#56.ウエンドル&ラング

 ウエンドル&ラングという名のピアノをご存じだろうか?
 低価格の輸入ピアノとして名前だけは聞いたことがあったが、よくあるアジア製の廉価ピアノだろうと思って正直なところ気にもとめていなかった。ところが、ちかごろ雑誌「ショパン」などでもかなり大きく記事として紹介されていて、巻末にはカラー広告まで出ていたので、どういうピアノなのかとにわかに興味が湧き、輸入元に問い合わせをしてみた。果たして販売代理店は福岡市内にあるにはあったが、現在そこにはアップライトしか置いていないとのこと。
 
 マロニエ君はなんといってもグランドに触ってみたかったので再度その旨を輸入元に伝えたが、結果的に福岡市近郊にはグランドを置いている店舗がなく、最も近いところで大分、次が広島ということで、まさか興味本位でそこまで遠征するわけにもいかない。片道100キロ以内ならあるいは行ったかもしれないが。
 その代理店とは別に、ふと福岡市近郊のピアノ店にこのピアノを取扱商品として掲載したネット情報があったことを思い出し、そちらへも電話してみたら、なんと最近までグランドを置いていたがあいにく売却後とのこと。次の入荷予定は来年春あたりになる由だから、どうやらここしばらくは試弾できる縁がなく、あきらめざるを得ない状況のようである。
 
 さて、このウエンドル&ラングというのはオーストリアのピアノメーカーということで、創業から100年の歴史があるらしい。カタログによると、名前の由来はステファン・ラングとヨハン・ウェンドルの両者によって設立されたピアノメーカーということで、ステファン・ラングは19世紀にオーストリアでピアノマイスターになった二人目の女性らしい。現在の社長はこのステファン・ラングの子孫にあたるピーター・ベレツキーという名の人物で、1994年に社長就任とある。
 ちなみに、ウエンドル&ラングのピアノは2005年にウィーンの学友協会「黄金のホール(ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが行われる会場)」に納入され、翌年にはデンマーク王国によって、このピアノをマルグレーテ2世女王に献上したとある。両方とも写真もあるので、まあそこは信じるとしよう。
 
 だがしかし、このピアノ、現在はオーストリアでの生産ではない。厳密にいつからというのはわからないが、ともかく今は中国で生産されており、これを中国製のピアノと見るか、オーストリアのピアノと見るかは意見の分かれるところだろう。
 そもそも中国には、雑多なピアノメーカーが存在し、中にはヨーロッパの倒産したメーカーのブランド名だけを買い取って実際の製品とはなんの繋がりもない名前をピアノに貼り付けるだけというやり方も珍しくはないようだ。ウエンドル&ラングもはじめはその手合いかと思っていたのだが、製造は中国でしているけれどもオーストリアに本社が存在し、そこが正式に認知しているピアノのようでもあり、そういう意味では少し事情が違うような気もする。
 ヤマハなどもアジア製のアップライトがあったらしいが、品質はどうであれヤマハはヤマハだと思われただろうし、ボストンも日本製だが、欧米の顧客はその事実を知ってはいても「純粋に日本のピアノ」という、いわば生産地第一主義的な捉え方ではなく、あくまで本社はニューヨークという認識なのではなかろうか。いずれも本家はあるべきところにあり、量産設備とそのための技術の整った日本や、生産コストのために賃金の安い中国で作られたという事情をもった廉価ピアノという成り立ちではないだろうか。
 
 そうは言っても、常識的に見れば多少の理由をつけてみたところで、所詮は中国ピアノに分類されるべきかもしれない。そのあたりはネットの情報を掻き集めてみると、面白いものが出てくる。例えば、中国製には間違いないが、ウエンドル&ラングはハイルンピアノというメーカーが製造を担当しており、その品質は中国最大のピアノメーカーであるパールリバーなどより数段上だと断言する専門家の意見があったり、スタインウェイの最廉価ブランドであるエセックス(パールリバー製)よりも確実に優れているというような意見も見られた。
 また、実際にグランドを買った人も、その音やタッチにとても満足していたり、ピアノ購入のためにいろいろなピアノを見て回っている人なども、その結果としてウエンドル&ラングの音やタッチには一定の評価を与えていたりする。
 また動画サイトに出てくるウエンドル&ラングの音も、ひどいものもある一方で、なかなか良いと思えるものもある。情報やうわさも錯綜してくると、単純に「ウィーンブランドとは名ばかりの中国製ピアノ」として関心の外に打ち捨てる気にもなれず、何か心に引っかかり、どうしても自分で触れてみたくなったのだ。 
 
 ただ、このピアノが本当に良いものであるのなら、はじめから中国製であることはつまびらかにするほうが、却って妙な疑いを抱かれずに済むのでは?と単純に思う。カタログをみても中国製である記述は、極めて消極的なものでしかなく、あくまでウィーン・オーストリアというイメージばかりを前面に出しているのは本当に効果的なことなのだろうか。
 
 じっさいネットの情報の中には、技術者の談として、お客さんが大変気に入り、喜んでこのピアノを使っているのはいいけれども、ウィーンのピアノと信じ込んでいるらしく、「死んでも中国製とは言えない」というような書き込みが複数あった。こういう暗い側面があっては、このピアノの価値を、いよいよ怪しい三流品のように押し下げてしまってはいないだろうか。価格も安いのだから、多くの生産品のように生産国が中国であることは包み隠さず明らかにして、その上で堂々と品質の良さを訴えたほうが、むしろ得策のようにも思えるが。
 
