#42.ヤマハとカワイ

 日本を代表する量産ピアノの二大トップメーカーであるヤマハとカワイ。
 この両ピアノの一番の違いはどこにあるのかとお考えの方も多いと思う。
 迷えるピアノ購入予定者からこの点を問われて、即座に明瞭妥当な回答のできる人はなかなかいないのではと思われる。
 マロニエ君としてもいろいろと感じるところはあるけれど、それをひとつの考えとして整理したことがなかったので、いつものように「あくまでマロニエ君の個人的な印象」として、これまでの経験の中から感じたままを述べるが、努々断定する気はないことはお断りしておきたい。
 
 まず単純に音の違いからいうと、ヤマハはどちらかというと遊びや色彩のない実直な音がする。人間でいうと、高学歴の上級公務員という感じだろうか。
 誰がどんな弾き方をしてもだいたい一定水準の音が出るから、万人受けするのもよくわかる。それだけに奏者にタッチによる音造りを要求する、あるいはその必要を体感的に悟らせるタイプのピアノではないかもしれない。いわゆるヤマハの音というものはマロニエ君なりの漠としたイメージはあるものの、それはおかしな表現だが、あえて個性を作らないようにした匿名的な音という範囲でのイメージでしかない。いつまでも弾いた(聴いた)人の心にこびりつくような残像感のある音とは正反対の、翌日にはもう忘れてしまうような普遍的な音で、現に30年近くにわたって2台のヤマハを使い続けたマロニエ君自身でさえ、ヤマハの音の個性ということになると未だに掴みきれないでいる。いうなれば「最もわかりやすくて、最もわかりにくい音。」これがマロニエ君の抱くヤマハの音だ。
 しかし、相応の力強さと中立性は備えているから、どんな曲を弾いても一応サマになるだけの実力は備えている。また非常にタフだから、まずピアノのほうが根を上げるということはないが、その分どこかいつも冷静で、キッチリ仕事をこなすが口数は少ない秀才肌で、すくなくとも笑顔や冗談が似合うノリの良いタイプではない。
 
 いっぽうカワイは、どちらかというとやさしみがあり、いくぶんかの華やかさがある。ヤマハに比べると若干線の細い感じもあるが、弾いていて楽しく、フレンドリーなのはカワイの音色だ。しかし、激しい曲をパーカッション的にガンガン弾くような場合はヤマハの強靱性が支持されるだろう。
 カワイのピアノには効果的な倍音が多く、響きにもちょっとした繊細さがあるので、それが音楽的にも様々な効果を生み、曲を美しく表現したい奏者には向いているという気がする。いわゆるヒューマンな温かみという点では若干ながらカワイだと思う。ただ、現在はどうか知らないが、これまでの経験で言うと機種や製造時期よるばらつきもあるようで、特定のモデルにうっとりするような素晴らしくバランスの良いピアノがあるかと思うと、ちょっと理解に苦しむ、いただけないモデルもあったりする。ヤマハにはこういうことはとても少ない。
 
 もう一つ、ヤマハとカワイの音の違いでいうと、パンチ力だろうか。
 これは「良く鳴るピアノ」というのともちょっと意味合いがちがうのだが、ヤマハは弾く人に一定の満足を与える力強さをもっていて、スポーツ的な手応えや迫力に包まれることが好きな奏者にはそれなりの満足が得られるが、カワイは繊細さの代償なのか、こういう局面ではピアノによっては鳴りの底つき感が現れる場合もある。全体にヤマハのような力強さとは違う個性だから、ヤマハに馴れていてカワイの魅力に気付かないままだと、ちょっと物足りない感じだけが残ってしまうかもしれないし、そういう人はヤマハを弾くと安心できるのだろう。もちろんこれらは大差ではないが、やはりそこには微妙な違いがある。
 
 専門家によると、カワイは響板が若干厚めに作られているので、そのぶんパワーが少し弱い原因かもしれないという話も聞いたことがある。これは裏を返せば響板は適度に薄いほうが振動の伝達性も強まり、鳴りの力を増すということかもしれないが、むろん単純に薄ければいいということでなく、それを裏付けるだけの周到な設計がなによりも肝心であることは言うまでもないし、材質の問題も当然あるだろう。
 
 さてこの両者、聴く側から見るとどうだろう。
 ヤマハは上記のように音の強さがあり、ピアノによる個体差はとても少ないと思う。とくにアタック音も強めなので、パンチが効いて運動技巧的な演奏などには効果を発揮するだろうし、フォルテの連続するような激しい曲を挑みかかるように弾く人、あるいは派手な演奏で聴く人やその場を圧倒したい場合には向いているかもしれないが、いささか耳に疲れてくる種類の音であるのも否定はできない。
 その点ではカワイの方が基音に柔らかさがあり、弾いても聴いても疲れが少ない傾向があるような気がする。もちろんこれは聴く人の個人差もあり、奏者による差もあると言わなくてはならないかもしれない。しかし、ひとつの例として述べておくと、ピアノサークルなどで演奏者が絶えず入れ替わり立ち替わりする状況においてもまったく同じことが確認できるし、さらに会場やピアノが変わっても、この二社のピアノの違いには常に同様の印象があるので、やはりこれはあるていど根拠のある事のような気もするがどうだろうか。
 
