#38.エネスコのCD

 ルーマニアを代表する作曲家であるエネスコのピアノソナタ2曲と、同じくリパッティの作品を収めたCDを購入したところ、これが想像以上に大当たりのアルバムで、マロニエ君にとっても年に数回しかないのヒットのひとつとなった。
 このような自分にとってのヒットCDを得るために、日ごろどれだけの枚数を買っているかと思うと、その打率の低さには我ながらイヤにもなるが、ときどきこういうことがあるものだから止められない。心理的にはほどんどギャンブルみたいなものだろう。
 
 エネスコは(1881-1945)はご承知の通りヴァイオリニストとしても名高い演奏家であったが、作曲家/指揮者/指導者でもあり、20世紀でもっとも偉大な音楽家の一人であることは知られている(もちろんピアノも弾く)。
 彼のピアノソナタ(第1番/第3番)はいずれも堂々たる大作で、共に3楽章からなる作品。当時の流れである民族音楽からの投影や複雑なリズムの交錯、しばしば予兆的に顔を出す無調の要素など、どれも20世紀前後の作曲スタイルを踏まえながらも、エネスコ固有のどこか緻密でモザイクのような完成度を有した音楽に仕上がっている点に感銘を受ける。おそらくは20世紀に書かれたピアノソナタの中では最上の部類にランクされるべき作品ではないかとマロニエ君は思うけれど、新ウィーン楽派のうるさい支持者達からは異論があるかもしれない。
 
 エネスコは長生きをしてかなりの作品を残しているが、演奏される作品は驚くほど少ない。
 主なものでも1つのオペラ、3つの交響曲や組曲他、ルーマニア狂詩曲、3つのヴァイオリンソナタ、2つのピアノソナタ(第2番は存在せず)、いくつかの室内楽曲ぐらいのものである。
 作風は初期には後期ロマン派、後半生は新古典主義の傾向に流れるが、 ライナーノートによればプロコフィエフやストラヴィンスキーとの近似性を指摘する向きあるようだ。しかしマロニエ君にしてみるとロシア勢に共通して見られる勇壮なフォルムや野生的な息づかい等とは根底にあるものがまったく異なると感じる。東欧的な寂寥が全体を支配し、より小刻みな神経の行きわたった緻密さがこの2つのソナタには見て取れる。同時にこのあたりは親交の深かったラヴェルなどの影響もあるのかと思われなくもないが、作品としてはまったくの別物である。ときに長いモティーフが複雑な展開を見せながら、出口を拒絶するように迷走する感じもなくもないけれども、そこがエネスコらしさといえるのかもしれない。
 
 リパッティは夭折の天才ピアニストとしていまだに根強い人気を誇るピアニストだが、わずか10数枚のレコードに目のさめるような演奏を残すや、駆け足で天国の人となった。ショパンのワルツ集やシューマンの協奏曲などではいまだにリパッティの演奏を最高だとする人も少なくな い。
 しかし彼は学生時代から作曲の分野でも賞をとるほどの目覚ましい天分を示していた。
 
 リパッティの作品はエネスコよりも明解かつ古典的で、ここに収められるノクターン嬰ヘ短調は、同じくルーマニアのクララ・ハスキルに捧げられている。彼らしい繊細な感受性から紡ぎだされたほの暗いワインのような作品である。左手のためのソナチネはより親しみやすい作品で、フランス音楽との関係性も連想させる作品だ。
 
 ピアノはベーゼンドルファーを使っているが、普通ならエネスコのようなロマン派後期~新古典主義の語法によって綴られた複雑な要素を内包する楽曲を奏するピアノとしては一見ミスマッチのように思えるが、実際に音として聴いてみるとそれはまったく間違いだということがわかる。
 エネスコ作品の、どこか19世紀を引きずりながらも東欧的香りをもった革新的な響きが、ベーゼンドルファーの柔らかであると同時に、どこか屈折した蒸れたような音色を得ることで、よりリアルに作品の実像が浮かび上がってくるところは、ただもう驚くよりほかはなかった。
 演奏者をそれを十分理解したうえでこの楽器を選んだのだろうから、その賢慮と美意識には脱帽する。
 
 ただし、これをもってベーゼンドルファーが近代作品に向いているという単純な結論を出すことはできないし、あくまでもこのCDの世界においての評価に留めるべきだろう。
 演奏は文句なしに達者なもので、奏法も極めてバランス感に優れ、知的なセンスによって統制されているだけに逆に作品それ自体から来る迫りも大きい。むやみな過剰表現や、スポーツ的な雑なタッチなどは微塵もなく、作品に対するピアニストの並外れた理解と献身が成し得たものといえるだろう。同時に忘れてならないのは、それを鮮明に美しく収録した録音技師の手腕と音楽的センスにも多くを負っているといえる。
 このように本当に素晴らしいCDは、演奏、作品、楽器、録音のどれひとつが欠けても成り立たない。
 
 使用されたベーゼンドルファーは、コンサートや録音では一般的なインペリアルではなく、モデル275というひとまわり小型(といっても通常のコンサートグランドのサイズ)を使っている点は大きなポイントに違いない。このピアノを使ったことも、このCDがプラスの結果を生んだという意味では決して小さくない要素のひとつだとマロニエ君には思われる。これがもしインペリアルだったら、低音域の過剰な響きなどが全体を重く引きずるなどして、この均整のとれた音と響きのプロポーションは失われたかもしれない。
 275だったればこそ全体の音量バランスにも優れ、俊敏な表現性や響きのスピード感などに恵まれたことは、結果からみるとエネスコに限らず、より多くのレパートリーを可能にするような気がする。
 
 最後になったが、ピアニストは藤原亜美。
 芸大からパリのコンセルヴァトワールへ学び、満場一致の一等で卒業したという経歴の持ち主だが、それもうなずけるような表現力、技巧、解釈、洗練、完成度などまことに見事という他ない演奏をしている。
 
 以前のマロニエ君の部屋にも以前書いたことだけれど、日本人ピアニストの中にはこの藤原さんのような一般的な著名度こそ高くはないものの、その演奏は世界のどこに出しても一級のものとして通用する傑出した才能の持ち主が、この潤いのない世の中のどこかで静かに棲息し、淡々と自己の芸術活動を続けていることは、ほとんど奇蹟のような気がする。
 同時に紙一重の事情に恵まれずに、このようなCDに結実するなど日の目を見ることなく終わる様々な事例もあるかと思うと、なんとも残念で仕方がない。また、本当にCDを出してほしいと思うようなピアニストはなかなかそういうことはしてくれないし、その一方でなんとくだらない、質の低い商業主義の、あるいは自己満足のCDの多いことか!
 
 それでもときには藤原さんのような希有な才能の持ち主が、その高度な解釈と優れた演奏によって、埋もれかけた芸術作品や優れた演奏を生きた音楽としてわれわれに紹介してくれることはなにより嬉しいことで、まさに賞賛に値することである。
 実際に彼女は多くの隠れた作品を録音しておられるらしく、今後の活躍にも大いに期待したいし、他の作品演奏も聴いてみたいところだ。
 
 こういう思いがけない驚きに立ち会うと、えもいわれぬ幸せと満足に包まれる。