#68.藤井ピアノサービス

 ひとくちにピアノの専門店といっても、そのスタイルはいろいろだ。
 メーカーの直営もしくは系列の販売店のたぐいならば取扱いブランドも自ずと決まっていて、特定ブランドの現行ラインナップのピアノに触れることができるが、本当にピアノ好きのマニア心を刺激し満足させるようなディープな店というのは、必ずしもそういう店ではないのが趣味の世界のお定まりというものである。
 
 マニアの心を捉えて離さないのは、フリーの技術者が個人経営でやっている、銘柄もさまざまなピアノを置いている工房兼店舗の類であろう。その点ではメーカー系列の店舗は構えは立派だが、同じブランドの新品が大小ズラリと並んでいるだけで、あくまでも営業中心のいささかドライな販売の現場である。
 その点、趣味性、意外性、さまざまな発掘発見、技術的興味、混沌の魅力、店主のピアノに対するこだわりとか哲学のようなものに触れるといったようなことは、ほとんど個人経営のピアノ店でしか味わえない魅力である。
 
 そうはいっても、ピアノは一般的な意味での商売のしやすい商品とは言い難く、修理や販売で店が成り立って行くのは容易いことではない。昨今は実用品でもなかなかモノが売れない時代となり、ましてやピアノ購入のニーズなど巷にそうあふれているはずもない。たとえ音楽は好きでも、弾けない(もしくは弾くことに興味がない)人にとってはピアノは無用の長物であり、購入に至るのはごく限られた数になる。しかも、一度買えばパソコンのように何度も買い直すようなものでもないから、決して動きのいい商品ではないだろう。
 さらには近隣への音の問題や、重くて大きな図体ゆえの設置事情など、ピアノはいわばローテクの塊で、社会学的にも購買者にのしかかる制約は数多い。近年そこへ入ってきたのが軽量便利で安価な電子ピアノで、この電気製品が本来のピアノのニーズをいよいよ侵食し圧迫している。
 ピアノのある生活を心の滋養のひとつとして捉える風雅は、残念ながら年々失われているようだ。
 
 そういう諸々の背景があってか、現在はピアノ店そのものが減少傾向に転じて久しく、ほとんど無いに等しいと心得ねばならない。全国的にも極めてその数は少ないのが実情だし、ましてや自分の居住エリア内ともなれば、それに該当する店の存在などほとんど絶望的である。
 
 そんな中、知人のピアノ好きのひとりが懇意にしている店で、鹿児島県は薩摩川内市にある藤井ピアノサービスというのがあり、彼はここからシゲルカワイを購入している。聞けばずいぶんいろいろなピアノがあって、店主のこだわりも相当なものらしい。マロニエ君はかねてから一度は行ってみたいと思っていたところ、ようやくその機会が巡ってきて、開通間もない九州新幹線を利用してここを訪問することになった。
 
 「川内」と書いて「せんだい」と読むが、宮城県の仙台と区別するために、敢えて薩摩川内市と呼ばれているのではないかと想像する。
 駅に降り立つと、そこは決して大きな街ではなく、印象としては北部九州でいうなら唐津市ぐらいだろうか。それなりの都市部でもこれはというピアノ店はほとんどないのに、果たしてこんな小さな街に本当にそんなディープな店があるのだろうかという思いがどうしても頭をよぎる。
 駅から普段の自分ならば絶対に歩かないような距離をトボトボと知人について行くことしばし、町の商店が居並ぶ広い通りに面して藤井ピアノサービスはついにマロニエ君の目の前に現れた。
 ドアを入ると、いかにも昭和といった雰囲気の店内には一台のレストアされたカワイのグランドが目に飛び込み、その他は多くのアップライトピアノ(主に日本製)が所狭しと並んでいる。
 
 藤井氏を紹介されて挨拶を交わし、ひとまずはとりとめもない話をするが、大変気さくな方でまずは安心する。傍らにいる作業用エプロンを付けた若い女性もピアノ技術者なのだそうで、調律はもちろんのこと、なんと修理までをこなすという本格派なのだそうで大したものである。主にこの二人で店は切り盛りされているらしく見受けられた。
 入口近くに置かれたカワイはNo.650という40年以上前の中型グランドだが、新品と見まごうほどに美しく仕上げられ、赤のフェルトも鮮やかに、フレームも現代流のしっとりした茶色がかったゴールドに塗られている。その見事な仕上がりがまずもってこの店の仕事の上質さを静かに語っているようだ。しかし、藤井氏は単なるピアノ技術者には留まらない追求の人で、創意工夫の達人らしい。
 
