#69.CDの怪しい気配

 最近CD店に行くと感じることだが、行く度にわずかずつではあるが、どことなく勢いがなくなってきている気がして、それを思うとあまり愉快ではない。
 以前ならクラシックの売り場は静かでも、それ以外のスペースではそれなりに活気があったものだが、最近ではそちらも以前のような元気がないように見えてしまう。これがマロニエ君の杞憂ならいいのだが、雰囲気というものには理屈を超えた何かがあって、なんだかそのうち突然撤退などということがあるのではないかと内心ヒヤヒヤしてしまう。
 
 商品構成にもそれはあらわれていて、行けば自分の興味のあるところは隅から隅まで見尽くすので大体覚えているものだが、商品の入れ替わりが遅く、売れない物はいつまでたってもそこにある。だからだろうが新しい(新譜とは限らない)商品は少しずつは入ってきているものの、ショップに本来望みたいような活気もなければ商品がたえず動いているという感じもあまりない。見渡せば同じフロアにあるジャズの売り場もずいぶん静かな感じがするから、おそらくはCDビジネス全体が被っている不況の波ということだろか。
 
 また、レコード会社のほうも市場が慢性的に冷え込んでいるために、過去の商品をさまざまに組み替え、値段を下げて再販することや、輸入物では以前ならあり得なかったような網羅的な全集など、セット物や再販廉価シリーズなどで価格を落とすという、どう見ても不本意と思われるやり方で凌いでいるようだ。そうは言っても、とりあえず買う瞬間に安いというのは理屈抜きにCD購入者にとっては、直接ありがたいことには違いないし、マロニエ君もさんざんその恩恵に浴しておきながらこんなことをいうのも忸怩たるものがあるけれども、この調子で行くとそのうちどん詰まりを迎えるのではないかという心配が頭から離れることがないのである。
 
 もちろん世界的に景気が持ち直し、音楽文化の分野にも豊富な資金と需要が流れ込むようになれば事は解決だろうが、そう都合のいいように行くはずもない。景気といっても経済はこれからはよりアジア主導の時代になるだろうから、西洋音楽が商業的に再び花開くとも思えない。さらにはIT革命の矢継ぎ早な進歩と徹底により、文化芸術まで危機にさらされているようで、これは世の中の仕組みそのものの変化だろうから、ちょっとしたことでは歯止めがかかりそうにもない。
 
 そんな厳しい状況に反して、甚だつまらない、到底売れる見込みのないような新譜の出てくる数はやたら多くて、とてもではないがそんなものにいちいち付き合ってはいられない一面もあるのは不思議である。
 とはいっても、新譜でも価格は輸入盤ならずいぶん安く、メジャーレーベルの新譜であっても、おしなべて2千円以内で買えるようになったのは以前なら考えられなかったことで、素直にありがたいことに間違いない。輸入盤ということは、業者が海外から仕入れて売っているのは明らかだから、明らかに薄利多売で、仕入れ値は果たしてどれぐらいなのか、あるいは肝心の演奏者に支払われるの金額はどれだけかと思うと、つい心配にもなる。
 
 また、よくわからないのが国内版という代物で、同じ内容でもこれになると値段は一気に千円ぐらいのアップになってしまうわけで、曲名表記や解説が日本語になっているというだけで、なぜそんなに高くなるのかがいまもってわからないし、納得できないことのひとつである。しかも、国内版の解説といったって昔のような立派な読み応えのある解説文ならまだしも価値が納得できるというものだが、3つ折ぐらいのペラペラの紙に、肩書きだけは音楽評論家というような人の名で、まことに通り一辺のどうでもいいような文章が載っている程度で、あとは判で押したような演奏者の経歴などだから、ほとんど価値のあるようなものではない。あんなもので千円近くアップなんてとんでもない!そのぶんでもう一枚安いCDでも買ったほうが100倍マシというものだ。
 
 いずれにしろ、メジャーレーベルも大変な苦労をしているらしいことは肌で感じてしまう。たとえば老舗中の老舗であるグラモフォンやデッカなど、昔であればこのレーベルの専属アーティストになるということは、それだけで大変な権威性を有し、いわばレーベル自体が演奏に対する厳格な審査をやっていて、製品化したものには無言の保証をしているのと同義であった。ちょっとやそっとの才能やコンクール優勝者として話題になったからといって、これらの専属になるなんてことはできなかったが、それも今ではすっかり様変わりしており、他社と同じくアーティストというよりは楽器の弾けるタレントを片っ端から捕まえて製品化しているという感じだ。
 
 具体的な名前を書くことはやめておくが、昔なら到底無理であっただろうと思われる若い演奏家が、今は次々に契約して、たいしたこともないディスクがポンポンとリリースされている。どの世界もそうだが、昔のような殿様商売と言ったら語弊もあろうが、格式の高さを看板にしていた一流店は苦戦を強いられ、生き残るために頭の切り換えを求められるようになったことは間違いない。要するに威厳や質を重視しながら誇り高いのれんで商売をやっていける時代はきれいに過ぎ去ったということだろう。
 かつてのようにその一流レーベルにあった理念なり哲学を堅持し、厳選されたものだけを製作・発売するのではなく、第一義として現代の市場で売れるという結果を出せそうなものなら、どんどん妥協的に作るようになった。同時に昔のようなCDの価格維持もできなくなり、どこも値下げ競争という荒れた海を泳いでいる。これは製品の質的内容の維持という意味ではたいへん残念なことだと思う。
 
 そうかと思うと、かつての名盤をリマスターしてSACDのような高級オーディオに対応するようにした製品もチラホラ見かけるが、これはかなり価格が高くなる上に、客のほうでもその価値を享受できるだけの高度なオーディオ機器を揃えていることが前提となり、これは到底主力商品にはなれない気がする。
 
