#44.ディアパソンの終焉?

 ディアパソンは、日本のピアノ界における歴史的存在として名高い大橋幡岩氏(1896~1980)によって設計されたピアノだが、すでにカワイ楽器の傘下に与して半世紀が経過、辛うじてその設計思想とブランドを保っていたのは広く知られる通りである。
 
 マロニエ君もかつて小型のグランドを中古で購入し短期間ながら使ったことがあるし、10代半ばまで通った音楽院にもディアパソンが何台かあったので、まったく馴染みのないピアノというわけではなかった。当時はどういうメーカーかもよく知らず、ただ妙に濃い音を出すピアノだという漠然とした印象があったばかりである。
 
 ディアパソンの音の個性は、独特の立ち上がりの鋭い、ぽったりとした重みのある音が特徴で、ベヒシュタインのようだと喩えられることも多いが、柔らかな音造りと丁寧な調律をされると、一転して黒飴のようなとろ味が出てきて、ちょっとベーゼンドルファーを彷彿とさせる一面さえあった。こういう状態の時はシューベルトなどを弾くとなんともまろやかな旋律の流れが太く出てきたりして、ついその気にさせられる個性的なピアノだった。もっとも、うちにあったのは170Eという奥行き170cmほどの小型モデルだったから、低音域では悲しいかな力不足を露呈する面もあったけれど、それでも20年以上使い込んだヤマハより、よほど強い印象を残して後年我が家を去っていった。
 
 日本のピアノとしてはタッチコントロールを反映させられるピアノである点もヤマハ/カワイとは一線を画するピアノだったと思われる。
 その発音の特徴として感じるところは、伸びの良さよりは立ち上がりの鋭さに音色の価値を求めた性格のピアノで、タッチコントロールの必要はここに起因するような気がする(あくまで想像)。悪く言えば頭でっかちの音とも言えるが、そのぶん独特な厚みを持ったインパクト性のある音で、繊細な表現をするのはもちろん、美しいフォルテを出すにも常に一定の留意を求めるピアノである。フォルテでもピアノでも指の単純な強弱だけではない、確かなタッチと美しい音を引き出そうという意志が必要となり、ここにディアパソン固有の設計思想を感じる。
 
 異論反論を覚悟で言うと、大別して、甘くて伸びの良いフランス的なピアノが弦楽器的ピアノだとするなら、ドイツ的ピアノは音の美しさにも峻厳さが裏打ちされ、良い意味での打楽器的な要素を敢えて残しているようにも思える。
 ドイツ的ピアノを好む人は、ガッチリとした確かな発音と極上のタッチ、それに相応しい直線系の凛々しい音色を好むが、フランスピアノ系を好きな人はあくまでも線の表現が可能な曲線的なたおやかな鳴り方を求める。そういう意味ではディアパソンは間違ってもフランス系のピアノではなく、ドイツ系に類別されるピアノだといえるだろう。だからといってディアパソンを必要以上にベヒシュタインに喩える(カタログにも記載がある)のもいささか抵抗があり、やはりベヒシュタインはその価格が物語るように、音も一段と澄みきった高尚なものであるし、工作の美しさでは比類が無いことは付け加えておきたい。
 それでいうなら、カワイはスタインウェイに、ヤマハはファツィオリに、ディアパソンがベヒシュタインなら、シュベスターはベーゼンドルファーというような分類にもなろうが、それはあまりにも暴論でナンセンスであり、却って個々のピアノ本来のイメージを歪めるものだろう。
 
 ディアパソンでは設計者の大橋幡岩という日本のピアノ史に輝くカリスマがこの小さなピアノブランドの広告塔になっている。氏は戦前の日本のピアノ設計者のなかでひときわ輝く巨星で、当初は日本楽器(ヤマハ)に在籍したものの、ヤマハの大量生産への方針転換により袂を分かち、以降いくつかのピアノ製作会社を渡り歩くが、そのつど様々なピアノ設計に着手しているところをみると、よほど突出した天賦の才の持ち主であったことは想像に難くない。
 初期のヤマハや名器との誉れ高いホルーゲルなども氏の設計によるもので、文献によるとディアパソンは氏が小野ピアノというメーカーに在籍した時代に生み出したピアノが原点となっている。氏の設計は最終的に自分の名を冠した「OHHASHI PIANO」として結実するが、これとディアパソンはまったくの別物と捉えるべきだろう。
 
 昭和30年代から現在に至るまで、ディアパソンはカワイによってOEM生産されており、その間も時代の変遷とともにピアノの特徴も変わってきたようだ。以前はまだ大橋氏の設計理念が受け継がれている面も散見されたものの、合理化の波はこのマイナーなピアノの運命を容赦なく翻弄し、とくに近年ではカワイピアノにマークだけを付け替えたようなものまで登場して、うっかりしていられない状況も出てきたので、本来のディアパソンを求める向きはよほどの注意が必要と言える。
 とりわけここ数年では、オオハシデザインのモデルが次々に整理の対象となって、姿を消しているのはなんともいたたまれない。その理由は主に営業サイドの問題だろうけれども、一番の不幸はこのピアノは理解者に恵まれなかったことであろう。日本の二大メーカーのブランド力はあまりにも強大で、その陰に隠れるようなディアパソンが人に知られる機会はごく僅かで、だから展示品もなくなり、するとますます知られることすらなくなっていくという悪循環。
 