 大工の職人であったというお父上から受け継いだ技術者としての気質が、藤井氏をピアノの世界でも型破りでアクティヴな革新者へと導いたようである。
 驚くべきは藤井氏の考案による独自のシステムが数種ある由で、そのひとつがアップライトピアノが構造的に背負うタッチのハンディを解消し、グランドと同等の働きをさせるという画期的なものであるらしい。詳細はマロニエ君のような素人にはわからないが、既存のアクションにこのシステムを装着することでそれは可能となるようだ。
 おそらくはダブル・エスケープメントというグランド用アクションが持つ、打鍵後キーを半分戻すことで次の打鍵が可能な状態を維持する機構をアップライトのアクションにも持たせるということだろうと思われる。ちなみにアップライトのアクションはシングル・エスケープメントといって、キーを完全に戻した後でしか次の打鍵はできないとされている。
 このシステムを装着したピアノが二台あったが、なるほど連打性がアップしているようで、さらにはアップライト特有のスッと鍵盤が落ちていく感触がいくぶん違うようで、これは単音を鳴らしてみた程度では正直いってわかりにくいが、おそらく腰を据えて曲を弾いてみればその違いが明瞭になるだろうと思われた。
 
 このシステム、すでに大手メーカーからも探りを入れられているというのだから、これが本格的に採用されることになれば、ピアノ界では一種の機構革命となるのであろう。ちなみにその名は「グランドタッチ」で、ついヤマハの電子ピアノの「グランタッチ」を連想させる。ヤマハの「グランタッチ」が電子ピアノの中に本物のグランドピアノのアクションを搭載しているのに対し、藤井氏の「グランドタッチ」はアップライトのアクションをグランドのそれと同様な機能を持たせることで、連打性などをグランド並みに向上させるというもの。いずれもグランドピアノのタッチ感をグランド以外で実現しようという発想が根底にあるという点では、名前のごとく共通した思想だといえるかもしれない。この藤井氏考案のシステムは驚いたことにすでに国際特許も取得済みというのだから、これはすでに一個人のちょっとしたアイデアといった枠を飛び越えて、普遍性を有するれっきとした革新技術として大きく羽ばたこうとしていることが窺える。
 
 ちなみにこの「グランドタッチ」の説明会を開催すべく、マロニエ君がここを訪れた約10日後には、グランドタッチ装着のアップライトピアノを3台!トラックに積み込んで、新潟、埼玉、大阪などへ説明会の大巡業へと出発される由だった。これは、おそらく総行程4000キロに迫るであろう大がかりなもので、行く先々には興味を示すピアノ技術者の面々が待ち受けているとのことだった。ピアノ技術者に留まらない開発者の顔をも持ち、このあとに述べるような店舗を作りあげ、必要とあらばエネルギッシュな行動力まで併せもつという、何事によらず藤井氏は有能でアクティブな行動人である。
 
 
 さて、この1階部分だけでもピアノ技術者が営むたいへん立派な店であるが、驚きはここからで、1階のこの工房兼ショールームはあくまでその序章に過ぎない。音楽で言うならブルックナーのシンフォニーの導入部のようで、広大な世界に通じるここはまさに静かなる入口というところか。1階での話が一息ついたところで、いよいよ上階へと案内してくださることになった。
 藤井氏の先導によって入口近くにある階段を上ってついていくと、すでに階段を数段昇ったあたりから、1階とは何か違った空気が流れ出したのをかすかに感じたが、その先にいかなるものが広がっているのか期待と不安に包まれながら後に続いて階段を上る。
 
