#6.ピアノは機械?

 ピアノは楽器であると同時に、巨大で複雑な「機械」でもある。

 ひとたび工場から出荷されると、あとはどんな境遇に置かれるかも知れないピアノ。
 とりわけホールやスタジオのピアノは施設の備品であり、他の楽器のように所有者の愛情のもとでぬくぬくと生きられる箱入り娘というわけにはいかない。それでいて、大舞台での活躍という武功は立てなければならず、まことに辛い境遇に生きる戦士のようなものだ。

 ピアノの調整は、素人の手出しを許さない専門家の領域である。
 日本では一般にこの職業を調律師と呼ぶが、調律はピアノメンテの中の作業項目の一つに過ぎないのだから、本来は「ピアノ技術者」というべきだろう。そしてその技術者の技術はピンキリなのだが、普通の人にはなかなか判断のつくものではない。
 専門的な仕事というのは、なかなか素人に巧拙がわかりにくいものだが、中でも調律はそのわかりにくさが強いもののひとつではないだろうか。音やタッチの良し悪しも、わからない人のほうが圧倒的に多いし、なにか感じるものがあってもどう表現して良いかもわからない。下手な調律師でも、調律した直後だけは音程が揃うことでパッと明るくなり、とりあえず良くなったように感じるものだし、そもそもタッチなどまで細かい注文を付けてくる客はほとんどいないのが実情らしい。調律がどんなに下手でも、ピアノなら人身事故や健康被害がおこるわけでもなく、明解な責任を追及されることもないから、まさに玉石混交の世界だと言える。
 下手な調律師でも、短期間の講習を受けるなどしてメーカー認定の資格などを得ることで、もっともらしく重要な現場にも立つことになることもあるわけで、怖い話ではある。

 一方、メーカーサイドも普通の調律師がそれなりに仕事になるよう、構造的には世界基準を持っていなければならないし、マニュアル化された技術を普及させなければならない。
 あまり理想を追求しすぎて調整枠を広げたり、独創的な機構をもたせたりすれば、そのぶん特殊な知識や経験、あるいは応用力が必要となり、技術の低い技術者では対応が困難となってピアノは本来の性能を発揮できなくなる。
 別項で述べた、メジャーなメーカーで独立アリコートなどを採用しないところが多いのは、ひとつには技術者にそこまでのレベルを期待していない為ではないかと思える。

 私見だが、名だたるメーカーが本当に目指すところは、絶頂点の輝きではなく、その少し下にある「平均点の高さ」ではないだろうか。すなわち製品の均質化であるような気がする。昔のスタインウェイなどは惚れ惚れするような個体があったかと思えば、あれっと首を傾げたくなるようなものもあった。いわゆるばらつきがあった。これは生産クオリティの問題に加えて、保管状況や技術者のレベルに、その差が大きく影響した為だろうという気がする。
 つい先日読んだ本にも、スタインウェイのニューヨーク工場勤務者の談話として、必要なハイテク化によって製品の安定度が増したという意味のくだりがあった。また、ある専門家の話によると、ピアノの構造の中核である響板のニスを、最近はけしからんことに厚塗りしてくるようになり、その為に楽器の鳴りに悪い影響が出ているとのことであった。 
 おそらくメーカーはデメリットは重々承知の上で、敢えてニスを厚塗りすることで、温湿度などの悪影響から響板を保護することのほうを選んだと思える。現に以前のスタインウェイの響板は環境によるのだろうが、表面に無数のクラックが入ったり割れが生じたりしていた。
 要は安全武装したピアノということだろう。

 メーカーは、一部の圧倒的な素晴らしさより、悪評の徹底的な排除を目指しているように見受けられる。
 その為には、ピアノの両面である楽器と機械のバランス比率にそっと修正を加え、機械的な安定を与えることで得られるメリットを優先し、メーカーとしての体面をしたたかに維持しているように思える。

 理想を追求し過ぎると、そのぶんリスクも増大する。
 音楽芸術の分野でこのような選択がなされるということは寂しいことではあるが、楽器メーカーは企業であって工場は芸術家のアトリエではないことを思い起こせば、やむを得ないことなのかもしれない。