#77.ニューヨークとハンブルク

 ありそうでなかなかないのがスタインウェイのニューヨーク製とハンブルク製の弾き比べ(聴き比べ)の機会である。
 滅多にないこの機会に思いがけなく恵まれ、隣り合わせに並んだ2台のD(コンサートグランド)の弾き比べをすることができた。
 
 ただし製造年には差があり、ニューヨーク製が約20年前のもの、ハンブルク製は2年前ということで、この点はいささか公平を欠く気もするが、同じサイズ、同じ場所、同じ技術者という条件は満たしているのだから、まあ現実的にこれ以上の贅沢は言ってはいられない。
 
 これまでにもずいぶんこの両者の違いについては、あれこれと考え、体験してきたことなので、なにもいまさらとは思ったけどれも、考えてみたらニューヨークVSハンブルクというのは実は書いたことがなかった。
 たぶんこのテーマは書くのが恐いもののひとつでもあり、無意識のうちに避けてきたのかもしれない。そこで今回再確認できたことや、新たに感じたところもあるので、思いつくままに書いてみる。もちろん間違っていることもあるだろうから、その際はよろしくご指導願いたい。
 
 端的にいうと、この両者の決定的な差は「お国ぶり」の違いであり、「明晰さ」であるとあらためて思った。
 
 過去の日本では、スタインウェイは長いことドイツのピアノと認識されていたのに対し、近年は、ニューヨークに本社が存在するあくまでもアメリカのピアノ会社であり、それをドイツでも生産しているだけとする主張が出てきている。
 もちろんこれは間違ってはいない。しかし、それではそもそも純血種のアメリカピアノなのかといえば全くそうではなく、スタインウェイ一族はドイツ人のピアノ製造屋一家で、その設計も彼らを中心としておこなわれたが、その創業の舞台が工業力の優れた19世紀中頃のアメリカであったというに過ぎない。産業革命後のアメリカの工業力をバックにして、その技術を使いながら、ドイツ人によって作り上げられたピアノというべきだろう。
 はっきりしていることは両国の長所をブレンドして出来た奇蹟のピアノだということ、そしてドイツだけでもアメリカだけでも、絶対にあのようなピアノが完成することはなかったということだろう。
 要するにアメリカにあってもドイツにあっても、スタインウェイピアノは人間で言うところのハーフなのである。おそらくは19世紀のスタインウェイはいずれの生産品でももっと似通っていたに違いないが、時代と共に両所の拠点も安定して、長い年月の間で少しずつアメリカ風・ドイツ風へと変わってきたのではないだろうか。
 しかも気質としてアメリカとドイツというのは、ある意味では両極端の国柄であり民族性だから、違いが出るのは当然だろう。
 
 今回弾き比べをしたのは、なにしろサイズは最大のD型ではあるし、いずれも深く良く鳴ることにおいては並々ならぬものがあり、朗々とその美音を奏でてくれるは言うまでもないが、その響きの中でも常に個々の音の色艶と輪郭を損なわないのがハンブルク製で、ニューヨーク製は時としてその点がわずかに曖昧になるが、ではそれが悪いのかといえばまったくそうではなく、これこそがこの同一メーカーにして国籍の違うピアノの個性だと思われる。
 あくまでも端然と演奏を描き表すハンブルクに対して、ニューヨークは曲を大きな響きの中に滲ませながら聴かせようとする。これは一種の寛大さとも言えるかもしれない反面、時としてやや不明瞭となる場合もあるだろう。しかし、温かく豊かに音楽を表出しようとする性質であるのがわかるし、その点ではハンブルク製にはドイツの一流品のどれもに通じる機能優先主義と、どこか冷たさがあるのも否めない。
 
 同じスタインウェイという名のピアノでも、誰にも分け隔てなくフレンドリーで温かなニューヨーク、対してハンブルクには一種の誇り高さと威厳が感じられる。さあ一緒に音楽をしましょう!と語りかけてくるニューヨーク、しっかり練習して出直してこい!というハンブルク、そんなところだろうか。
 
