#47.今年聴いたショパン(1)

 はじめに。
 
 今年はショパン生誕200年だそうだ。
 この機に乗じて数多くのCDが発売され、関連したコンサートが開かれ、ショパンを題材にしたテレビ番組などが(たまにだが)放映されたりしている。
 そこで、ここでもささやかな『ショパン生誕200年記念企画』を目論んで、「マロニエ君が今年聴いたショパン」の中から、印象に残ったものを書き留めてみることにした。
 対象としては新しく購入したCDがほぼ中心となっているが、あれもこれもと言っていては際限がないし、それらを全て書ききれるかどうか自信もない。
 そこでショパンの代表的傑作のひとつである「24のプレリュード」にちなんで、ピアニストを24人を目標に、どこまでやれるかはわからないが、それぞれの印象を綴っていきたいと思う。
  というわけで、まずは以下6人。
 
 
No.1[マルタ・アルゲリッチ]CD
 マロニエ君は別項で「アルゲリッチのことは何も書かない」と言っており、その意志は今でも変わりないものの、今年聴いたショパンというタイトルで書く以上、どうしても避けては通れないので、あくまで一枚のCDについてという前提で、敢えてアルゲリッチから書くことにする。
 1950年代から60年代にかけてスタジオ録音されたアルゲリッチの未発表の音源が「アルゲリッチ・プレイズ・ショパン」としてCD化され、グラモフォンから今年新たに発売された。彼女の20代までのショパンはグラモフォンから既出の「ショパン・リサイタル」「アルゲリッチ・ピアノ・リサイタル」やアバドと共演した協奏曲第1番、EMIでは同曲のショパンコンクールのライブ、さらにはEMIにて同時代に録音されてお蔵入りになっていた「ショパンリサイタル」などが後年リリースされた経緯があり、曲目自体はかなり重複するものも多いし、演奏も録音も同じ時代の共通したものがある。
 演奏はいずれも若い時期のアルゲリッチがすでに完成された個性を有しているピアニストであることがまざまざと感じられるもの。どれを聴いても彼女の手にかかると曲はたちまち必然的な構造を得て熱を帯び、てきぱきと処理されていくのは呆れるばかりだが、しかし彼女の本領はショパンにはないので、いつもながら、あくまでアルゲリッチとして聴くCDという位置付けとなる。
 今回のCDは正規音源としては初めて出たバラード第1番なども含まれているものの、これはえらく若い蕾のような演奏で、これよりはるかに完成された同曲の圧倒的演奏も非正規録音で存在するので、マロニエ君としてはあまり満足していない。
 当初の予定ではバラード第4番なども収録曲として発表されていたが、なぜか計画は一旦中止となり、その後ジャケットのデザインなども変わり、曲も現在の内容に変更されての発売となった。もちろん相変わらずの見事な演奏で、ずば抜けたセンスや本能に溢れた深い音楽性、人間技とは思えないあの指さばきには舌を巻くが、だからといって特段騒ぎ立てるほどのアルバムでもないというのが率直なところだった。
 それでも強いて言うなら、既出の同年代に収録された彼女の抑制のかかったレコーディング用演奏の中では、かなり奔放なアルゲリッチ節が随所に感じられたから、もしかしたらそれがお蔵入りになった当時の判断だったのかもしれない。最大の収穫は、これまで発表されていない5曲のマズルカが20代の演奏として聴けたこと。いまさらこんなことをいっても始まらないが、せめて70年代、彼女がリストとシューマンのソナタを出したあの時期に、バラードとスケルツォの全曲ぐらいは我慢して出しておいてほしかったと、このCDを聴くにつけまた詮無いことを思ってしまった。
 
