#49.カワイのKG/SK/RX/NEO/GS

 知人のピアノ購入計画の一環として、ピアノ店を少々廻ってみたが、たまたまカワイのピアノ(グランド)ばかりに多く触る機会となったので、こういうことはそうそうあることでもなく、その印象を記憶が新鮮なうちに書き留めることにする。
 
KG-3
 このピアノは最初に行った中古店にあったが、他にもKG-2やヤマハなど数台があり、その中では最もバランスがよく好ましく思えた。すべて中古なので当然ながら新品以上に個体差があり、一概には単純な比較はできないという前提はあるとしても、やはり中古になってもヤマハはヤマハであり、カワイはカワイである。
 同じ場所で隣りあったピアノを直接較べると、マロニエ君には全般的にカワイのほうが自分の好みに合っているのがいまさらのようにわかる。ここにあったKG-3は、店の人の話によると使用頻度の少ない16~7年前のピアノらしいが、見た目には現行モデルはもちろん、より新しいKGシリーズともスケールデザインがまったく異なっていた。フレームの穴も、丸ではなく台形のようなものが幾つか組み合わせられたように開いているし、フェルト類はすべて上品な紺色で、フレームの上品な金色とのコントラストがなんともシックで美しかった。
 驚いたのはこのモデルにはデュープレックススケール(通称アリコート)がなく、駒のうしろはブリッジなしにただヒッチピンによって弦が止められている。しかし鳴りのバランスは悪くなく、低音もよくありがちな下品な音がするでもなく、適度な音色と重厚さのバランス感もあってマル。中高音の音色はデュープレックススケールが無いぶん、飾り気のないストレートな音がして、これはこれなりの美しさと魅力があることがわかる。
 カワイはヤマハよりも遙かに昔からデュープレックススケールを装着していたけれど、このピアノのようにそれのないモデルも近年まで製造していたとは知らず、この点はまったく意外であり発見であった。こういうモデルが存在したことは、一面でそういう響きを求めたということか、単なる製品バリエーションのひとつであったのか、そのあたりのことはわからないが。
 タッチは店の人によればしきりに「ヤマハより重い」とのことだったが、マロニエ君にはしっとり感があって、へたにスカスカのものよりはよほど好ましく感じられたし、これは恐らくはシュワンダーとヘルツといったアクションの機構の問題もあるのだろうが、この点はアクションを引き出したわけではないのであくまでも想像。
 いずれにしろ、このピアノが持つ全体的なやわらかさと、派手ではないが素朴な花びらのような凛とした美しさがある点はマロニエ君は個人的に嫌いではなかった。
 ちなみに店の人の口から出るのは、ひたすら、予算と、メーカー名と、大きさと、ペダルが2本か3本かといったことばかりで、専らこれに終始したのには閉口させられる。
 