 ハンブルクスタインウェイは他のドイツピアノと比べてみると、さすがにコテコテのドイツ人ではなく、流暢に英語を話すドイツの国際人という気がするが、こうしてニューヨーク製と並べて弾き較べてみると、やはりまぎれもないドイツピアノだと思わせられるのはどうしようもないほどで、何事も比較する相手次第である。
 ニューヨークは弾いていると、音にもハンブルクにはないような僅かなばらつきがあったり、タッチもどこか曖昧な点などが残っていたりして、いわゆる完璧主義的に一分の隙もなく作り込まれた超高級品という雰囲気ではないけれども、どうかすると音と音とが微妙に混ざり合って、えもいわれぬ色あいが立ち上ってくるところなど、喩えて言うとちょっぴりアルコールの入った愉快な歌を聴くようである。
 ひとつひとつの音として点検していくと、必ずしも万全とは言い難いところがある反面、音の響きがまるでゆらめく陽炎のように現れて、気が付くとその場の空気までも動かしてしまうようで、最後には見事にバランスの取れた、帳尻のあった音楽を描いてくれるところはどこか生き物のようでもある。
 
 音楽というものがあくまでも歌であり高揚感であると捉える向きには、ニューヨークスタインウェイは恰好のピアノになるような気がする。別の言い方をすると、ピアノそれ自体が必要以上に前面に出張ってくることがなく、音楽を演奏されてはじめてピアノとしての価値や存在理由を現し始める性格を持っているように思われる。
 また、パッと見は大して力強くは鳴っていないようでいながら、実は楽器全体はものすごく良く、それこそ身を震わすほどに鳴っているのもニューヨークの特徴だろう。
 いうなれば、演奏がいったん楽器の中へ透過するようにアレンジされて音に現れてくるような感じといえばいいだろうか。
 
 その点ではハンブルクはずいぶんと厳格な音の出し方、響き方をして、あくまで居住まいを崩すことがない。基礎教育もしっかり叩き込まれたピアノで、いかに本社はニューヨークにあろうとも、こちらはヨーロッパの歴史と奥行きを感じさせる。
 あくまで基本はクラシック音楽を前提とした、芸術表現を目的としているといった楽器だという厳かな気配があるし、しかもいかなる目的にも対応できる懐の深さも併せ持っているのだから、まさにピアノの優等生だろう。音色も艶やかで、もちろん演奏をしても見事におさまりをつけるピアノではあるが、ひとつひとつの音も念入りに磨かれており、いかなる場合も一定の美しさと気品を湛えている。
 
 また外観のデザインにもディテールには小さくない違いがあり、ニューヨーク製はとくに鍵盤周りのボディのシャープな造形はなんとかいう歴史的なデザイナーによるもので、まさに戦前のニューヨークの街そのもののような都会的で鋭敏な美しさが際立っている。音ではなく、造形の点だけでいっても、このピアノがもっとも絵としてサマになるのは、あのカーネギーホールのステージだろうし、ディテールの造形の楽しみはニューヨークが一段上のような気がする。
 その点ではハンブルク製は、あくまでもオーソドックスで機能を極限まで追いかけることで到達した、これ以外にはないというモダンピアノの手本となるべき造形で、これはのちの多くのピアノのデザインにもはかりしれない影響を与えたように思われる。
 
 再度音の話に戻ると、ハンブルク製は芯の強い硬い音&甘く柔らかな響き、ニューヨーク製は芯はさほど強くなく柔らかい音&甘味は薄いがゆらめく響き、とこのような違いになるような気がする。音に色艶があってカッチリしているのがハンブルクなら、常に音同士が滲み合ってさまざまな中間色を出そうとしているのがニューヨーク製だろう。
 
 その違いは一般的にハンマーの違いが大きいようにいわれることがるが、マロニエ君はニューヨーク製にハンブルクのハンマーを付けたピアノも何台か弾いた経験によると、とうていハンマーの違いが両者の個性のすべてとは思われなかった。ニューヨークにハンブルクのハンマーを付けると、なるほどその音はニューヨークの純正の音とはやや違ったものになるし、そこには若干キレの良さが加わる。しかし、それでハンブルクの音になっているかと言われたら、それはまったくのNo!なのであって、あくまでもニューヨークの音の本質にはなんら変化はなかった。ハンマーが違うぶん、ちょっと目先がかわったぐらいのもので、持っている声帯はまったくかわっていない。
 