 
No.2[ルイ・ロルティ]CD
 知る人ぞ知るフランス系カナダ人ショピニストの最新アルバム。いかにもそつなく手慣れた感じにまとまったという印象。ピアノはファツィオリでジャケット裏にはロゴまで入っているから、同社のアーティストであるアンジェラ・ヒューイットからカナダ繋がりで今度はロルティをつかまえたということなのか。
 内容は後期のノクターン4曲とスケルツォ全4曲を交互に演奏し、最後が2番のソナタで締めくくるというもの。一見意味ありげな作品配列だが、実のところマロニエ君には何の意味も効果もないという印象しか抱けないから、バラードなどはただ単に次のアルバム用に使おうという腹づもりなのかもしれないが、真相は不明。
 表向きは、これといって格別の異論・違和感のない美しい演奏であるものの、なぜか心が沸き立つようなものがない。きれいにとりあえず収まってはいるが、不思議なくらい感動がない。曲も今そこで演奏され、作品が目の前の空気に乗って立ちのぼって花が開くようなみずみずしさがまったくなく、従来からこの人の中に存在し、凝固していたものを、ただ出してきて並べたような印象。
 良く言えば完成されているというべきかもしれないが、率直に言えば創造性の無いBGMのような醒めた感じがある。いかにも「計画通りの演奏」「予定通りの仕事」を終えて、ギャラを受け取って終わったという感じで、聴く者のイマジネーションを想起させるものがない。もしかするとこの人の中では、ショパンに対する熱意や興味が終わってしまっているのかもしれない。
 それに対して、彼の名を一躍有名にしたエチュードはいま聴き直しても、多少の粗さなどはあるものの、若々しい覇気と躍進力に溢れていて、これには熱い支持があったことが納得できる。その点で新譜は、「ショパンはこうだろう」という安心しきったベテラン臭が鼻につきすぎる。
 年齢を重ねても味わいが出てくることなく、聴く者を退屈させる方向に進んでいく人は、結局のところ、若いころの輝きはテクニックだけで聴かせていたということの証左であるのかもしれない。
 
 
No.3[小林愛実]CD/DVD
 インターネット動画サイトのYoutubeで話題をさらった日本人の天才少女がついにCDデビューへ。足がペダルに届かないほど小さな幼女が、いかにも日本人的趣味のお人形ドレスを身に纏い、補助ペダルを使いながらモーツァルトの協奏曲などを意気揚々と弾いてのける一連のドッキリ映像は、動画サイトというカテゴリーに限っていうなら、多くの人の興味を惹いたことは頷ける。
 たしかにその才能は並々ならぬものであることに異存はない。しかし、早くもメジャーレーベルからCDが発売され、自分の財布で買ったCDともなればビックリ映像の少女というだけでは済まなくなり、評価軸もプロの演奏に対するものへとシフトするのは当然だろう。
 演奏は概ね動画サイトで見ていた通りで、ピアノが上手いことは確かにそうだろうけれども、あえて率直に言わせてもらえば品位に欠け、音楽の香りや優雅がなく、まったくマロニエ君の好みではなかった。演奏に際しての姿や動きなども、どちらかというとアクの強い演歌的な匂いを感じる。音楽やピアノを愛で慈しむというよりも、まるでフィギュアスケートなどの〝競技〟のような、超難度の技術達成の様子を記録証明した録音/映像という印象。
 ああいう演奏でショパンに触れた気には到底なれるものではないし、まるでコンクールか音大の試験にでも立ちあっているようだった。スケルツォやエチュードなど、まさに剣士が何かに挑みかからんばかりで、当人はどういう気持で演奏しているのかと考えてしまう。
 まだ若いからと言う向きもあるだろうが、早熟が常識の天才の世界では、14歳といえばもう立派に個性や魅力の原型は確立され、明確に顔を出すにじゅうぶんな年齢である──すべての天才がそうであったように。従ってこの人の本質はこの先もこのまま変わらないだろう。
 
