#43.SK-EXとCFIIIS

 「ヤマハとカワイ」では両社のピアノの特徴の違いをマロニエ君の感じるままに述べたが、ちょっと補足しておきたい事柄があった。前章では主に普通サイズのグランドを念頭において述べたものだったが、新しい両社のコンサートグランドについて、最近の印象から。
 
カワイ─SK-EX
 NHKのスーパーピアノレッスンで講師を務めたフセイン・セルメットの演奏による「展覧会の絵」が放映された。このときのピアノはレッスン時に使用されたものかどうかは知らないが、SK-EX(シゲルカワイのコンサートグランド)だった。
 以前コンサートで何度か聴いた従来型のEXはパワーこそもうひとつという感じはあったものの、全体のまとまり感という点ではなかなか好感の持てるピアノだという印象があった。これにさらにこまやかさとパワー感という両面への広がりが出れば相当なピアノになるだろうという、甚だ勝手な予感があった。カワイの販売店に常設されたEXは個室で時間貸しされていたが、その素晴らしさには唸らされるものがあった。とりわけタッチ感の素晴らしさ、さらにはそのタッチによって音色が意のままにコントロール可能な点などは、真に驚くべきものがあった。
 その後、楽器フェアでデビュー間もないSK-EXに触れるチャンスがあったが、これはスタインウェイを彷彿とさせるよう引き締まったピアノで、カワイのコンサートグランドは新しい時代に突入したということをこのとき確信したものだった。
 
 それから1、2年後だったか、いよいよSK-EX使用のリサイタルを聴くチャンスを得たが、結果から先に言うならいささか期待はずれなものだった。たしかにパワーは若干増してはいるものの、まとまり感に欠けるし、むしろある種の粗さのようなものが散見された。ピアノ全体が強力にはなっても、響きに抜けきったような開放感がなく、ただやみくもに鳴っているという感じを受けたし、音色にも華麗さの要素を加えたのだろうが、なんとなく収まりが悪く不自然で、ようするにまだまだ開発途上のピアノという印象だった。折しもスタインウェイの品質低下が囁かれる時期で、いつなんどき日本勢に追い越されるかもという気もしていたが、そんな下克上はここ当分は起こり得ないという確信を得て帰途についたのだった。
 もちろん楽器フェアでの好印象はあくまでも騒々しい会場で自分で弾いた場合の話であって、その楽器をただちにどこかのホールのステージに運び込んでピアニストが弾いたらどうなっていたかはわからないし、後年聴いたリサイタルのピアノも予備知識無しに自分で触れたならどう感じたかは、これもわからない。えてしてピアノとはそういうものだ。ただし、経験的に最も複合的な要素が一台のピアノに厳しく求められるのは、ステージ上もしくは録音使用された場合で、専ら音楽を聴かせるためだけに鳴らすピアノは、言い訳のきかない状態にあり、これこそコンサートピアノの実力が赤裸々なまでに試される場合だと思う。
 
 さて、上記のフセイン・セルメットの弾くSK-EXは、DNA的にはカワイピアノ全体の系譜には繋がるものを感じたけれど、それまでのSK-EXの印象とはかなり異なるものだった。
 全体にツンと鼻にかかったような感じの音で、コンサートで聴いた同型とはまるで別物のような音だった。もちろんコンサートの場合はホールだが、テレビの収録はどこかの宮殿の一室で収録されたものだから、条件が違うことは当然考慮すべきことだろう。念のためステレオでも繰り返し聴いてみたが、要は同じものがより克明になるだけで、イメージ自体はまったくかわらない。
 あれが新しいSK-EXの標準的な音なのかどうかはわからないが、ひとつの思い切った表現をするなら、少し古い時代のピアノにもどったような音だった。別のSK-EXで感じていたような濁りがなくなった代償なのか、そのぶん現代性が損なわれたようでもあり、ちょっとイメージとしてかぶったのはブリュートナーの音だった。あの旧東ドイツの名器に感じる、明るめの音でありながらどこか寂寥感のある少し野暮ったい感じ。根底にあるだろうEXのアーキテクチュアとSK-EX固有の諸要素が上手く合体していないのかもしれないが、想像はこのへんにしておこう。
 きっとカワイはまだまだ良い音を探求している途中なのだろうと考えることにしたい。
 