 さて、2階に行くと、状況はまさに一変する。
 1階のいくぶんこまごまとした印象とは打って変わって、2階は一気に広々とした開放感があり、そこに輸入物のアップライトが整然と並んでいるが、どれもが並の楽器ではないのである。マロニエ君の悪いクセで、何台ものピアノが並んでいる場所では、展覧会を見るように一台ずつ順序よく見ていくことができずに、思いのまま好き勝手に見てしまうばかりで、どれだけのメーカーが何台あったというようなことは正確に思い出せないのだが、突出して印象的だったのは新旧のベヒシュタインのアップライトであった。
 というのも、そもそもマロニエ君はアップライトにはグランドほど猛烈な興味はないのだけれども、それでもベヒシュタインのそれには昔から格別の敬意を払っている。最高峰のコンサート8の素晴らしさを筆頭に、それよりも小さなサイズのアップライトもベヒシュタインはどれも際立って高品質で、アップライト全体として見ればおそらく世界一だと思っている。
 この2階にあった新しいほうのベヒシュタインはやや小ぶりなサイズだったが、アップライトとは思えぬ上品な音が端正に揃っているのは、やはり世界の一級品というほかない。タッチもそれを裏付けるように非常に繊細かつムラのないもので、いかにもドイツ製品らしく誠実に作り込まれたものだけが持つ独特の上質感がある。もう一台は戦前のコンサート8だったが、これがまたその無骨な外観とは裏腹な気品に満ちたふくよかな音、そのまろやかなタッチなど、優雅の極みのようなピアノである。
 現代の消費社会では、だれでもお金さえ出せばこういうピアノを手にすることもできるわけだが、本質的にこのコンサート8のようなピアノは一般庶民のための楽器ではないということが、その感触からも伝わってくるようである。ほかにもスタインウェイの小型やホフマン(ベヒシュタインの廉価ブランド)などもあったが、気がついたら触れてもいなかったのが今にして思えば非常に残念である。それほどこういう場では、自分の関心のあるピアノにばかり偏って惹きつけられてしまい、満遍なく見ることを忘れてしまっていて後から後悔するばかりだ。
 
 ここには一台だけほとんど新品に近いベヒシュタインのA-190というグランドがあったが、これも以前別の項で書いた、すべてがベルリンで作られるベヒシュタインの純正シリーズの、ひとつ下にあるアカデミーシリーズというモデルだが、ちょっと触らせていただいたところでは、これがまたなかなか上質なピアノだった。ベヒシュタインとしてはむしろ明るい感じの鳴り方をしていて、これは音質に対しては非常に良心的なプライスではないかと思う。正直に言うと、むしろ純正ベヒシュタインのほうの普通サイズのグランドの中には、値段ばかり高くて、新品でもさして良いとは思われないものも何台か経験しているので、却ってこちらのほうが好ましいのでは?とさえ思えてくる。
 
 音はまろやかさのなかに明瞭な芯があり、現代的かつヨーロッパ的と言っていいかもしれない。いかにもヨーロッパ産の響板を使っているという感じの立体感のある音だったし(実際の産地は知らないが…)、タッチもなめらかで密度感があり、大変好ましいものだった。また現代のベヒシュタインは製品仕上げの美しさでも抜きんでたものがあるが、その良き社風を受け継いでか、このAシリーズも作りがたいへん丁寧で美しいのも印象的だった。
 
 そんなこんなを見て、触って、感じていると、さらにこの上に3階があるのだそうで、今度はそちらに案内されることになった。
 1階/2階だけでも、もうかなり満腹気味になっていたのだが、3階はまさにトドメの一撃を受ける場所だった。
 そこには3台のグランドが大屋根まで開けられた状態で居並んでおり、その鮮烈な光景は入口に立つ者の目に生々しく突き刺さってくる。
 中央にはカワイのコンサートグランドEXがあり、その美しい競走馬のような姿をこちらに晒しながら、近づきがたいようなオーラを発しながら静かに佇んでいる。
 
 これは一体なんということだろう…。
 川内駅に降り立ったときの印象では、およそピアノ店だけでもあるのかどうか、ましてや輸入物の高級機など無縁に思われたものだが(こういう言い方をしては失礼かもしれないが、実際福岡にさえこういう店がないのだから、体験的にそう感じてしまうのも致し方ない)、知人に導かれてここにやって来て、とりあえず普通のピアノ店らしき店に入ったものの、階段を上るたびに目の前の世界が魔法のように変わっていくという、まったくもって不思議な体験をしてしまい、どうも自分の中のバランスが狂っていくようでもある。
 これは意外というよりは、ほとんど何かのトリックのような感じというほうが正しいかもしれない。
 
