#79.演奏者の色直し

 コンサートに限ったことではないけれど、人が「良かれと思って」やっていることの中に、「ああ…それはしないほうがいいのに…」と切実に思うことってないだろうか。とりわけそのマイナス面も省みず、嬉々としてやっているときの当人の姿は、なんとも痛々しく見えるもので、あの瞬間は実に辛い気分になるものだ。
 
 いつもながらのマロニエ君の個人的な印象だが、コンサートでいうなら、日本人(とくに女性奏者)のちょっと思慮の足りない、やり過ぎのステージ衣装がそれである。どうしてああいう趣味なるのかはわからないが、かなりの確率で目にするのが、まさに田舎の結婚式の貸衣装そのままのような、見る者をギョッとさせるような知性や文化にはおよそ似つかわしくないド派手なだけのドレスである。これでもかといわんばかりの強烈な原色や、いかにも表面的で主張がましい奇抜なデザインの、およそ音楽とはかけ離れた品位のないドレス。素材がまた遠目にもいかにも化繊といわんばかりの安っぽい代物だが、ご当人は至って大真面目で、その場に浮いたようなケバケバしいドレスを嬉しそうにお召しと見える。本来のシックや洗練、演奏者としての見識や文化意識とはほど遠いものだ。
 
 当然ヘアースタイルやメイクにもその感覚は波及し、コンサートという目的に適ったTPOなどどこ吹く風としか思えないものだ。その道のプロの手も入っているようで、今風ということになっているのだろうが、ほとんどキャバクラ感覚としか見えないような仕上げのものが少なくなく、いろんな暑苦しい飾り物なども多用されていて、いったい何のための装いかと思ってしまう。
 あれで当人は夢みるような豪華で素敵な装いのつもりなのかもしれないが、客席から冷めた目で見ればあの手合いはマイナスのため息以外の何物でもないし、どう見ても美しいなどとは思えない。なかには動くたびにきらきら光る粉みたいなものを頭に振りかけている人もいて、悪趣味なだけでなく、演奏中からだが動くたびに絶え間なくキラキラと小さな光が明滅したりするので、じつに目障りかつストレスで仕方がないことまである。
 実際、多く目にする最近のステージ衣装は、昔ならほとんど娼婦の衣装と断じられても仕方がないようなものが多く、およそ堅気の女性、ましてや人前で演奏という行為を行う者──いやしくも芸術家のはしくれが──身につけるようなものとはとうてい思えない。この人達には気品とかエレガンスといった概念や美学は欠落しているのか…。
 
 演奏の如何を云々する前に、この手の出で立ちで登場されると、もうそれだけで気分が滅入ってしまう。「それはあなたの主観だ」といわれたらそれまでだけれども、あの手の服装はまずもってそれを選び、決定する人の知的レベルを相応のものだと感じるのは、どんな説明をされようとも決して覆ることはない。ああいう上っ面の豪華さというものへの無抵抗は、まずもって根底にある泥臭さと貧しさの裏返しのようにしか思えない。軽薄で表面的な豪華さへの憧れが、コンサートのステージ衣装という口実を得て、一気に節操なく噴き出しているようだ。
 あの手の衣装を本気で素敵だと信じている、そのいかにも底の浅いセンスは、その人およびその時間や空間が安っぽくウソっぽく見えてしまうだけだ。せっかくこれから演奏を聴こうというのに、奏者の人柄や教養までもを疑い、日頃の厳しい練習や研鑽のかたわらで、こういう安っぽい衣装選びに心を浮き立たせ、エネルギーを費やしていたのかと思うと、もはやそういう人の演奏にはとても期待などもてないという気分に陥るばかりだ。
 
 要するに今どきの結婚式や、子供の発表会のお人形さんスタイルの延長線上から一歩も出ない感覚なのだろうが、世界の一流とされる女性奏者で、あんな泥臭い歌謡ショーみたいな格好で出てくる人は、マロニエ君はほとんど見たことがなく、日本人(もしくは若干のアジア系奏者)だけの悪しき特徴のようにも思える。
 
 そもそも、ファッションの根幹にある精神的支柱は美意識と思想とTPOであり、自分の個性と目的に対して最も相応しい装いをすることが美しくもあり、そこに自ずと品位も備わり、見る人の目にも心地よく映るはずだ。ただキラキラしたタンスの隅のフランス人形のような、デコレーションケーキみたいな衣装を着ることがステージと聴衆の求めではない。
 
