#65.Note BY Note

 『Note BY Note』というDVDを観た。
 これはニューヨークのクィーンズにあるスタインウェイの工場で、一台のL1037という番号のD型が製造され、完成するまでを追いながらそこに携わる多くの人々のドキュメンタリーとして描いた映像作品である。
 これと似たような内容で、ジェイムズ・バロン著『あるピアノの伝記 スタインウェイができるまで』という、やはりニューヨークの工場でK0862という一台のD型の完成までを詳細に綴られた一冊の本があり、既にそれを読了していたので、マロニエ君としてはある程度のベースがある感じで観ることができた。
 (因みに各ピアノに振り分けられた、いわゆるシリアルナンバーはピアノの完成後に与えられるもので、製造段階では上記のようなアルファベットと4桁の数列で個々のピアノは区別される。)
 
 工場内での各工程での作業の様子や、それぞれの担当者のインタビューに混じって、ピアニストのエレーヌ・グリモー、ラン・ラン、ピエール=ロラン・エマールのような著名ピアニストが登場してきて、あれこれとピアノについて話をしたり、何日も通ってきてはコンサートに使うピアノ選びをしたりと、興味深い内容が満載だった。
 因みにラン・ランはこういうインタビューなどはむしろ好きなようで嬉々として話をする。自分がピアノをはじめるきっかけは、トムとジェリーに出てくるピアノコンサートのアニメを見て「ネコに弾けるなら自分にも出来るはず」と子供心に思ったことだったとおもしろ可笑しく語っているが、この話は別の機会でも同じような調子で言っていた記憶があり、あまりに出来過ぎたたようなストーリーで、いかにもアメリカ人好みに脚色された感じが否めない。
 実際のラン・ランは、厳しい父親の意志によって母親とも別居し、寝ても覚めてもスパルタ式にピアノの練習に明け暮れる、苛酷な幼年期をピアノのために北京で過ごしたと言われている。まさに中国のピアノ版「巨人の星」である。
 
 いきなり話が脱線して申し訳ない。
 ご承知のようにスタインウェイにはアメリカ製とドイツ製の二種類が存在し、それぞれニューヨークとハンブルクに工場が存在し、すべてのスタインウェイはこの両所いずれかで製造されているが、製造番号はひとつの通し番号になっている。
 両者は基本設計はまったく同一ながら、国民性の違いからと思われるディテールのデザインや材質、さらには仕上がり具合などが異なり、それは当然ながら音にも明確な違いとなって現れている。
 
 音の違いについてはすでに様々な記述があるので、あたらめてマロニエ君ごときが述べる必要もないと思うが、敢えてごく簡単にいうと、ニューヨーク製はやわらかで明るくおおらかな響き、ハンブルク製はカチッと明晰で渋く重厚な響きというような違いがある。私見だが良い意味で古典的なおっとりした印象を感じさせるニューヨーク製に対して、ハンブルク製は良くも悪くも現代的でクリアな音色を持つ。
 一部で誤解されているのは、ニューヨーク製はかのホロヴィッツやグールドが使った音色として多くの人の耳に残っていために、こちらのほうがよりシャープでメタリックな音がすると思い込まれていることだが、これはあくまでもピアニストがことさら自分の好みのピアノの音を求めた結果であって、彼らのピアノはいずれもニューヨーク・スタインウェイとしては際立ってイレギュラーな楽器であるということを認識しておくべきである。
 しかし、実際とは異なるイメージを持っている人は意外に多く、その人達の印象ではハンブルクのほうがヨーロッパ的な柔らかい音だという認識らしいが、ヨーロッパのピアノが必ずしも柔らかい音でないことも認識しておきたいし、とりわけピアノ製造が盛んなドイツのピアノはおしなべて柔らかい音ではなく、単刀直入なむしろきつめの音がするピアノが多いと思う。
 
 スタインウェイも実際は逆で、ニューヨーク製のほうがまろやかで淡い音色とゆらめくような響きを持ったピアノで、それに較べるとハンブルク製は硬質で輪郭のはっきりした音がする。ニューヨークの名調律師として有名なフランツ・モア氏はホロヴィッツの日本公演に同行して来日し、日本のホールにあるハンブルク・スタインウェイの音を聴いて、まるでガラスが割れるような音だと表現していることも、そのことを裏付けているように思う。スタインウェイに限らずアメリカのピアノは響きが豊かでやわらかい音がする楽器が主流だとマロニエ君は言っておきたい。
 