 いっぽう日本人はあらゆる場面で自虐的という見方が政治・外交・経済などでされているが、これはCDについても同じようなことが言えるような気がする。
 以前も書いたので極力重複は避けたいところだが、まさか売れないことのへの意趣返しでもなかろうに、国内のレーベルが製作するCDはとにかく単価が冗談のように高すぎる。
 日本人が国内で発売するCDの大部分は3000円ラインで、これは著名アーティストであっても、無名の新人でもかわらない、まるで均一料金のごときだ。枚数の見込める人気アーティストの場合は、明白な商魂の逞しさを感じさせるいっぽうで、無名に等しい新人の新譜などがぬけぬけと3000円のプライスタグをつけるのは、なんとも思い上がりのようでもあり、同時に売れない腹をくくっているかのようで哀れを感じる。
 ほとんど実績らしい実績もない若い新人が、CDでは最高額から市場にデビューしたといって、どういう意味があるのかまったくわからない。こう言ってはなんだが、CDに関してはマロニエ君のような酔狂な人間をもってしても、そのアンバランスな価格では買う気がなくなるのだから、ましてや一般的に商品力があるはずがない。
 本来なら実力、知名度、商品力などの観点からすれば半額でも充分だろう。
 
 いっぽうで少数存在する国内の有名演奏家の場合は、今度はその人気に悪乗りせんばかりに、これまた決して値下げはせず、まるでお盆や正月前には、どこも季節商品の値段が申し合わせたように高騰するのと似たような、日本人流商売の悪しき伝統の流れを感じるのである。
 あまりこれをやられると、そのアーティストの顔まで儲け主義の片棒を担いでいるように浅ましく見えてくるから、本来はマイナスにもなると思うのだが、営業側はそのような演奏家の本来の価値や将来へ繋がる配慮など知ったことではなく、目先の収益のことしか頭にないのだろう。
 
 逆に、有名人でない演奏家がCDを製作する場合、ほとんどの場合は売れないという前提の防御策から事はスタートし、演奏者ははじめから途方もない枚数を自ら買い受ける義務を背負わなければならないらしい。
 それでも演奏者はなんらかのレーベルから自分のCDがリリースされるという魅力と権威付け(になると信じている)に抗しきれず、その理不尽な条件を呑んでいるという。ちなみに自費製作のCDでは全国的な規模の販売ルートには乗せることはできないというやむを得ぬルールがある。
 こんなシステムが横行している限り、日本人の演奏家も本当に力のある人が、それにふさわしい健全な活躍をすることはできなくなるだろう…というかすでになっているはずだ。いまやネットの時代だが、海外のCDは新譜であってもなぜあんなに安いのかが不思議というか、こういうものが先進国並みの価格に安定しない限り、日本は本当の文化国家とはいえないのではないだろうか。
 
 さらに、現在はCDやコンサートも実力とそれに附随した人生ドラマを兼ね備えた人でないと集客力がないというが、これも実に嘆かわしいことである。マロニエ君はべつに空虚な理想論ばかりを言い立てようという気は毛頭無いけれども、やはり芸術家はその芸術行為それ自体で自らを世に問い、勝負をかけ、それによってのみ評価をされる、そういう当たり前の時代がやってきて欲しいと願うが、どうもその見込みはなさそうな気がする。
 
 つい先だっても、人から「CDはそのうち無くなるらしいですよ。だから大事にしておかないと、もういろんな音楽が聴けなくなりますよ!」といわれて、それが本当かどうかは知らないけれども、とりあえず聞いただけで暗澹たる気分になってしまった。
 ネット配信なんていったって、それはたった今欲しい物だけを刹那的に我が身に引き寄せて、厳密にいえば音楽さえも次々に使い捨てにすることのようにしか思えない。それで本当に手応えのある、人間の感性や生理に適ったライブラリー形成・文化の集積・構築などできるはずもないと思うけれど、そんなことは吹き飛んでしまうような時代である。
 
 先日読んだ雑誌には、現在尚、あまたのLPレコードを持っている人は少なくないだろうが、それをすぐに再生できる環境を整えている人は僅少だということが書かれていた。プレーヤーは持っていても電機製品の宿命で、しだいに動作には困難が生じ、修理のためのパーツもメーカーにさえ存在しなくなり、さらに買い換えも極めて困難であるという。また直接の消耗品であるカートリッジなども、極めて狭い範囲の、高額な製品の中から妥協的に選ばざるを得ず、最終的には音源をデジタルへ移行する手段を講じる以外に現実性の高い道がないだろうというのである。
 マロニエ君もまさにこれに該当し、自分としてはかなり夥しい量のLPを所蔵しているが、再生されることもないまま貴重な空間を占拠しているだけだから、なんとも身につまされる話であった。
 
 バブルの頃のような浮かれた時代がよかったなどと阿呆なことを言うつもりはないが、文化が衰退傾向にある昨今の状況に追い打ちをかけるように東日本では大震災が発生し、そこから原発停止、節電、経済の疲弊など、暗く厳しい問題ばかりが何事にも先行する時代が我々の目の前にあるらしい。これが当分は続きそうな今日、ついとりとめもない暗い話ばかり書いてしまったが、願わくはもう少しゆっくり穏やかに、少なくとも文化芸術の分野ぐらいは、最低限の水準は維持しておいてもらえないものかと思うばかりである。
 かつての悪しき社会主義の為政者でさえ、文化芸術の重要性は認識してこれを擁護してきたのだから。
 
 新しいIT機器が登場するたびに、既存の多くのものがそれによって滅ぼされていくような、そんな凶器のようにしか感じられないことが恐ろしいと思うこの頃である。