 データによればCDはニューヨークでの録音とあるが、ピアノは確証はないものの音や響きの特質からどうもカワイのEXのような気がするが…。
 DVDでは音も映像もスタインウェイだったが、こちらはサントリーホールの小ホールでの収録だが、曲中のアングルの違いによって会場に聴衆がたくさん映っていたり、まったくの無人であったりする映像が頻繁に切り替わるのは、見ていてストレスになった。こういう意味のない演出は演奏そのものまでいかがわしく見えるので感心できない。
 
 
No.4[ユンディ・リ]CD
 ショパンコンクールの優勝という快挙を成し遂げ、さあこれからという時に、ランランというパンダのような名前の同国のピアニストにサッと油揚げを持って行かれた観のあるユンディ。それを尻目に世界を股にかけ、明らかに実力以上の活動をこれでもかと展開するランランには相当に思うところがあるのではないだろうか。
 今年はショパンイヤーという節目の年でもあり、ショパンだけは譲れぬ!とばかりにコンクール優勝者としての威信をかけ、起死回生を目論んだのか…ともかく今年ノクターン集をはじめとする何枚かのショパンのCDを出したようだ。
 さっそく店頭の試聴盤を聴いたが、果たして一気に興が醒めしてしまい、購入はおろか、熱心に聴き続ける気にもなれなかった。だが、一度だけではいけないと思い、その後CD店にいくたび幾度か聴いてみたが、やはり印象はかわらない。なにしろこの人には湧き出る詩や情感がないし、音楽が重くて固い。それでいて、あまりにもショパンの正統派を目指しすぎたのか、極端なまでにオーソドックスこれ一本なその教科書のような演奏には、却って異様ささえ覚えてしまう。ホテルの磨き上げられたロビーと造花のオブジェのような、キズのない息が詰まりそうな優等生タイプの完璧さで、これはあるいはランランの明るく天衣無縫な演奏へのアンチテーゼでもあり、そこに込めたピリピリとした自己主張のようにもマロニエ君には聞こえた。
 有名音楽雑誌で、彼の今年のワルシャワで開催されたショパンの音楽祭でのユンディの演奏を聴いて、そのコンサートの芸術監督だった人だったと思うが、「スタンダードだが、表現に冒険がない。」とバッサリ切り捨てたらしいが、まさに同感。なんの自発性も喜びも感じられない、楽譜の印刷表示に正確なだけのガチガチな演奏で、アーティストとしての創造性の片鱗も感じない。これに較べたら素人でもまだ幾分かの個性はあるだろう。それほど退屈千万な、まさに蝋人形のように冷たく精巧なショパンだった。 逆に言えばここまで冷徹に音楽の感興を排除した演奏を正しいと信じて一途に出来るというのは、それはそれで大変な才能なのかもしれないが…。ユンディに最も必要な課題は、血の通った「生きた音楽」を奏でることだろう。
 
 
No.5[辻井伸行]CD/TV
 クライバーン・コンクールで一躍時の人となったこの人も、最近になって決勝でのショパンの1番の協奏曲と、子守歌、op.10のエチュード全曲(いずれもコンクールのライブ録音)を入れたアルバムと、コンクール後に録音したショパンアルバム「マイ・フェイバリット・ショパン」が立て続けに出た。
 ライブのエチュードでは若干急ぎ過ぎという印象もなくはないが、溌剌としたこの人の清新な演奏がそこにはあり、これはこれでよかった。しかし協奏曲では一向に生彩も覇気もなく、オーケストラとのアンサンブルもズレが多すぎ、両者共にビビったような演奏になっているのは残念だった。泣いても笑っても一回きりのコンクールライブというのは、こういうこともあるということか。もしこの一曲だけを聴いたなら、よく優勝できたと不思議な気がすることだろう。
 新録音のほうはずっと落ち着いた、彼本来の充実した演奏のようだが、これはまだざっと試聴したのみで買っていない。値段の高い国内版はいつも躊躇の対象となるし、辻井のCDだけでもすでに何枚も買っており、そうそう出るものすべてというわけにも行かず、ちょっと休憩する。
 辻井のショパンでは既出のショパンコンクールのライブもあるが、こちらはさらに数年若いときの演奏で、全体に固さがあり、やはり最近は一皮剥けて魅力が増したという感じだ。総じて辻井のショパンには明るい光が漲っており、これはこれで肯定的に捉えることができるが、将来的にはもう少し憂いや明暗の交錯するような要素が加わればさらによいだろう。辻井の演奏の美点はなにより温かな体温のぬくもりと爽快な流れがあることで、これは教えられたことではなく、彼自身が生来もっているものに違いない。
 情報では立て続けに「展覧会の絵」が発売のようで、ちょっとCD発売のテンポが速すぎはしまいか。彼を取り囲む大人達の生々しいビジネスへのエネルギーが透けて見えるようで、あまり愉快な気はしない。両親をはじめ周りには立派な人物がついているはずだから、せっかくのこの希有な才能を、もう少しゆっくりと時間をかけながら豊かに歩ませて、しっかりと根の張った大樹に育て上げてほしいものだ。
 一時的な流行ものとして食い散らし、彼の才能がすさんでいくのはあまりにも無惨だし、本人にもそれほど辛いことはないはずだ。
 