 音はまあ好みの問題もあって、それぞれの特徴と個性があって優劣はつけがたいし、いずれにも根本に於いてスタインウェイの響きと音の構造は共通している。しかし、製品としての仕上げということだけでいうならハンブルク製のほうが造りは丁寧で美しく、さすがはドイツの製品という印象があるし、ニューヨーク製はどことなく、全体にちょっと仕上げ品質の詰めが甘い感じがあるのは否めない。まさにメルセデス・ベンツとキャデラックの違いだろうか。
 
 その違いはこのDVDを観ていても感じられた。
 ドイツ工場のほうも製造現場を紹介した映像があるが、そこにあるのは我々が一般的にイメージするドイツの楽器製造の現場であって、スタインウェイという名声のわりには意外やこぢんまりした印象があるが、働く技術者達はドイツのいかにもマイスターという感じがあるし、海外からの労働者があったにしても、なにしろ大元をドイツ人が厳しく統括しているという感じがある。
 それに対して、このNote by Noteに出てくるニューヨークのファクトリーの連中は、良くも悪くもいかにもアメリカという印象だった。いかにもニューヨークらしく外国人労働者も多く、まさに「人種の坩堝」を地でいく感じだ。
 各部門の責任者はどれも勤続数十年というベテラン揃いだが、はじめはピアノなんてろくに触れたこともないような低所得層の出身者であったり、海外から移住し、ほうぼうで食い詰めたあげくここにやって来たというような経歴の持ち主が珍しくなく、日本やヨーロッパのように若いころから親方について厳しい修行を重ねてきたというようなストイックな職人という感じではない。とりあえず給料目当てに働いているうちに仕事も覚え、しだいに責任ある立場にも立つようになり、同時に責任意識や自覚も備わったという趣だった。
 
 いかにもアメリカという感じは、バラバラで自由なカラフルな服装、マッチョマンのような人や、作業をしている体のあちこちにタトゥが入れてあったりと、一見したところではこれが世界最高のピアノの製作現場で働く職人のエリート集団という感じは、正直あまりしない。
 いまや幻の名著ともいえる「スタインウェイ物語」で著者の高城重躬氏によると、ニューヨーク・スタインウェイはいかにもアメリカらしい思想があらわれていて、音のために必要なところには惜しまず手間とお金をかけるが、そうではないところはドライに割り切ったところのあるピアノだという意味のことが書かれていたことを思い出す。
 その点、ハンブルク製はさすがというべきか、満遍なく丁寧に作り込まれていて、そういう点も重視する日本人にも満足できる製品になっているところがいかにもドイツ流というところだろう。しかしハンブルク・スタインウェイをもってしてもアメリカの血が流入しているのか、純血種のベヒシュタインやベーゼンドルファーは工作の美しさでもさらに一枚上手で、それはまさに美術品レベルの息を呑むような美しさをあたりにまき散らす。スタインウェイにはそういう視覚面での超高級感はなく、もっぱら楽器という実用に徹している印象だ。
 
 日本人は音の違いもあろうが、感覚の問題としても西洋音楽に供する楽器という点では発祥の地というイメージも手伝ってなにかとヨーロッパを好み、ときに崇拝する傾向があるし、とりわけドイツ製品に対する信頼は信仰的なまでに厚いから、以前はこちらを好む人が圧倒的に多かった。だが、しだいにニューヨーク製の特徴や長所も理解されてきたのか、今ではそういう差別意識なしに純粋な好みで選ばれているケースも増えているように感じるがどうだろう。
 
 そもそもスタインウェイといえば、日本にあるのは大半がハンブルク製であることから、多くの日本人はこのメーカーをドイツの会社だと思ってきたらしいが、スタインウェイの現在も本社はあくまでニューヨークにあり、19世紀後半のアメリカの工業力があってはじめて完成したピアノということで、その繁栄はニューヨークで花開く。昔はひとつの地区をスタインウェイ社が文字通り専有し、スタインウェイの名が地名にもなり、その中に学校が出来たり、あるいは列車の駅の名前にもスタインウェイの名が用いられたりもした。現在は市民社会の娯楽の多様化とともにピアノ需要の規模は縮小を重ねているが、それでもまだ「スタインウェイ通り」というようなストリートが残っているのはその栄花の名残だろう。
 