シゲルカワイ(SKシリーズ)
 続いてカワイのショールームに行く。
 シゲルカワイの大小4機種が奥の別室にあり、幸いにも店側が我々を好きなように放任してくれたので、この4台を思う存分弾くことができた。高級品らしい「まろやかさ」や「とろみ」みたいなものが全体を覆っているのはこのSKシリーズに共通したフィールで、弾く者にレギュラーモデルとはクラスが違うことをはっきりと主張してくる。とりわけ音の厚みというか重層感は量産ピアノという枠を超えたものがあり、やはりタダモノではないことを痛感する。
 前回の印象とは少々異なり、 今回はSK-2もなかなか良かった。とくに低音などはSK-3よりズッシリと迫るものがあったりして、必ずしもサイズが秩序ではないことも理解できた。もっともそつなくバランスが整っているのはSK-5で、無理のないサイズがもたらす余裕が少し出てくる。それがSK-6になると余裕は迫力へと発展し、一気に世界が変わっていく。
 ちなみに以前も書いたがSK-6以上は白鍵が象牙鍵盤になるのは甚だありがた迷惑で、異様なまでに指が滑るのは演奏の著しい妨げ以外のなにものでもない。恐らくは象牙にもいろんなランクがあるに違いないが、見た目も大根の繊維みたいなものが透けて見えて気持ち悪く、こんなものなら百害あって一利なしでマロニエ君なら躊躇なく良質のアクリルに張り替える。
 当日は生憎の雨模様で、店内は完全空調の空間ではあるが、それでもなんとなくタッチがねっとりしているのはいかにカーボンのアクション採用とはいっても、ピアノの大部分はいまだ木で出来ているのだから仕方がないことか。
 自分で弾いていて、前回以上に感じたことは、タッチ、鳴り、品質感など、なにもかもが滞りなく揃っているように見えるSKシリーズだが、いかんせん音質が暗い。だから全体の雰囲気に陰鬱さがあることが徐々に気になり出す。これは言うまでもなくハンマーの硬軟の問題ではない。ドイツ物など限られた曲ばかり弾いていればまだいいのかもしれないが、ロマン派の作品、とりわけショパンなどを弾くには音色に甘さが不足している。
 そういう意味ではSKシリーズは、音としては辛口大吟醸とでもいったらいいだろうか。
 ピアノとしての総合力は甚だ立派だが、こういうピアノそのものの生まれ持つキャラクターは如何ともしがたい。NHKで放映されたフセイン・セルメットの展覧会の絵でも、この点は鏡に写したようにまったく同じ印象で演奏中ずっとそれが気に掛かったから、逆にいえば、SKシリーズがコンサートグランドから小型グランドまで一貫した品質と個性を有する良心的な製品シリーズだという証明には大いになっているだろう。
 誤解しないでほしいのは、べつに今どきの風潮に迎合したキラキラ系の音がいいと言っているわけではまったくない。ただ、今更言うまでもなく膨大なレパートリーを前提とするピアノとしては、いささか音質に偏りがありすぎるだろう。いくら優秀でも性格がネクラ一本ではピアノというソロ楽器では問題が残ると思う。昔の古いピアノの音を聴けばわかるが、一様に奥深くてやわらかなものの中に、ほのかに甘い響きが明滅するものだ。このような潜在的な音の多様性が、演奏されたときのピアノの無限の可能性を保証しているともいえないだろうか。
 SKシリーズを弾いていてつい連想するのはバイロイトの名器シュタイングレーバーだが、あちらにも音に甘さはないものの、澄みわたる星空のような広大な煌めきがある。もっと端的にいうとシュタイングレーバーには高尚なエロスが潜んでいる。
 SKシリーズの音質の暗さはおそらく響板の特性のような気もするが、もちろん断言はできない。とにかくあとひとつ、キラリと光るものをこのピアノが身に纏ったなら、差し当たり文句はないのだが。
 
RXシリーズ
 シゲルカワイの部屋から出てレギュラー品のRXシリーズを弾いてみると、どれも基本設計が同じなぶん、非常に似ているというか、わかりやすい喩えでいうなら「ファミリーの血のつながり」というものをひしひしと感じる。クラスの違い以外は、なにもかもが同じと言えば同じだが、ひとつひとつの要素が確実に軽く薄く出来ていて、それが文字通り価格の違いとして面白いぐらいまざまざと訴えかけてくるようだ。同じ親から生まれてきた兄弟姉妹でも、ごく普通に育った者と、英才教育を受けさせるなど特別な育て方をされた者とでは、当然なにか根底にある広がりとか奥行きみたいなものが違ってくるのだろう。そういう差がRXシリーズとSKシリーズにはあって、非常にわかりやすい。しかしRXシリーズも良く言えば普通の良さというか、どこかほっと安心できるものを持っているところがあるのも確かだ。
 とくに家庭用など普通のピアノとしては、これはこれでなかなか良質のピアノだと思うが、それでもSKシリーズとの価格差は上手いところを狙っているというか非常に良心的で悩ましくもある。ヤマハのように上級機種となると同サイズでもたちまち二倍近くも価格が違ってくれば、これはもう買う側にしてみれば別世界の商品で諦めもつくけれども、カワイの場合はレギュラー品の3割アップ程度だから、その真価が理解できればできるほど大いに迷う価値があるというものだ。個人的には性能差と価格差がいささか釣り合っていない気もするが、それも安い方にだから結構なことではある。SKとRXの性能差は、価格にもっと大きく反映されても通用するものと個人的には思っている。
 このRXシリーズを、はじめに中古店で見た旧型のKG-3と比較すると、やはりデュープレックススケールが装着されているぶん、良くも悪くも倍音効果があるのだろう、KG-3のような素朴でストレートな感じではなく、もっともらしくやや複雑なものが混ぜ込まれた今日では標準的な音になっている。ただ、全体的な鳴り方としてはKG-3のほうが朗々と楽器が鳴っていたようにも感じた。やはり今の楽器は設計は巧みでも、材料やコストの制約から来る、生まれながらのひ弱さを抱えているのかもしれず、この点は致し方のないことか。
 古いピアノにこだわる人の論拠はやはりこのあたりのピアノの基礎体力にもあるのかもしれない。
 