 価格で思い出したが、これがまた日本製ピアノ以上に安いので、それも大いに疑念を持つ理由のひとつだった。
 下記はウエンドル&ラングと日本製のほぼ同サイズの、グランドピアノの価格を大雑把に比較したもの。
 
ウエンドル&ラング              日本大手メーカーのグランド
奥行き151cm 126万円(*  88万円)  奥行き約150cm 約110~126万円
奥行き161cm 147万円(*103万円)  奥行き約160cm 約140~150万円
奥行き180cm 185万円(*130万円)  奥行き約178cm 約157~168万円
奥行き198cm 210万円(*147万円)  奥行き約198cm 約215~230万円
奥行き218cm 252万円(*176万円)  奥行き約211cm 約260~273万円
 
 一見、定価そのものはあまり変わらないようにも見えるが、ウエンドル&ラングはなにぶんにも輸入ピアノなのだから、それだけでもこの価格はいかにも怪しい安さとして目に映るし、さらにネットを見ているうちに判明したことは、実売価格はおしなべて3割引き程度(*)のようだから、かなりの低価格であることは一目瞭然だろう。
 
 こうなるとピアノの出自を云々するより、きっぱりとコストパフォーマンスの尺度で見た方がいいのかもしれない。実際に購入した人の話として、タッチや音色が日本のピアノよりもずっといいと気に入っていて大変満足しているという書き込みがいくつかあったが、まあそれもどこまで信憑性のあるものかどうかはわからないから、あくまで参考意見にしかならないだろう。
 だから、結局のところ自分が実際に見て触れて弾いてみるしかないわけだ。そこで気に入り、トータル的に納得できるピアノならば、あるいは掘り出し物的な良いピアノなのかもしれないとは思う。かくいうマロニエ君自身も差し当たり興味津々であることは間違いない。
 
 ただし、たとえどんなに気に入ったとしても、絶対に日本製ピアノに太刀打ちできない点がある。
 それはリセールバリューの問題だろう。
 日本の大手二社の需給バランスに基づく確かな相場形成とは違って、この手のピアノは、ひとたび手放すとなれば、ほとんど値段らしい値段はつかないことは覚悟しておくべきではないだろうか。だからよほどこのピアノに惚れ込み、一生添い遂げるぐらいのつもりか、もしくは手放す際の評価はゼロになっても構わないという覚悟があるなら結構だが、安いからといって中途半端な気持で購入するなら、日本製ピアノにしておいたほうが安全なのは間違いないだろう。
 もちろん楽器の命は音をはじめとする中身なのだから、安全ばかりが第一とは限らないという考え方もあるだろう。楽器は買う人が惚れ込めば良いのであって、はじめからリセールバリューのことまで考えるのは浅ましいというぐらいのはっきりした考えのある人なら迷うことはないかもしれないが。
 
 実は、ともかく実物に触れてみたいという思いが抑えきれなくなり、アップライトであることを承知で、とうとう市内の販売代理店に行ってみた。ところがあるにはあったが、ピアノは展示用の台座のようなものの上に載せられていて、椅子に座って弾くことも出来ず、さらには調律もしていないという状況だった。
 
 このピアノは、高さが115cmという最も小型の、最も安いタイプだったが、作りはきれいだった。
 低音部の弦にはアグラフ(真鍮の丸いネジで、上部はシルクハットのような形をしていて中に穴が開いており、その中に弦を通してフレームに固定するためのパーツ。グランドでは必ず使われるが、アップライトではより簡略な張弦方法を採られることが多い。)が使用されるなど、機構的にも高級な構造ということに一応はなっているようだ。
 なにしろピアノが台座の上に載っているので、立ったまま鍵盤を触る程度しかできなかったが、タッチは粒の揃った好感の持てるものだったし、音も調律はしていないけれど、基本的にそう悪い音でもなく、へんなクセのないものだったように思う。音量もそれなりだとは思ったが、マロニエ君は普段このタイプのピアノにはほとんど触れていないので、自分の中に比較軸というか、評価の尺度になるべきものをもっていないので、あまり断定的なことを言うのは控えようと思う。
 少なくとも、積極的に否定する要素も、肯定する要素も、なかったというのが正直なところだった。ただし、これまで触れてきた中国製のピアノの多くは、触れるなりアッと驚くようないただけない感じのものが多かったという経験が多くあったことは強く付記しておきたいし、少なくともウエンドル&ラングはその手のピアノではないと思う。
 プライスタグにはかなり安めの金額が記されていたが、店主によると「お安くしますよ」とのことで、さらなる値引きが期待できそうな気配だった。
 
 つけ加えておくと、ネットで調べてみるとこのウエンドル&ラングを取り扱っているピアノ店が全国にちらほらあるという点だ。それも決して激安店のたぐいではなく、あくまでもまともな良質な輸入・国産ピアノを丁寧に販売していると見受けられる店での取扱いをいくつも見かけたので、これはもしかしたらコストパフォーマンス的に一定の評価を勝ち得たピアノなのかもしれない。
 
 このウエンドル&ラングがピアノとしてどうであるかの結論は他に譲るとしても、ここ最近の中国は技術の質的向上も目を見張るものがあると聞く。
 もしかするとウエンドル&ラングはユニクロのように、生産のみ一括して中国に委ねることで、安くてコストパフォーマンスの高いピアノを作っているという、現代流の新しい発想から生まれるピアノなのだろうか。
 なにしろ詳細がわからないので、また何かわかれば追って報告したい。