 数年前のことだったが、カワイのショールームにもディアパソンの展示がほとんどないので地元のディアパソンの支店に問い合わせをしたことがあり、それを支店長殿が覚えていてくれたらしく、かなり後になってディアパソンの展示会をすることになったのでぜひというご案内をいただいた。行ってみたのは言うまでもないが、そこにあったのは僅か2台のグランドで、そのうちの1台は普段まずお目に掛かることのできない奥行き211cmのモデルであった。
 目下のところオオハシデザインではこの211cmが最大のモデルで(カタログにあるコンサートグランドは完全なカワイそのままのモデル)、マロニエ君はついにこのモデルに触れられるとあって、まさに大願成就の気分満々であった。ところが、ピアノに近づくとなにかがおかしい。かたちが違う! 厳密に言うと、グランドの高音側から延びるリム(外枠のケース)の左カーブの起点がまったく違っていて、カタログ写真と違ってかなり後方に移動している。まさかと思って中を覗いたら、なんとディアパソンの最高機種にもかかわらずアリコート(正しくはデュープレックススケール)が装着されてしまっていた。和製ベヒシュタインを標榜してきたディアパソンには、本来あるはずのない機構である。
 もちろんその驚きと疑問を支店長殿にぶつけたのは言うまでもない。すると「我々も今回、現物を見て初めて変更になっていることを知りました…」とのことで、終始困惑の態だった。
 この当時はカワイが樹脂製のアクションを使い始めて数年が経ち、賛否両論がわき起こっていた時期であったが、その点では木製のアクションを維持し、ディアパソンらしい設定で使用している点ではかろうじて「らしさ」が体感できたとはいうものの、アリコートの採用というのは、いわばピアノの根本概念に関わる重大な変更なので、これには本当にがっかりした。
 
 それいらいディアパソンのことを考えるのはしばらく止めていたが、新しくなったホームページ内に使われている写真は依然としてオオハシデザインモデルの写真なので、もしかしたら、試験的にアリコート付きモデルを出してみたものの、芳しくないので旧に復したのでは?という一縷の望みを持って、ついに浜松本社に電話をしてみた。
 果たしてその想像は虚しく崩れ去った。やはり現在の211cmモデルはオオハシデザインではない由で、いろいろと説明してくれていたが、ついにこちらもしびれを切らして「あれはどう見てもカワイのRX-6と同じもののようにしかみえませんが、カワイとどこが違うのですか?」と聞いた。するとハンマーをレンナー(ドイツのアクションメーカー)を使っていることと、ハンマーローラーがカワイが人工皮革なのに対して、天然の素材を使っているというだけだった。「それはアクション部分の話ですが、ピアノの本体はどこがちがうのですか?」という問いには、それは基本的に同じものであることを認められてしまった。あとは専任の技術者が「ディアパソンらしく調整をする」ということだが、そんなことだけでディアパソンを名乗ることなど、マロニエ君は納得できるものではない。
 
 さらに現在オオハシデザイン・モデルとして残留しているのは、なんと183cmモデルだけであることも併せてわかった。それ以外の全機種はカワイと本体は同じものとわかり、万事休すという気になった。
 ちょっと意地悪かな?とは思ったけれども、「それならばホームページやカタログの写真も差し替えをされないと、見た人が誤解を招く恐れがあるのではないでしょうか?」と言ったところ、「え? 写真でわかりますか?…正直申しますと写真でモデルの違いを指摘されたのは今日が初めてのことです…。」と言われてしまった。なんとも悠長というか、唖然とする他はない。
 カタログというのは本来厳粛なもので、例えば輸入車のカタログなど、本国仕様との取るに足らないような僅かな差異に対しても神経質すぎるくらいで、写真ごとに「本国仕様とは一部異なる場合があります」などと但し書きがつけられているが、それほどピアノのカタログを熱心に見る人もいないということか。
 カタログ写真と実際の販売品がまったくの別物というのは、厳しい言い方かもしれないが、商業道徳にも反するものであることはこの際はっきりと指摘しておきたい。
 
 このぶんでは183cmもそのうち消滅して、RX-3ベースのディアパソンが登場するのも時間の問題かもしれない。そうなると残るのはディアパソンという名前とロゴマークだけということになる。
 
 言い忘れたが、「響板もカワイと同じ素材ですか?」との問いに、「はい、そもそも響板はオオハシモデルの時分からカワイと共通で、とくにディアパソン独自のものを調達したことはございません。」ということだった。これは言われてみて気が付いたが、なるほどあの響板の独特な固い感じはカワイもディアパソンも共通しているなあと納得できた。
 
 いずれにしてもディアパソンのような個性的なピアノが時代の波に呑み込まれて、またひとつ消えていくのかと思うと、言葉もなく、出るのは落胆のため息ばかりである。