 言い忘れていたが、カワイのEXの左右にはベーゼンドルファーの200とベヒシュタインのA-190、さらには最近生産を止めてしまったプレイエルのアップライトが置かれている。
 
 2階はまだ自分の意志でピアノに近づいて、いろいろと眺め回す感じであったが、3階はもはやピアノから発せられる磁力によって、ふらふらと吸い寄せられるごとく中へ入っていくようだった。
 そして、この空間はほぼカワイEXによって支配されているという観がある。もちろんベーゼンドルファーの200も普段なら滅多にお目に掛かることのできない名門ブランドの稀少なピアノであり、価格だけならむしろこちらのほうがEXよりもいくぶん高いのかもしれない。しかし、グランドピアノの中でもコンサートグランドというのは別格で、問答無用に辺りを払う圧倒的な存在感があり、さしものベーゼンドルファーもここではEXの太刀持ちか露払いといった感じがあるのは否めない。
 
 カワイEXはその外観デザインもとても優れていて、この点ではいくぶん鈍重な印象のあるヤマハより、はるかにスタイリッシュで洗練された優美さを持っており、見ているだけでもその造形と存在感には惚れ惚れさせられる。
 ちなみにピアノはどれも同じ形だと思っている人も少なくないだろうが、もちろん基本は酷似しているが、どのメーカーのピアノもディテールなどの形がすべて少しずつ違うことで、結果的にはそれぞれの個性となってあらわれている部分でもある。
 ヤマハとカワイでももちろん細部の形状は異なり、マロニエ君の私見では、好き嫌いを別にすれば全体的にはヤマハのほうがやや洗練されたそつのないデザインだという気がするし、カワイはわずかながら後れをとっているところがある。
 
 ところがコンサートグランドに限ってはこれが逆転し、カワイのほうがその姿はとてもエレガントでヨーロッパ風であるし作りもさすがに美しい。その点ヤマハはいかにもヤマハという感じで、仕上げは上質だが肝心のプロポーションが日本人体型というか鈍重であまりよろしくない。コンサートグランドともなると、音や響きはもちろんだが、ステージでライトを浴び、聴衆の目に晒されるものであるだけに、その立ち姿も観賞に堪える美しいものでなくてはならないとマロニエ君は思っている。この点では最新鋭のCFXは基本のプロポーションはそのままディテールのデザインだけが変更され、マロニエ君の目にはますます変な方向に行ってしまったというのが率直な印象だ。
 
 話は戻るが、こんな空間に案内されて、どうぞ好きなだけ弾いてくださいといわれるのだから、「据え膳食わぬは男の恥」ではないけれど、さしものマロニエ君も恐る恐る手を伸ばさずにはにはいられない。そして、その興味はどうしてもEXに向かってしまうのが自分で抑えられない。
 ちょっと触れてみただけでも、とても素晴らしいピアノであることは忽ちわかる。タッチもしっとりと柔らかくて軽いし、音も非常に落ち着いていて、すべてに余裕があって申し分ない。マロニエ君は折に触れて書いてきたように、人前でピアノを弾くのは超苦手だけれども、ピアノサークルのお陰で少しは強制的に慣らされた部分もあるし、だいいちこんな垂涎ものの状況で物怖じしていては、せっかくのご馳走を食べ損なうことになり、ついに欲が勝ってしばらく何曲か弾いてみた。
 
 果たして、このEXは本当に弾いていて気持ちのいい極上のピアノだった。
 音はいわゆる個性的ではないけれど良い意味での素直さがあって、カワイならではの実直な理想主義が最も純粋な形で結実しているという印象だ。まるで訛りのない美しいピアノの標準語を聞いているようで、本来なら一人になって2~3時間弾いてみたいところである。ピアノにも当然ながら「もういい」と思うものと、いつまでも弾いていたいと思わせるものがあるが、このEXは明らかに後者にあたる快適無比なピアノだった。
 
