#40.ピアノサークル

 昨年(2009年)の11月、マロニエ君としてはとてつもない気の迷いが起こり、「自分の意志で」ピアノサークルなるものに参加してみた。私的にも節目になる大きな変化があり、このころようやく一段落ついたことに加えて、ちょうどこの時期はアメリカ大統領選の真っ最中で、オバマの「チェンジ」のフレーズが連日のテレビを賑わす中、柄にもなく少し新しいことに取り組んでみようという気がしたわけだった。
 それがピアノサークル参加なのだから自分でもどうしようもなく笑ってしまう。普通の人ならたかがそんなことぐらい、大げさに言う程のことでもないのだろうが、マロニエ君のような性分の人間にとっては、自分からピアノサークルへ参加してみるなど、自分も周りも到底考えられなかった行動で、もし1年前までならおそらくどんなに人から熱烈に誘われても頭から取り合わなかったに違いない。
 実はずいぶん前にピアノに関するサークルを仲間内と作ったことはあったけれども、それは男性中心のピアノマニアの集まりで、よくあるピアノを演奏するためのサークルとはかなり内容が異なっていた。だから「人前で弾くことを目的としたピアノサークル」に飛び込むという行動は、自分にとってはまさに清水の舞台から飛び降りるような行動だったのである。
 
 マロニエ君が知るピアノ絡みの人達(ピアニストを除いて)はみんな似たりよったりの価値観の持ち主で、人前でピアノを弾くなどという大それた事をすることは、普通はまずないし、それだけは絶対したくない、もしくはしてはならない事という、ほとんど常識同然に考える人達ばかりだった。だから、自分が取り立てて異質だというような意識も当然なかった。
 人前で弾くということは、必然的にそれに見合うレベルの技巧と才能を持っている筈であるという、ごく自然な共通認識があり、だから自分のピアノ演奏なんて、とてもじゃないが人には聴かせないのが当たり前であって、これはほとんどピアノの世界の暗黙の掟とでも言うべきものだった。少なくともそういう認識が自然に体の芯まで染みわたっていた。下手なピアノを人前で弾く無邪気など、記憶にないほど昔に摘み取られてしまっていた。よくよく思い出してみても、人前で弾いたのは拝み倒されて弾いた結婚式などの二桁あるかないかの記憶と、あとは音楽学院でときおり自分に順番がまわってくる院長による公開レッスンの生け贄になるときぐらいしか思い出せない。
 そういう空気の中で長い年月を過ごし、かてて加えて自分の生来の性格(衆目の中での目立つ行動を極端に忌避する)もあり、人前はおろか、自宅のピアノの調整の途中や、調律が仕上がったときの確認のために「ちょっと弾いてみてください」と技術者からいわれるのさえはっきり言って苦痛だった。昔はそのせいで調律師が来たときはわざと外出したり居留守を使うほどそれは嫌だった。
 だからこれはスペシャル級の、ほとんど人格が変わったに等しいほどの極めて挑戦的な試みだったわけだ。
 
 記念すべき参加初日は、会場が市内のピアノ店のショールームを借りるというもので、ここは以前からマロニエ君のよく知る店で店主とも知り合いだったこともあり、少し早めに行って雑談などしていたが、時間が近づくにつれポツポツとそれらしい人が集まってくるのをしおに会話は打ち切り、至って神妙なおとなしい態度で待ち受ける。なにしろ自分は「新入り」なのだから。
 刻限には参加者の全員らしき人達が滞りなく集まり、最後に現れたリーダーとおぼしき若い男性が簡単な挨拶をして、ただちにサークルの「例会」なるものが始まった。べつにあらたまった前口上が要るとも思わなかったけれど、リーダーの男性がいともあっさりピアノの前に腰を下すや、なんら躊躇なく曲を弾き始め、まずこの光景に思わず血が逆流するような戦慄を感じた。さすがはリーダーというべきか、その並大抵ではない意志力と行動力には、衝撃で全身がわなないた。このときの一連の光景は今でも鮮明に覚えていてるが、要は軽いショック状態に陥ったのだろうと思われる。
 
 自分があれほど長年嫌がり畏れていた人前でピアノを弾くという行為が、こんなにも易々と何憚ることなく開始され、当然のように進行し、それがここではなんら恥でもなければ異常とも見なされず、どこからも怒られることもないという目の前の現実。弾き終わってパラパラと拍手を受けるも至って淡々としたその様子は、自分の常識が雪崩のように一気呵成に崩れ落ち、すぐには目にしたものが認識として追いつかない強烈なものだった。かつて知らなかった世界、まったく価値観の異なる世界が紛れもなく存在することを、問答無用に叩き込まれた瞬間だった。
 続いて人の良さそうな女性が進み出て、はにかみながらも首尾よく自己紹介を済ませるや、こちらもまた同様に平然とピアノに向かい、すぐ何かを弾き始めた。すごい!…とにかくこれはただごとではないと思った。 ようするにこの繰り返しで、これがピアノサークルの実体であることをショック療法のように体験した。この日はいくらなんでもマロニエ君が弾くのはその精神状態においても到底不可能だったので、見学のみとさせてもらったものの、こりゃあ次からはそうはいくまい…。
 