 このように、あくまでアメリカで繁栄してその最盛期を過ごしたピアノであり、それをたまたまドイツでも生産しているだけだと捉える向きもある。
 これは見方によってはまったくその通りのようだけれども、しかし創始者のハインリヒ・シュタインヴェークとその息子達、すなわちスタインウェイ&サンズはすでにドイツでピアノ製造者として一定の仕事を成し遂げた後にアメリカへ移り住んだ、あくまでもドイツ人ファミリーなのだから、そういう彼らが作り出したピアノを純粋のアメリカピアノと見ることにも若干の違和感を覚える。これをアメリカピアノと分類するにはあまりにもドイツ人の血が多く流れすぎているように思うがどうだろうか。
 マロニエ君としてはスタインウェイピアノは要するにドイツとアメリカのハーフだと思いたい。それは産業革命後のアメリカの豊かな社会と優れた工業力無くしてはこのピアノは生まれなかったという事実と同時に、ドイツ民族の一途な探求心と抜きんでた才能、彼らの物づくりにおいては他を圧する優秀性、とりわけ息子達の天才的な才能があってこそ数々の奇跡的な設計が成し遂げられ、あのスタインウェイをこの世に作り出したとも言えるわけで、いわばドイツの種がアメリカの畑で実ったという解釈である。
 だれもラフマニノフやホロヴィッツ、トスカニーニやブルーノ・ワルターをあくまでアメリカの音楽家とは思わないのと同じである。
 
 また話が逸れた。
 DVDはピアノ製作の第一歩からカメラが捉えている。5人の男が長さ6mになんなんとする細長い板切れの束を持ってきて、これを中央に置かれた型枠にそって押しつけ、機械を使いながら途方もない力で密着させていく。巨大な無数の止め具で縛り付けられた状態で一定時間放置され、留め具が外されるころには20枚もの板が分厚い一枚板となり、あのピアノの外枠の形になっている。
 ただちにコンディショニングルームに移動され、そこで8週間放置される。そこには同様に整形されたリム(ピアノの外枠)がサイズごとにズラリと並んでいて、単なる木材がピアノの形と優美なカーブを与えられ、これから始まるピアノ製作に備えて一時的に寝かされているといったところだ。
 いちいちは書かないが、駆け足で言うと、ここから再び引き出されたリムはディテールをピアノの形に整形され、支柱が組まれ、アクションをのせる筬がつけられ、塗装をされ、駒のついた響板が組み入れられ、フレームがセッティングされ、弦が張られ、ダンパーがつけられ、鍵盤およびアクション一式が入り、大屋根、足、ペダルなどを得てピアノの姿を与えられる。調律や音出しも折に触れ何段階にも分けて随時行われ、最後にヴォイシングという音作りをされるといよいよピアノは完成となる。
 言葉で書けばあっという間だが、このすべての工程を通過するのに、実に約一年を要すると説明される。
 
 驚いたのはヴォイシングでの針刺しで、マロニエ君は自分の拙い経験から、ハンマーへの針刺しほど慎重を要するべき神聖な作業はなく、経験を積んだ技術者はほとんどこの作業に魂を投入するに等しい精妙な仕事だと思っていたら、この部門の年老いた担当者は、えらく素早く簡単な調子で無造作にバンバン針を刺している様子には、思わずとまどってしまったほどだ。もちろん、すべてわかってやっているのだろうけれども。
 
 これらの製作現場の映像と交錯するように、フランス人ピアニストのエマールがマンハッタンのスタインウェイホール(本社のこと)を訪ね、地下にあるあの有名なピアノの海に入っていく。ピアノの海とは、スタインウェイ本社の地下にあるピアノの貸出部門のことで、コンサートで使用されるためのピアノが佃煮のようにぎっしり並んでいる場所だ。ここの歴史も大変古く、向かいにあるカーネギーホールをはじめ、近隣でコンサートをするピアニストは、ほとんどここを訪れて自分が使うピアノを選び出す。
 ここに所属するピアノは、完成品の中からとくに優れていると判断された個体が選ばれ、個性の異なるあらゆるタイプのピアノが揃っているらしい。その中から選び出されたピアノは、専任技術者によってさらにピアニストの要求に沿ってより細かい点まで調整されてホールへと運び込まれるといわけだ。
 
 このコンサートデパートメント部門というピアノの海での任期は、およそ5年だそうで、その間、ここにあるピアノはお座敷がかかると、どこにでも送り出され、コンサートに出演し、済めばまた帰ってくるという。
エマールは数回日を変えてここにやってきては、つぎつぎにピアノを試すが、驚いたことに映像にある限りにおいては曲は一切弾かず、もっぱら低音/中音/高音ごとの和音の響きなどばかりを繰り返し確認していたのが印象的だった。
 
 日本のホールも大抵は素晴らしいピアノが揃っていて、この面でのレベルはおそらく世界一かもしれないが、ニューヨークのようにスタインウェイ本社による選りすぐりのピアノの中から、自分が最適と思うピアノを念入りに選んで、それをステージに運んでおこなうコンサートともなれば、それだけ意気込みも違ったものになるだろう。
 