 横にはせっかくベーゼンドルファーの200とベヒシュタインのA-190、プレイエルのアップライトがあるというのに、結果的に大半の関心がこのEXに注ぎ込まれてしまった。ピアノ好きにとって──というのは語弊があるかもしれないので少なくともマロニエ君に限っては──コンサートグランドには一種の魔性のようなものがあると思われる。
 あの非日常的に長くスリムなボディ、潮が満ちてくるような悠然とした余裕と底力、そこから出てくる華やかでしかも落ち着いた音など、それはこのサイズのピアノだけが持つ次元の世界がそこにはあるのであって、その前では普通サイズのピアノは、たとえベーゼンドルファーでもなんでもとりあえず霞んでしまう。ピアノの良し悪しにはいろいろあるが、一定以上の楽器であれば、あとは弦の圧倒的な長さ、響板の広さこそが勝敗を決するというのも、いささか乱暴なようだが真理のひとつではあるまいか。
 
 話は脇道にそれるが、いぜんもあるピアノ店で新品のスタインウェイのBとDを弾いたことがあった。店の人の話ではとくにそのBは出来が良いとの話だった。しかし実際に弾いてみると、そんな説明もなんのその、Dのもつ落ち着きや深みはとにかく圧倒的で、それに対してBは中型の良く鳴るグランドぐらいにしか思えなかったし、ヤマハでも同様で、CFIIISのあとにC7を弾いたら、こう言っちゃ悪いがまるでペラペラでほとんどピアノですらないようだった。
 
 話を戻す。
 この藤井ピアノサービスの3階は、とくにホールのような構造の場所ではないけれど、音響的にも好ましく、音がほどよく響きつつ決して固く角張ったところがないのが心地よい。藤井氏もお仕事の合間合間にときどき姿をあらわしては椅子に座って、我々の拙い演奏に耳を傾けておられた。聞けばここでこうして聴くのが一番お好きらしく、自分にとっては最高の贅沢なのだという事で、さもありなんと思われる。
 また偶然かもしれないがこのEXは、音色・音量など、この環境にとてもジャストフィットしているようにも思われた。
 
 思い出したが、過去にマロニエ君はEXを使ったコンサートに何度か行ったことがあるが、そのときの印象としてはやはり全体のまとまりが良く──これはとくにピアノのような大型楽器ではとても大切な事──音色の美しさと音楽性も充分にあり、非常に完成度の高い実直なピアノだという好印象があったが、唯一惜しい点としては、大きなホールでは若干パンチがないことだった。
 この点はカワイもよく承知しているとみえて、SK-EXではまずもってこのパワーアップが図られたようだ。しかしマロニエ君が一度きり行ったSK-EXのコンサートでは、パワーは増強されているものの、EXに見られたような完成度がもうひとつ感じられないものだった。むろん、さらにその後、どんな改良がなされたかはわからないが。
 
 さてこの藤井ピアノサービスにあるEXは、カワイの社内で所有していたピアノの由で、どこかのコンクールに持っていくために作られたピアノの中から、最終的な選にこぼれた一台なのだそうで、以降は貸出などに使われていたピアノという来歴らしく、いわゆる普通のEXよりも優秀な一台らしい。
 
 それもその筈で、このピアノの音には端正な美しさがあり全体のバランスも非常に素晴らしい。音や響きにもムラのない清々しい健康体であり、しかも繊細さも併せ持つという完成度の高いピアノだと思った。ただ、強いていうなら、非常に美しいけれど性格はややおとなしいピアノだと思った。コンクールに出場しなかったのはこのおとなしさ故ではないだろうか。歌手などでも非常にリリックで繊細な美しい声を持ってはいるが、大劇場のオペラなどにはもう一つ声量の足りないというような、しかしきわめて高度な音楽性をもった優れたリートの歌い手などがいるものだが、このピアノはまさにそれだろう。
 大ホールのリサイタルやコンチェルト向きではないけれど、小規模なコンサートや私的な使い方をするには、まさに理想の一台のように思われる。マロニエ君はこういう自分の内面に語りかけてくるようなピアノが大好きで、例によって盗みに入って一台持ち逃げするなら迷うことなくこのEXである。とにかく素晴らしいピアノだった。
 
 余談だが、後日別所でスタインウェイの同サイズのピアノを弾いたら、その出てくる音のパワーと華々しさにはびっくりした。やはりこちらはステージこそが生きるべき場所のようであるし、おそらくは新しいSK-EXは他の強豪と同等のパワーと華麗さを身につけて国際舞台へと送り出されているのだろうと思われる。
 しかし、マロニエ君としてはいまだにこのEXの素晴らしさが心に残って離れない。
 