 印象としてはヤマハはアタック音は華やかで鋭いが、響きは意外にドライでスッと抜けていくように感じるのに対して、カワイはアタック音はそれほどでもないが、響きに揺らめきがあり、それが音の数だけ絡み合ったり部分的に色彩が重なったりするので曲になったときに好都合なことがあるようだ。
 さらに付け加えるなら、ヤマハの音は色彩的ではないものの必要な現代性は備えているが、その点ではカワイはどうかすると、例えて言うと東欧的な音だったり、美しい中にもやや野暮ったい印象を持つことがある。逆に両者に共通して感じる欠点は音楽的な陰翳の不足だろう。
 
 ヤマハの最大の魅力はなんといっても日本製品らしい確かさを持っている点ではないだろうか。いわゆる天才肌とはまったく逆の、隅々まで遺漏なく考え抜かれ作り込まれた完璧な工業製品。これは本来の楽器の生い立ちという面ではどことなく違和感がないではないが、しかしそれもヤマハぐらい設計から品質・耐久性まで、そのすべてが徹底していれば、これはこれで大したものだと言える。基本の頑丈さ、品質のばらつきのなさ、アクションなどの精密機械部分の製品精度や組立のクオリティなど、商品としては差し当たって非の打ち所がないだろう。おまけにその価格が品質に対して安いとくれば、これが世界中で評価されないわけがない。とくにピアノという楽器は、一部の好事家に向けて届けられる恵まれた楽器とは言い難く、生涯の大半を過酷な環境で使用されたり、専門家や学生の容赦ない猛練習の餌食になるなど、非常にストレスのかかる使われ方が多いことも事実だから、こういう場面ではヤマハは最も信頼に足るパートナーとして認められ、さらに費用対効果を考慮すれば双手をあげて支持されることは充分納得できる。
 最近驚いたのは、ヤマハの定番であるC3をある場所で弾いたのだが、これは30年は経過したと思われるピアノだった。それからひと月ほどしてから、ヤマハのショールームで新品のC3に触れてみたところ、なんとまったく同じ要素の音質、同じ響きの特徴で、両者はC3ということ以外、環境も経年時間も何もかもがまるで違うにもかかわらず、一気にひと月前の記憶が生々しく蘇ってきた。目の前にあるのはキズひとつ無い新品ということ以外ほとんど実質は同じだった。これはピアノとしてはただごとではない。ここまで品質が安定しているというのはもはや恐ろしいぐらいで、ヤマハの商品としての実力はやはり並大抵のものではないと思った。その機械的品質と強靱性はまさに世界一という気がする。わけても比類がないのは、その逆境での強さだ。いくらスタインウェイが100年もつといったって、相応の環境とメンテはしっかりと要求するのだから、強さの種類がまるで違う。
 
 だからマロニエ君のイメージでは、ヤマハピアノは頑健な身体を持つトライアスロンの選手のような気がする。そこにある質実剛健な頼もしさは、まるで軍用品のような凄味すら感じる。
 これに対して、カワイはヤマハほどの商品としての凄味はない。むろんこちらも同様の品質は一通り満たしてはいるだろうけれども、その点ではヤマハほどの商品としてのオーラはない。また、ピアノ作りに頗る理想主義的な一面があるかと思うと、一転してドライに割り切った、とても本気とは思えないようなピアノがあったりと、どうもよくわからない面もある。だが、良い楽器に当たったときの素晴らしさは心に染み込む何かがあったりする。
 喩えて言うなら、ヤマハはカッチリとした制服の似合う高級官吏、カワイはちょっと豊かさも知る田舎の文化人といった風情に感じる。
 
 カワイの中でも意外な感銘を受けたのは、たとえば響板に蝦夷松やシレサのものを使ったモデルだ。このように基本設計が同じピアノに産地の異なる上質な響板を使うことで、その違いとはいかなるものかを体験することもできるが、これはかなり大きな効果を上げていると思われる。
 もともとカワイはどちらかというとやや薄味の音というイメージもあるが、ときどきこういった特別な響板や輸入物のハンマーなどを使うと、たちまち濃いダシの利いた音がでてくるあたりもおもしろい。価格差を考えると断然こちらという気になる。
 ヤマハにも似たような性質のモデルが存在するが、その差はカワイほど顕著ではないので、逆にヤマハの場合はマロニエ君なら普及品でじゅうぶんという気になる。それだけヤマハは響板やハンマー等への依存度が相対的に低い、無駄のない設計によって完成されつくしたものということなのだろうか。上記のような耐久性・安定性もそのあたりも関係しているのかもしれない。
 
 あとは見た目の印象だが、とくに新品をパッと見たときの第一印象でいうと、その品質感はヤマハに一日の長があるように思える。ヤマハは隅々まで手抜かりの無い厳しさ、日本製の完璧な高級品といったイメージが漂っているが、カワイはもちろん同様にきちんと作られた製品ではあるけれども、どこかのんびりした印象も併せ持っている。たとえばドイツ人の職人気質の観点から見れば、大半がヤマハの品質を支持するだろう。
 全体のデザインは、ピアノらしさという点ではカワイだと思うが、佇まいがややモダンかつデザインにスキがないのはヤマハだろう。むろんほんの僅かな差に過ぎないのだが、意外や全体の印象というのは僅かなディテールの違いによって大きく左右されるものだ。『神は細部に宿る』と言うように。
 
 これは人から聞いた話だが、ごくごく大雑把に言うと、ヨーロッパと北米ではピアノの音に対する根本的な好みの違いがあり、ヨーロッパのほうは強いて言うなら固めの明解な音を好み、アメリカのほうは柔らかく豊かな音を好むらしい。ヤマハがヨーロッパで、カワイが北米で、それぞれ高い評価と支持を受けているのはそのような背景もあるのかもしれない。