 では何が違うのか。
 それは判然とはしないが、おそらくはマロニエ君の直感で言うと、フレームの成分やなにかと、あとはボディの材質ではないかと思う。これはもちろん確かなことではない。あくまでもマロニエ君の素人判断による消去法で得た結論で、実際は間違っているかもしれないことはよくよくお断りしておく次第である。
 因みに響板は、以前は両者産地の違うものを使っていたが、現在(21世紀以降)は北米産のものに統一されているという事も聞いたので、最新の2台を比べたらどのような結果が出るのか興味のあるところだ。
 
 基本的な設計はまったく同一だが、音構成の思想面で大きな違いを感じる事がある。
 とくにピアノ全体の鳴りの中で、弦楽器のようにボディを積極的に鳴らそうという思想はニューヨーク製のほうがより強いようで、弾いてみるとそれをひしひしと感じるのは事実である。その点ではハンブルク製は、響板、フレーム、ボディの響きには化学調合のような厳格な比率によって決定されているようで、当然ボディの響かせかたの配分も違うようにも思われるし、あくまでも響板とフレームに対する依存度が高いような印象だ。
 これに対してニューヨークは鳴らせるものはなんでも鳴らすということなのか、ボディまで大いに鳴らし、同時に響板への依存度がやや低くなっているのかもしれない。響板と並んで木のボディまで鳴らすという思想には、ちょっとベーゼンドルファーにも通じる特性をごく一部に感じてしまう。音色は全く違うけれども、全身が弦楽器的に共鳴して、それでいてどこか軽やかでちょっと線の細いところがある点などは、やはり一種の共通点のようにも感じる。尤もこういう意見はてんでわかっちゃいないと猛攻撃を食らいそうだから、このへんでやめておこう。
 
 もとに戻って、音の違いはボディの塗装にもあらわれており、ハンブルク製は80年代までは艶消しが主流だったが、以降はより高級とされる艶出しが標準となり、他社のピアノと同様に分厚い塗装がされていて、これがボディの鳴りを多少封じ込めているのはあるらしい。同時に艶出し塗装では音が硬く鋭くなるのだそうで、以前の艶消しの時代のピアノのほうが一層やわらかさがあるのは、ピアノにとっては塗装も音を決める要素のひとつだということだろう。
 スタインウェイにはボディの構成材料を紹介するためにシステムピアノというものを昔からしばしば作っているが、このピアノは各部位に異なる木材がどのように使われているかを見せるために、意図的に塗装をされていないが、そのためにこのピアノは塗装されたピアノより軽くて良く鳴るといわれている。
 
 ニューヨーク製は昔から伝統的にラッカーを薄く塗って半艶だしのヘアライン仕上げというのにしてあるのが特徴であるほか、ボディには楓材なども使われているために、ピアノが全身でわななくように鳴る特徴があるようだ。
 ただし、このラッカーのヘアライン仕上げは非常に傷つきやすいという弱点があり、古くなったニューヨーク製にはかなり疲れた感じに見える個体が多いのも、ひとつにはこの弱い塗装に原因があると思われる。
 
 状態の良いニューヨーク製は非常によく鳴るけれども、音の輪郭や鋭さという点ではハンブルク製が勝るから、奏者が弾いていて直接的な手応えを感じるのはハンブルクかもしれない。逆に最近ではニューヨーク製にもハンブルク製同様の艶だし仕上げも出てきており、全体に響きの柔らかいニューヨーク製では、むしろこちらの方が音にも多少メリハリが出て好ましいようにも感じる。
 ただしこのあたりについてはある雑誌によるニューヨーク工場での取材結果として、塗装の違いは音には一切関係ないと断じられていたが、それは到底納得できるものではない。ポリエステルの艶出し仕様はあきらかに硬い音がするし、これは科学的にも証明できるものであるというのを聞いたことがある。
 
 見た目のデザインの違いなどはたくさんあっていちいち書くにも及ばないと思われるが、全体としての製造クオリティは誰がどう見てもハンブルクが一歩リードしているのは異論を待たない。この点では少し前のメルセデスとキャディラックぐらいの品質の差はあると考えた方がいいだろう。
 