RX-NEO
 RXシリーズをベースにイタリアのシレサ(カワイではチレーサと呼ぶ)の響板と、英国のロイヤルジョージのハンマーを組み込んだのがRX-NEOというモデルであるが、実を言うとレギュラー品の展示ピアノの中に埋もれていたこのモデルを、自ら早々に判別することができなかった。
 たしかにそれと意識して改めて弾いてみると、シレサ響板のもたらす明るめの音がしていることがなるほど確認はできた。まずこの明るめという点でいうと、マロニエ君は個人的にはSKシリーズの灰色の空のような音質より、このRX-NEOシリーズのほうが、単純な意味での音色という点だけならいくぶん好ましいというかホッとするような面もあった。しかしピアノ全体として見るならやはりSKシリーズの全体が醸し出す上質感は抗しがたいものがあることも事実である。
 言い訳のように聞こえるかもしれないが、このシレサ仕様を見落としたのは、その差が以前ほどの大差ではなかったという理由もある。以前のモデルは本当に一瞬輸入ピアノでは?と思わせるようなインパクトと色艶があったのだ。そこへもってくるとこの現行RX-NEOは、レギュラー品にちょっとひとまわり薄化粧をした程度のものでしかない。
 響板にあるシレサの焼き印を見ると、たしかにお馴染みの書体でそうとは書いてあるが、実は焼き印ではなく、ステッカーの切り文字のようなものだったような気がした。そんな些細なことは実はどうでもいいことだが、店の人の話では、シレサといっても形を整えた完全な製品として送られてくるのだそうで、乾燥期間もたかだか一年ほどのものであるらしい。どうりで…と思った。以前のような、いかにも本物の発する強いエネルギーはほとんど感じられず、ただちょっと明るめの音にしました!という程度のものに終わっているのは残念だった。以前のモデルでは音質そのものが明らかに上質なものへと変化していて驚かされたが、現行のモデルにはそれはあまり感じられず、ただ単に音の明暗の差だけに終わっている気がした。
 企業が生産品に厳しいコスト計算をするのは当然だろうけども、だからといってやはりその名にふさわしい結果を上げるために、本当の意味での説得力のある上手い仕事をして欲しいと願うばかりである。価格はレギュラーとSKの中間よりややレギュラー寄りといったところで、お安いことはいいけれど、なんとも中途半端な印象である。
 
ボストン
 先頃発売された新シリーズの178cmが一台だけ置いてあったから触ってみたが、これはまったくなんの感興もえられない、ただの茫洋としたピアノだった。昔からカワイのショールームに置かれているボストンは良くないと相場が決まっているので、これをもってボストンの評価とするわけにはいかないだろう。
 ボストンはやはりスタインウェイのショールームにある、専任の技術者の手によって躾を受けたピアノを弾いてから判断を下すべきだろう。昔、松尾楽器のショールームにあった一台のボストンは、そこの技術責任者が意地にかけて調整に努めた労作とのことだったが、いやはや下手なスタインウェイより素晴らしいのでは?と思ったぐらいの傑出したものだった。いつも同じ結論で申し訳ないが、ピアノを生かすも殺すもつくづく技術者しだいである。
 