 次は翌12月に場所を変えて行われ、マロニエ君は一回目の見学入隊を経てもなお、かろうじて逃亡することなく踏みとどまり、ついに心を決めてこれに参加した。ところが神さまの意地悪なのか、弾く順番は椅子に座っている通りということで、文字通り末席に隠れるように座っていたマロニエ君は本当に最後になってしまった。むろん早く弾きたかった訳ではないけれど、自分の番をドキドキさせられながら待つ時間は少なくとも最長になった。これはきっと人生上の何かの試練だと思った。だいいちピアノを弾く以前に、なぜみんな人前であんなにスラスラと自己紹介などできるのかさえ不可解だし、ひょっとするとこれは自分のほうが異常ではないかと思ったりした(たぶんそうなのだろう)。そんなことを考えても何をしても、刻々と自分の番は近づいてくる。
 
 ついにその時がきた。椅子から立ち上がるのも、ピアノまで歩くのも、まるで処刑台に向かうようだった。そして、意を決してともかく短い曲を2曲弾いた。全身が満場の視線で焼かれるようだった。どう弾いたかも良く覚えていない。弾いたというよりは、指先だけ動かしながら、必死に鍵盤にしがみついていたようなものだったろう。
 終わってみれば、確かにちょっと何かが変わったというか、まあ人前でピアノを弾いたところで、ここの人達の前でなら何か罪科を負わされるわけではないことはひとまず立証された。
 それにしても驚いたのは、他の参加者の大半は、ともかく「人前で弾きたい人」が断然多いことだった。ここでは拙ない自分の演奏を他人へ披瀝することへのためらいや罪悪感より、専ら無邪気な自己快楽が優先されるようだった。一通りの予定曲目が終わると二曲目に挑戦する人が再度ピアノの前に立ち、さらに残りの時間は希望者のみ弾き重ねることができるのだが、ここでみんなはモジモジしはじめる。弾きたい故のモジモジらしいことがさらに目を見張らされる。さりげない中にチャンスを獲得すると、すっくと立ち上がり脇目もふらずピアノに向かうその姿は、まるで勇敢な戦士のようでただただ感心するばかり。
 カラオケに行くと人が変わったように熱唱を繰り返して、握ったマイクを離さない人がいるらしいが、対象がピアノに置き換わっただけで、まあ基本的には共通するものがあるのだろう。こういう風に気さくに世間と馴れ合うことができたら、自分の人生もずいぶん違ったものになっていただろうと、愚かしく曲がりくねったこれまでを思わせられてしまった。
 
 ピアノサークルというのは、全国のあちこちに存在するようだが、どこも基本形態は大同小異のようで、決められた順序で次々にピアノの前に歩を進めては巧拙様々な演奏を披露して、そのつど善意の拍手を受けるスタイルに大きな違いはないようだ。ピアノ演奏ということで予想される音楽性とか曲の解釈といったことよりも、もっとずっと気軽で単純なレクレーションというか、任意の大人の学芸会といった色合いが強い。ピアノサークルという形態を通して各人が練習成果の発表の場を互いに提供し合い、同時にそれを目標にして練習のモチベーションアップにもなるという、なるほどよくできた相互メリットが上手く機能していることが理解できてきた。
 取り扱うものはピアノであり、音楽であり、古典の偉大な芸術作品であるけれども、専ら各人による自己表出の巡回がここでの主役となる。また自己表出という点では、ときどき自作の曲を披露する人がいらっしゃるが、困ったことに、どれもがなぜか長大かつ同じように聞こえていまうのは、よほどマロニエ君の耳が悪いのだろう。
 
 ともかく、こういう世界もあるということがわかったし、中途半端な自称音楽家が金銭の絡むコンサートもどきのような迷惑行為に及ぶよりは、参加者全員が場所代などの経費を均等負担し、だれもが当事者として楽しめる、このようなサークル遊びの方がよほど罪がないといえるだろう。人には自ずと分というものがあるから、そこをわきまえて楽しく遊ぶぶんには誰からも文句は出ないはずだ。
 敢えて言うならば、ピアノサークルの楽しさのメインは下手クソによる滑稽な挑戦の姿と、その演奏の中に息づく泣き笑いであるということがわかったし、その点でいうとマロニエ君も演奏資格はじゅうぶんだろう。
 逆にこういう場で難易度の高い曲を上級者ぶって弾く事ほどつまらないものはない。むろんピアノの腕前は高い方が良いに決まっているけれど、こういう方ほど場の空気が読めない方が時折いらっしゃっるのは、却ってご当人達がお気の毒にさえ見えて仕方がない。ピアノサークルは努々自慢大会ではないことは参加者はなにより心しておきたいところだ。
 
 最後になったが、この文章を書いた時点で、マロニエ君は入会から都合4回の人前演奏をしたことになる。サークルのお陰でそれなりに場数が踏めたわけだ。もちろんマロニエ君は場数を踏む必要などどこにもない人間なのだから、そこにこれといった意義を見出すことはできないが、まああまり原則論に縛られず、アバウトな楽しみの流れに身を任すのも、こうしたサークル遊びには必要ということも併せて理解できたように思える。
 サークル参加を通じて、なにやら新しい社会勉強ができた気がする。これもまたカルチャーショックのひとつに数えてもいいのかもしれない。ピアノサークル自体はいまだにいろいろと馴染めないものを抱えてるマロニエ君ではあるが、それなりに楽しい思いもしたし、親しくお付き合いのできる方々と知り合えたことは自分の新しい財産だと思っている。