 もちろんEXと並んでいたベーゼンドルファーの200とベヒシュタインのA-190も弾いてみたが、EXを弾いた後ではいかんせん条件が悪い。ベーゼンドルファーは例の澄んだ中にもやや鼻にかかる尖った音がしており、ベヒシュタインは2階にあったものと同じモデルであるが、こちらはもっと引き締まった透明感のある音がするピアノだった。2台とも単独でみれば素晴らしい楽器であることに間違いはないが、なにぶんにもコンサートグランドと席を同じくするするピアノは、どうしてもその風圧におされて不利であることは免れない。
 人間の感覚というのはどうしても相対的なものだから、ましてや同じ場所に並ぶものとは無意識に比較してしまうのが本能で、EXを弾いたあとでは、まずなによりそのサイズからくる限界のほうを先に感じてしまうものだ。
 ちなみにピアノは奥行き2m前後が設計上の最良バランスのように言われるし、それはそうなのかもしれないが、やはりピアノは圧倒的に奥行きがものをいう世界で、コンサートグランドだけが持つ深みと余裕と途方もない潜在力は、他の追従を許さないものがある。これにくらべると、より小型のピアノはどんなに良くできているものでもどこかに無理をしているように感じてしまうし、音質もサイズが小さいほうがキツくてうるさい感じの音になる。温泉に対する家庭風呂の限界みたいなものだろうか…。
 
 それにしても藤井ピアノサービスはなんとも不思議な残像をのこすピアノ店であった。
 通行人の誰の目にも触れる、ある意味で普通のピアノ店である1階から、許可を得た者だけが踏み入れることの出来る2階と3階。そのあまりな急激な変化は、現世、空中、天界とでも呼びたくなるものであった。
 
 ピアノ店に限らず、店の構造というのはごく一般的な形体としては、外から見た感じや店内に入った第一印象を最も重視して作られ、まずそこで来訪者のインパクトを得るべく最大のエネルギーが払われているのが定石である。それがこの藤井ピアノサービスでは正反対になっていて、それだけでも訪れる者を、奥へ分け入るほど驚きの淵に落とし込んでしまうという流れはちょっと他に例がない。
 
 もしかするとこの店の構造それ自体が、藤井氏の諧謔なのかもしれない。
 藤井氏は決して寡黙な人ではなく、陽気でおおらかではあるが、だからといって必要以上に店やピアノの事をしゃべり立てたり、説明のオンパレードになることは決してない。普通は技術者の店に行くと、話の大半は主殿の果てしない独り語りに費やされるのも決して珍しくはないのだが、そういう意味ではこれだけのピアノを擁しながら、そのあたりは実にあっさりとしている。良いピアノは、くだくだしい説明はせずとも触ってみれば、聴いてみれば、自ずとわかるはずといった自信に満ちた心底があるのかもしれない。
 
 聞けば藤井氏はこの川内の生まれで、根っからの薩摩隼人のようである。
 むかし司馬遼太郎の文章で読んだことがあるが、薩摩人というのは独特の気質と精神性を持っているのだそうで、例えば──具体的な場所は忘れたけれど──ある場所へよそ者がくると、目指す場所への行き方を簡単に教えるだけで、それ以上は敢えて何も語らないそうなのである。そしてその場にたどり着いた人達は、そのあまりの絶景に圧倒され、深い感動のうちに戻ってくるらしい。そうなることはよくわかっているので、薩摩人はあえてよけいな説明は加えず、サラリと知らん顔をして、あとのことは当人の素直な感性に委ねたりするのだという。
 そういう薩摩人の体質をこの藤井氏の中にも見た気がしたマロニエ君であった。
 薩摩に生まれ住む人達は、心の裡に気概と矜持を有し、しかも表向きは情緒豊かでおかしみのある人達なのである。
 
 しかも何度もいうが、薩摩川内市という人口わずか10万ほどの小さな町(といっても表向きの面積は福岡市の倍ほどもある!!)に、こういう異色のピアノ店が存在すること、この摩訶不思議は帰宅後数日を経ても尚、ずっと続いている。
 
 できればもう一度、今度はもう少し冷静にこの店を訪ねてみたいものだ。
 もちろん藤井氏が「どうぞ、またいらっしゃい」と言ってくださればの話だが…。