番外編:GSシリーズ
 GSシリーズというのはずいぶん前になくなったシリーズだが、発表されたのは1980年代だった。実はこのGS-50というピアノこそ、わがマロニエ君の愛機の一台なのである。記憶でははじめにGS-30という180cmぐらいのモデルが発売されたように思う。当時としてはカワイがスタインウェイのようなピアノを目指して作ったモデルということでささやかな話題になり、その性能が評価されてアメリカの学校で大量採用されるなどした。大きな特徴はスタインウェイを真似て弦のテンションが低めに設定されているようだ。弦を緩く張ることのメリットは、音の伸びがいいことと、調律の保ちがよくなることなどらしい。
 我が家のGS-50は206cmというサイズで、いわゆる現在の6型(概ね210~212cm)よりも数センチ短いが、家庭で使うぶんにはまあ大きいほうである。その上にGS-70、GS-80、さらにはGS-100というコンサートグランドまで作られていた。(想像だがEXはその発展型ではないだろうか。)
 なぜこのピアノのことをわざわざ書いたかというと、カワイばかりをあれこれ10台ばかり一気に弾いてみると、基本的なもの、すなわちそこに流れるDNAは結局同じじゃないかと思ったからである。音の本質にあるものやピアノ全体に脈打つもの、品質などは実はほとんどかわっていないと思う。
 唯一、わがGS-50が上記のカワイ各モデルと違う点があるとすれば、音色に甘味がある点である。これがスタインウェイを目指した名残なのかもしれないが、とにかく他のカワイはどれもまだまだ糖分が足りないように思う。では、それだけGSシリーズがスタインウェイに近づけているのかと問われれば、正直なところほとんどそうは思えないし、スタインウェイのもつ響きへの道のりは遙か遠いところにあるものと言ったほうがいいかもしれない。
 逆にいうなら、スタインウェイの価値を極論するなら、あの甘くやわらかな響きの妙であって、音じたいの美しいピアノは他にもいろいろあるだろう。
 
番外編:PM Piano Mask
 直接のシリーズではないものの、減音装置を装着したグランドピアノが展示してあったので弾いてみた。
 現代においてピアノを弾く者が課せられた社会的義務は、なによりも周辺への音の配慮である。一戸建でもむろんのこと、マンションなどの集合住宅ともなれば、その果たすべき配慮のレベルはますます高度なものが要求される。昔はあまりそういうことに頓着せずに、誰もが無邪気にピアノを弾いていたけれど、現代ではもはやそれは許されない。人が皆、自己の権利を主張する時代へと変わり、中でも騒音問題は深刻だ。マロニエ君の知り合いでもこの点での悩み続ける人は多く、その配慮たるや並大抵のものではないことを常々聞いているので興味があった。
 Piano Maskは、カタログによると「音の出口を覆うことで、演奏時の音量を抑える」とあり、まず上蓋をひとつ開けた状態だと、通常は譜面立ての周辺は弦やチューニングピン、フレームなどが見えるわけだが、ここ一面を黒っぽいボードで蓋をしたような状態で、弦などは一切見えないようになっている。譜面立てそのものは通常の位置と機能を有し、そのすぐ下にこのボードは取り付けられている。またピアノの下も、ちょうど犬猫でいうと前足と後ろ足の間のお腹にあたる部分、すなわち響板の裏側の支柱の下が黒いボードできれいにマスクされ、上下のもっとも大きな音の出口を完全に塞いだことになる。
 これを弾いてみて驚いたのは、あっと驚くほど劇的に音が小さくなっており、感覚的には5分の1かそれ以上ぐらいの感じだった。それでいてタッチをはじめ、ピアノの基本的な機能部分にはまったく手をつけていないので、これはへたに消音機能などを取り付けてピアノを痛めつけるより、よほど健全で素晴らしい装置だと思った。
 下側はレバー操作によって開閉できるようになっており、最終的に不要になればおそらく全部取り外すことも可能なのだろう。
 これが105,000円とのことなので、それほど高価ということもなく、ほぼ全機種に対応しているので、マロニエ君ならば音対策が必要ならまずはこういう方法を選ぶだろう。もしこれでも苦情が出るなら、それこそテレビでも普通のボリュームでは見られないだろうと思うほどだった。
 
 我々日本人は、ピアノといえばヤマハやカワイが音も品質も当たり前だと思っているが、海外にいくとその有難味を再認識させられる。たとえば近隣諸国に行くと、ピアノ店には聞いたこともないようなピアノが無数にあって、大半はちょっとご遠慮したいようなものばかりである。そんな中、たまに日本のピアノが中古などで一つ二つあると、それはまさに次元の違う高級品であったのだと思い知って、へんなところで感激したりするものだ。
 そんな日本製ピアノの高品質に馴らされている我々は幸せだが、そこにもモデルごとの特徴が事細かにあるわけで、知れば知るほどピアノの世界は奥深く、だからマロニエ君のような者の興味は尽きないというわけだ。