 作り手側の思想としても、全体的に音に直接関係しないところはニューヨーク製は手間暇を省略する傾向があり、コンサートグランドでも鍵さえない(一時期ついていた時代もあるが)とか、ハンブルク製ではサイドにある大屋根を留めるL字状の金具もない、あるいはボディ内側の木目の化粧板も貼られないなど、全体に質素な印象となるのは免れないだろう。
 ちなみにボディ内側垂直面の木目は、ハンブルク製は戦後から1960年初頭あたりまでの十数年間は無かったが、その後は復活して今日に至っている。いっぽうニューヨーク製は一度もこれがつけられた時期はなく、外装が木目仕上げの場合はこの限りではないが、黒のピアノだとフレーム以外は外も内も黒一色で、もう少し華やかさがあってもいいような気がする。
 
 ボールドウィンやメイソン&ハムリンなどにもボディ内側の木目はないから、もしかするとアメリカピアノの伝統的な流儀なのかもしれないが、現在では中国製のピアノでもこれはあるから、もはやそれ無しを貫くのは稀少な存在とも言えるだろう。
 
 これ以外の違いをいうと鍵盤両脇のボディ腕木の形状(丸形と角形)の違いや、大屋根のつっかえ棒の形状、ペダルの金属プレートの有無、大屋根内側の補強棒の数などがあるが、基本的な設計や寸法は同じである。
ただしピアノのような図体は大きいけれども精密機械の場合は、ほんとうに細かいことの集積によって全体が成り立っているので、設計は同じでも両者の個性がかなり違ってきている。
 とは言っても、基本的な音の構成は同じだから、両所のスタインウェイ同士をくらべると違いがあるけれども、他社のピアノと比べたときの違いとなると、これはもう根本的な違いというか、まったくの別物になるわけである。
 
 全体の佇まいとしては、ニューヨーク製はまさにニューヨーク的なシャープでスタイリッシュな印象で、いかにも小股の切れ上がった秀逸なデザインといえるだろう。ちなみにスタインウェイの廉価版であるボストンやエセックスのエクステリアデザインのベースは、角ばった椀木や大屋根のつっかえ棒・譜面立ての形状などを見てもニューヨーク・スタインウェイであるのは明らかだ。
 
 この点でいうと、ハンブルクの外観はいかにも常套的なピアノデザインの文脈に貫かれており、そこにはいかにもドイツ的な落ち着きと機能美が備わっているから、このハンブルクのスタイルがのちに世界的なピアノのデザインの標準になっていった気がする。ちなみにヤマハやカワイも、デザインのルーツはハンブルク・スタインウェイであることは疑いようがないし、とくに昔のカワイのグランドなどは、ほとんどそのコピーに近いような姿をしている。
 
 スタインウェイのことを取り扱った本によると、作り込みの丁寧さではハンブルク、材質の良さではニューヨークというのがおおまかな結論のようでもあるし、それは現物に触れても概ねそのような印象だ。
 マロニエ君の経験でも、たしかにニューヨークのほうがボディの材質は良いのではないかと思われることがあるし、ある有名な塗装技術者の談によればニューヨークスタインウェイは再塗装のために古い塗料を落とすと、そのまま黒を吹き付けるのが惜しくなるような美しい木目が出てくるという話を聞いたことがあり、実際にそれで黒に塗り潰す予定を変更して、素地の良さを生かした木目に仕上げたということもあるらしい。
 
 また、両所のD型を例にとると、大屋根の内側に取りつけられた補強棒はハンブルクが2本なのに対してニューヨークでは実に4本となっている。ひとつにはアメリカのほうがピアノの上に人が乗ったりと、扱いそのものがいささか乱暴な国柄ということもあるだろうが、それだけ材質が良いから強度がないということも言えるのではないだろうか。例えば譜面台の上のフタを開くときに手にかかる重みでいうと、若干だけれどもニューヨークのほうがあきらかに軽いのである。ちなみに大量生産のピアノは日本製などもかなり重いが、これは木の重さではなく専ら合板にするときの樹脂や接着剤の重さが加わったものだから、軽い方がより自然な材木に近いものだと想像できる。
 ただし音色からひとつだけ感じることは、唯一ハンブルクのほうが材質がいいのではないかと思われるのが響板で、それがあのハンブルク独特のこくのある音色を作り出しているような気がする。ちなみにハンブルクの響板は北ドイツのスプルースであったらしいが、これもごく最近では統一されているというから、すでにその差は無くなっているというわけだろうけれども。
 