 工場に戻るが、現代のようなハイテクの時代にあって、スタインウェイの工場でおこなわれていることは、少なくとも映像で見る限りにおいては、そういう分野とは無関係の、すべてがローテクずくめのものであるし、さらには一台一台はまさに手作りでゆるゆると生産され、大きな工作ロボットの類が登場するシーンなどは少しもなかった。
 穿った見方をすれば、多少映像は編集され、そういう部分は仮にあってもカットされている可能性もまったくゼロではないかもしれないし、ビデオで語られたものがすべてと信じるのはいささか単純すぎるだろう。しかし、それでも工場の大半が大昔と変わらぬ地道な手作業の世界であることも、おおむね間違いではないだろう。
 
 先進国のアメリカの、中でもニューヨークという地において、高額な人件費をかけながら、それでもなお手作りを貫くピアノともなれば、それだけでも一定のプライスになることは納得できる。
 
 アメリカピアノには独特な歌心があって、これはこれで一定の魅力を感じるマロニエ君だが、残念なことに近ごろではその名を聞かなくなって久しいブランドもある。チッカリングはボールドウィンの、クナーベはサミックの軍門に下ってしまっているらしい。ボールドウィンやメイソン&ハムリンもかつての隆盛は過ぎ去って久しいかのごときの印象だ。
 そんな中でスタインウェイがビデオで見るような手間暇かけた生産を続けていけるのも、その品質と圧倒的なブランド力によってかろうじて生きながらえているだけで、それ以外の量産ピアノはアメリカ市場では輸入ピアノが他のメーカーに取って代わっている気がする。
 
 かつては想像も出来なかったハイテクの浸透によって、もの作りは今後もおそらくは行くところまで行くことだろう。そしてその行き着く先に最後に生き残り、再び価値を認められるのは、まわり回って結局スタインウェイのようなローテクずくめの手作業の世界にまた帰結するような予感がした。
 マロニエ君の目にはそんなことを思わせるビデオだった。
 
 以下に映像に出てきたさまざまな人物の印象的な言葉の大意を付記しておきたい。
 
▲現代の製造物の中で100年間変わらない方法で今も作られているのは、我々のピアノなどごく僅かなものだけである。
▲一見ピアノに見えるものは誰にでも容易に作ることができる。しかし、それを優れた楽器として組み立てることは難しい。
▲完全な手作りなので、規定通りに作業をおこなっても僅かな誤差が生まれる。しかしひとつの誤差が次の誤差を生み、不合格となることがある。それはあってはならないことだ。
▲ピアノは俳優のようでなければならならず、多種多様の幅広い表現が求められる。
▲ピアノ製造の全盛期は1800年代で、1600前後のブランド名で製造されていたものだが、現在はごく僅かしかない。かつてはスタインウェイ(ニューヨーク)の周辺にも多くのピアノメーカーが存在したが、現在では我々のみだ。
▲(製造は)他のどのメーカーよりも手作業でおこなっている。とくに響板やパーツの取り付けなどは、他社では機械を用いているが。
▲測定器には限りがあるが、職人の精巧さは手が覚えているので、計測器以上のものとなる。
▲我々の最大の的は我々自身かもしれない。現代社会において過去の規定とメソッドによって楽器造りをしているが、環境を現代的にしたいという誘惑にそそのかされるのは当然だし、それを頭から否定はしない。ただし、気をつけないと抑制がきかなくなり、我々のピアノが違うものになってしまうだろう。
▲スタインウェイは世界で唯一、全製造過程を通して耳だけで調律されるピアノだろう。他のメーカーはむしろ機械での調律を好むだろうけど、それらの楽器からは魂や音の温かみが出てこない。コンピューター任せだとシンセサイザーのような人工的な音にしかならない。
 
 また、ピアノ製造に携わる人なら先刻ご承知のことだろうが、マロニエ君がこのビデオで初めて知り得たこともいくつかあり、たとえば「チッピング」という作業がそれだった。
 フレームに新しく張られた弦に初めて音程を与える作業で、一見すると調律のように見えるが、この作業をおこなうのは調律師ではないらしい。アクションがまだ入っていないのか、作業は左手に持つ小さな木のヘラのようなもので弦をはじきながら、それを聴いて右手がチューニングハンマーを動かしてピッチを合わせている。この作業をもってピアノに初めて生命が吹き込まれるのだそうで、はじめは4日ごとにチッピングがおこなわれ、その後に下調律の運びとなる。スタインウェイではチッピング、下調律ともに一切機械に頼らず、すべて耳だけで純音と呼ばれる音を探す作業がおこなわれ、このサイクルだけで約一ヶ月を要するらしい。
 ほかにも「ピザ・ウィール」という弦を伸ばす作業など、いろいろと勉強になるビデオ作品であった。
 
 ちなみに、このビデオで焦点を当てられていたL1037は優秀なピアノとして生を受けたようで、めでたくマンハッタンの本社地下にある貸出部門に配属となったということだった。