ヤマハ─CFIIIS
 以前から弾いたことのある何台かのCFは、いわゆる熱血ニッポン的でマロニエ君の好みではなかった。
 その後も改良が加えられ、ついにはCFIIISというややこしい機種名になったことでも、その幾多の成長過程がしのばれる。ヤマハの普及モデルに関しては別項で述べた通りの印象だが、CFIIISには実はこのピアノにしか求められない格別の要素があるとも思っている。まずなんといってもその精度それ自体の美しさがもたらす音粒の均整感と秀麗さだろうか。まさにメイド・イン・ジャパンの面目躍如というべきで、出来の良い個体へさらに丁寧に手を入れられCFIIISには、まるで塵ひとつない茶室のような極限的な細やかさと日本人のもつ清雅なメンタリティの勝利がある。ピアノのレクサスとでもいうべきで、世界に誇る逸品のひとつなのかもしれない。
 音色にも年月を重ねる毎の改良・熟成が進み、強烈な個性こそないものの、とにかくどこからも文句の出ない細心の音造りが達成されている。
 SK-EXとの一番の違いは、マロニエ君からみると現代性である。CFIIISは時代がピアノに求る中でももっとも現代的な音を提供するピアノだろうと思っている。とりわけ録音などで敢えてこの精緻な要素をもった日本技術の結晶ともいえるピアノを選ぶピアニストがいるのも頷ける。
 
 さて、そんな中でもちょっと驚いたのは最近CDで聴いたCFIIISの音だった。
 ボロディンのピアノ曲集で、ピアニストはマルコ・ラペッティ(Brilliant Classics 93894)。
 芯があり、やわらかな肉付きもあり、輝きと気品のある、本当に美しく素晴らしい音だった。録音データによると「YAMAHA CF 3 SA」とあり、最後のAはなんのことだかわからないが、録音されたのは2008年のフィレンツェ。使用されたのは地元のピアノ店が提供した楽器で、技術者もイタリア人のようである。イタリアといえば現在台頭中の高級器を思い出すが、マロニエ君にいわせれば、こちらのほうがよほどバランスもメリハリもあって勝っている面もあると思った。あの高級器との一番の違いは完成度だろう。
 ともかく従来のヤマハのイメージを覆すような、すばらしいピアノだった。コンサートでの実力は未知数だが、レコーディングに供するには最高ランクのピアノだと素直に思った。
 このCDは演奏でも曲でもなく、美しいピアノの音に接するために、なんどでも聴きたくなる一枚である。
 
 こういう感銘は残念ながらカワイではまだない。録音でもこれはという存在感を示せたことは少ないように思うし、例えばショパンコンクールのライブなどを聴いても、カワイにはコンサートピアノとしてのステージの華というか、主役級のオーラ、あるいは楽器に内包されるべき優雅が不足しているという印象を覚える。
 
 ただし、ヤマハもCFIIISに関してだけは、C7以下のレギュラーモデルのあの驚異的な安定品質とは異なり、高低様々なバラツキや傑作駄作が入り交じるように感じる。やはりメーカーの威信をかけたコンサートグランドだけには、材料の厳選や作り込みも異なる、なにか別格の構成要因があるのかもしれない。
 マロニエ君の地元のヤマハには大きな練習場があり、数年前に2台ピアノをやろうということになりCFIIISともう一台はCFIIIだったか、ともかく2台並べての練習をしたところ、その2台のあまりの違いには面食らうばかりだった。音色以前にピアノの発するパワーが土台から違っていたのには驚いた。
 ただ、コンサートグランドに関する限りの印象では、カワイよりヤマハのほうが音色に洗練と甘味があり、そのぶんロマン派作品などには向いているのだろう。
 
 上記のイタリアでのヤマハに印象をよくしていたから、CFIIIS使用のルイサダの新録音であるショパンのマズルカはいやが上にも期待が高まった。これは日本で収録されたものだから、おそらくは選りすぐりの良い楽器と技術者が準備されたに違いないが、こちらは特段の艶も深みもあまりない、ボロディンのCDに較べるといささか平坦で、耳慣れたヤマハサウンドである点はいささか肩すかしをくらうようだった。
 しかし、国内ではこれがメーカー管理下における現在最高かつ代表的な音なのかもしれない。もちろん立派な音であることは間違いないけれど。
 
 それならばというわけで、折り返してロルティのショパンを聴いてみる。こういう流れで聴いてみるとファツィオリはたしかによく鳴っているし、それなりの華があるとも思える。日本人であるマロニエ君としてはヤマハ/カワイにもさらなる健闘を期待したいところだが、両者共に日本人的な抜きがたい暗さを背負っている。ファツィオリを聴いて素直に感じたところはその点だった。
 
 普通サイズのSKシリーズの高品質、あるいは同じくヤマハのCシリーズの均一感などと見比べても、すべての要素が最高レベルでの真剣勝負となるコンサートグランドは、作る側にしてみれば、いわば国の威信をかけた戦闘機開発のようなものなのだろう。よくぞここまでと思うレベルまで来ているのに、同時に、あとわずか二三歩がどうしようもないところなのかとしみじみ思う次第である。