 
No.6[牛牛]CD
 ランランという雑伎団的な香りのするタレント性の強い中国人ピアニストが出てきて、縦横無尽に世界中を飛び回りだしたと思ったら、こんどはニュウニュウという子猫のような少年が出てきた。
 はやくも初来日して、少年らしくモーツァルトのキラキラ星変奏曲などを弾いて帰ったのはつい最近のことだったように思っていたら、ほどなくして、今度はいきなりショパンのエチュード全27曲というまさに最上ランクの難曲を入れたCDがリリースされた。実はこれだけの実力も持っていたんだぞという、いかにも中国的なわかりやすい二段ロケット式メッセージが送り付けられたようだ。
 12歳でサントリーホールのリサイタルが最年少記録なら、このショパンのエチュード全曲録音というのも世界初だそうで、こういうこともいかにも記録好きな中国人らしい話だ。
 演奏は指運動としてはすごいし、ある種の鋭利な感性は持っているとは思うが、内容的にはまだまだ子供の演奏で、勢いだけで弾いている部分が多すぎ、真の表現に達しているとは言い難い。しかしこれはもしかしたら、上手く育っていけば大物になるかもしれない。が、天才の人生最大の課題は、不安定な青年期をいかに上手く乗り切るかにかかっている。ここでしくじったために過去どれだけの天才少年少女の名が闇へと消えていったことか。ニュウニュウは10代の中国人ピアニストでは最有望株というところで、果たして高値安定のランランを凌駕するかどうか。可愛いようで結構こわい目をしているが…。
 
 それはそれとして、ピアノの音がどうにも納得がいかなかった。薄っぺらで品格が無く、低音などは痩せ細った貧相な音だった。
 ライナーノートには使用楽器に関する記述はなかったが、北京のスタジオで録音していることは記されている。日本や欧米の基準から言うと、ピアノは明らかにクラシックのソロの録音に使うようなシロモノではなく、さては中国のピアノを使っているのでは?という疑念が一気に高まった。そこで知る人ぞ知る四国のピアノ博士のごとき技術者に意見を聞くべくこのCDを送ったら、後日かえってきた返事は、マロニエ君とおおむね同意見で「中国製ピアノの特徴とよく似ている」というもので、そこには具体的なメーカー名まで予想して書かれていた。EMIのようなメジャーレーベルでも、今やこんなCDの売り方もするということがわかった。
 ただ、注目すべきは録音のセンスは決して悪くないことだった。
 これほどダイナミックにピアノの音を録るのは容易なことではないから、そこは高く評価したい。
 
 はじめは失敗かと思ったこのCDも、中国製ピアノを使用した録音ともなれば、これは滅多にあるものではないから、ピアノマニアとしては貴重な一枚になりそうである。