々に立ち現れて、表現力も豊かなので、これまで経験したことのないような幸福感に包まれることも決して珍しいことではない。また、それぞれの作りの味わいとか工芸的な美しさなど、その魅力は多岐に渡っており、多くが所有してみたいという気分をおおいに刺激してくる。
 
 知らぬ間に日本製ピアノの音と、それらが醸し出すあの雰囲気が、感覚の奥底にべったりとこびりついている我々日本人にとって、ヨーロッパの多くのピアノはまさにさりげない驚きの連続である。
 強いて言うと、一番の違いはピアノの音がやはり外国語とでもいうべきだろうか。同時に日本のピアノはやはり日本語なのだということも、こういうピアノを弾くと直感的に気付かされる気がする。クラシックの場合、楽曲の大半が西洋の作品だから、こういう生まれのピアノには、たとえば何代も続く京都の素封家の人が話すやわらかで自然な京都言葉のように、しょせんよそ者はかなわない本物の軽妙さがあったりする。同じ弾き手でもピアノの発声や音の構築感から受ける様々な影響が積み重なると、演奏の方向や、ときには本質さえ大きく変わることも当然あるわけだから、やはり楽器の影響は計り知れない。
 
 とりわけ家庭用サイズのグランドに関しては、少なくとも現在日本に輸入されているヨーロッパのピアノは大半が逸品ぞろいだとマロニエ君は率直に思う。音楽好きの素人が趣味で弾く分には、少々値は張るがこういうピアノを家に置くというのはひとつの理想かもしれない。もちろんメーカーによる差異や個性の違いも多々あるから、自分の好みや要求に沿ったものであることは言うまでもないけれど、概ね共通する魅力はさまざまな音の芳醇な美しさ、気品、音楽性──作り手の音楽に対する造詣と文化が楽器に投影されている──ともいえるだろう。まさにヨーロッパの香りと空気がそこらに舞い散り、音も日本語のように平坦に横に広がるのではなく、立体的な声と調べがあり、ハッとするような美しい音を出すことも珍しくはない。
 とりわけ音楽にこだわりのある人が、自分で好きな曲を自由に弾いて楽しむぶんには、過度なパワーや耐久性よりも、こういう美しい歌心のあるピアノを自宅において楽しむのはなんとも贅沢な楽しみに違いない。むろん人にはそれぞれが好む作品などがあり、それに適したピアノを選ぶという奥深い楽しみもあるはずだ。
 
 これがプロのピアニストや、音大生などの過酷な練習の道具というなら、また違った考え方もあると思うが、少なくとも趣味でピアノを弾く人、あるいは腕前はそれほどでもなくとも、デリケートなタッチ変化などをつけながら心のおもむくままにピアノを鳴らし、その音や音楽を心から楽しむといった使い方には、こういう目的に適ったピアノこそ、もっとも美しい音を出すようにも思える。
 
 また工芸品としての佇まいや魅力も注目に値するものが多い。ヨーロッパのように音楽芸術が日常に根付いた国々では、ピアノはいわば人生の伴侶であって、気に入ったものを末永く、ときには何代にも渡って受け継がれていくことも多いから、大量生産の消費品目というような感覚がそもそも伝統的にない。そのぶん作りにも熟練職人の手が多く関わり、美しさと併せてヒューマンな温かさを感じさせるものが多い。
 
 人の心はごまかしのきかない正直な反応をするもので、いかに製品としてはよくできた優等生ピアノでも、大量生産の冷たい影がちらつくピアノには、存在それ自体に温もりは感じないものだ。そこから出てくる音も同様で、情緒的な思い入れや慈しみの気持ち、喜びの感情をごく自然にそこに投じることはなかなか難しいだろう。
 いたずらに古いものや手作りを珍重し過大評価するレトロ趣味はマロニエ君にはないけれども、しかしそこには作り手の息づかいや情熱、労苦、土壌、それらを背負って生まれた楽器としての文化的な背景や魅力を兼ね備えたものであってほしいと願うし、そういう楽器を側に置いて人生を送ることができたら本当に幸福なことだと思う。
 
 ヨーロッパ産のすぐれた家庭用ピアノには、その美しい音や作りのほかに、幸福感を併せて持ってきてくれるような気がするが、だとしたら高い買い物ではあるが、それだけの価値は充分あるのではないだろうか。
 職業音楽家や音大生、あるいはピアノ先生などの考えは知らないけれど、マロニエ君の認識では楽器は決して道具ではない。楽器はそれそのものが文化であり、我々はその文化に触れて音遊びをすることで心の充実を得る。楽器を奏することは、楽曲や楽器に敬意をはらい、美しい音を出し、それを歌わせるという精神性の高い行為である。
 つまり楽器とは尊敬の対象であるべきだと言いたいわけで、楽器とは本来そういうものだとマロニエ君は思っている。