 さまざまな合理化も進められているようで、そのすべてが悪いことばかりでもなく、最近では良い意味での機械化の導入で工作の精度が上がったり、両者のパーツが共通化されたりと、いろいろな変化が起こっているようで、そこにも一長一短があるようで、今後はそれぞれどんなピアノになっていくのかは見守るしかないだろう。
 ただし声を大にして言っておきたいことは、なんでもかんでも手作りが最良というわけではなく、無数のパーツの製造や組み付け等に機械が導入されることで、均等な優れた工業製品が出来るという一面があることも忘れてはならないという事だろうし、とりわけアクションなどはその最たるものではないだろうか。
 
 最後にサイズのことに触れておく。
 ニューヨーク、ハンブルク両所で生産されるモデルはほぼ同じで、奥行きの長さで言うと、小さいほうからS=155cm、M=170cm、O=180cm、A=188cm、B=211cm、C=227cm、D=274cmとなる。
 ただし、C型は戦後のニューヨークでは生産されていないし、少し前まではO型はハンブルクのみで、このサイズに相当する機種はニューヨークではL=179というのがあったが、現在はO型に統一されている。
 
 このサイズを見てちょっと奇妙に感じるのは、AとBでは大きさがいきなり23cmも開いてしまうことで、ヤマハやカワイでいうところの5サイズモデルが存在しないのはラインナップバランスからするとちょっと不自然である。
 この点は、実は戦前のニューヨークにはA3という奥行き200cmのまさにそこにすっぽりはまるモデルがあったのだが、もう長いことカタログから落ちてしまっている。
 あるピアノ店店主の証言によると、このA3こそはコンサートグランド以外でのスタインウェイの最高傑作であったらしく、その完成度の高さにはまったく目を見張るものがあったのだという。スタインウェイ社自身も予想しなかったほど素晴らしいピアノだったそうで、これが存在していると逆に看板商品であるBが喰われてしまう恐れがあり、だから生産を中止したに違いないとの見解だった。マロニエ君も少しだけ触れたことがあるが、たしかにバランスがよく、Bにくらべてなんら遜色ない素晴らしいピアノだったことは記憶に残っている。
 このA3についてはハンブルク製の存在は聞いたことがないし、おそらくニューヨークでのみ生産されたようであるが、その点は確認はとれていない。
 
 スタインウェイ社は、表向きは昔ながらの職人の手作りを貫いていると標榜しているが、実際に長くスタインウェイピアノに触れてきた技術者の話によると、最近は良い意味での機械化の恩恵でパーツや組み付けの精度が上がり、工業製品としての品質はよくなっているとのことだった。しかし、それとひきかえに材料や一部工法の変更による質の低下は否定できず、その精度向上をもってしても性能の低下分には差し引きで追いつかないようである。そのあたりの焦りからか、突如として奇妙な仕様変更などをしたかと思うとユーザーや技術者の猛反対にあってまた元に戻すなど、いろんなことをやっているようで、さしものピアノ界の覇王も安閑とはしていられないご時世のようだ。
 
 なぜこのようなことになるのかといえば、それは企業体として利益を追求するためで、そのためには出来るだけ安く効率よく安定した製品を作って、一台でも数を多く売るという命題があるからにほかならない。
 欧米や日本のような成熟経済の国では販売は横ばいなので、今後は中国や南米、アフリカなどに期待がかかっているのだそうで、企業としてはそれが正道かもしれないが、ものはなにしろ世界最高峰のピアノなのであって、その期待に応えるべき極上のピアノを求める我々の心情からすれば、深いため息が出るばかりである。
 
 ピアノメーカーなんぞ吹けば飛ぶような零細企業でも構わないから、むかし通りの特別なピアノを少量作る誇り高いメーカーであって欲しいと願うのは、われわれの単なるロマンなのかもしれない。しかし音楽や芸術はそもそもロマンを描き出す心情なくしては成り立たないものでもあると思うのだが。