 コンサートの伝統に則り、出演者がフォーマルな装いでステージに挑もうというのはよくわかるし、それがまた聴衆への礼儀だとも言える。男性が敢えて機能的でない燕尾服を着るのもそのためだ。しかし、フォーマルな服装とはほんらい何であるかを考えてもらいたい。アカデミー賞の授賞式のようなお祭りイベントに行くのではなく、あくまでコンサートの舞台で偉大な芸術家の作品を演奏するためのいわば「仕事着」という認識があまりにも欠けているのではないだろうか。演奏家の服装にも一定の文化意識を感じさせるような節度と見識、大げさに言うなら思想を持つことを強く望みたい。
 まさかとは思うが、日本で最も有名な女性ピアニストの驚くべき悪趣味な服装センスが、長い時間をかけて伝染病のように蔓延しているのだろうか。
 
 さらにとどめを刺すのが、コンサートの前半と後半でときどきあるお色直しだ。
 今時こういう言い方をしちゃいけないことはわかっているが、それでも敢えて言わせてもらえば、クラシックのコンサートのような性質の内容、さらにはせいぜい2時間にすぎないステージにもかかわらず、前後でわざわざ衣装を取り替えてファッションショー気分で登場するところをみると、その勘違いたるや悲劇と喜劇をいっぺんに見せられるような気になる。ご当人は得意の絶頂で、そのためにずいぶん前から準備したものなのだろうが、見せられるほうは、いたたまれない気分になってしまう。そして、当人の心中たるや、いかようなものかとあれこれ考えてしまう。おそらくは、ごく単純に自分が主役となり、スポットライトと称賛を浴びて、優越感でご満悦なのだろうとは思うが。
 
 ご当人は自己露出の極みで、大勢の視線の中で見られる快感に酔いしれているのかもしれないが、この手の勘違いはほどほどにしてほしい。お客さんは田舎の結婚式に来たのでもなければ、貸衣装の見本市に来たわけではない。だいいちコンサートのドレスは、芝居の衣装のようにそれ自体が意味のある小道具とは違うのだから、途中でべつのものに取り替えたからといって何の意味もない。もしクラシックのコンサートで奏者が色直しをすることに何か合理的な、もしくは音楽的な理由があるというのなら、ぜひとも教えて欲しいものだ。
 
 そもそも演奏家は、わざわざいうまでもないことだけれども、自分の姿を見せることが本業の女優でもなんでもない。そして、率直に言わせてもらえば見せるに値する容貌を有しているわけでもない。その点においてはあくまでも凡庸なシロウトだという客観的事実をはっきり自覚しなくてはならないはずである。この人達がステージに立つことができる理由は音楽家であり楽器演奏をするからなのであって、ドレス姿の露出会ではないにもかかわらず、その機に乗じて別の勘違いをしてもらっても、誰もありがたくもなんともないのである。大半の人は口に出さずとも心の中で嗤っているはずだが、それがなぜ当事者にはわからないのだろうか。
 ついでながら趣味の問題は横に置くとしても、あまりにデコラティヴなドレスを着込み、過剰なアクセサリーをつけて派手にすればするだけ、そこから出る顔そのものはよりいっそう寂しく見えるという現実があることも当人は考えるべきではないか。昨日まで自宅で庶民的な生活をしていた人が、突然そういう衣装を身につけて着飾っても、それをただちに着こなすことはできないのが当たり前である。
 文化意識というものの第一歩は己を厳しく客観視できるかどうかではないか。とくにそれが厳しく求められるのはステージという半ば公の場に立つ人間であるのはいうまでもない。
 
 これほど独りよがりな自己満足の現場を、痛いような気持で目撃せざるを得ないとき、なにかいいようのない傷みを伴うものが神経の中へ切り込んでくるような感覚に襲われる。そこには本人の勘違いと滑稽と客観性の欠如以外には何一つ見出せず、少なくともマロニエ君はお寒い気分でガクガクと震えるばかりだ。わけても、後半さらに色直しをして、どうだ!とばかりに出てきた日には、もう耐え難いストレスになる。
 まさかそんなドレス姿の自分を見て、観客が賛嘆と羨望のため息でも漏らすとでも思っているとしたら、究極の勘違いというものであるし、これはまさに滑稽の極みと言うべきだろう。それでも、本人は間違ったことをしている認識は毛頭ないのだろうし、非日常の快感に酔いしれているのは否定できないだろう。
 ステージ上で自分の全身が衆目にさらされることに快感を覚えるのだとしたら、その人は早々に音楽などやめて別の道にでも進んだらどうかと思うのだが…。
 
 音楽に限ったことではないが、芸術家はその演奏や作品など、芸術的本分によってのみ自己を表出するのであって、年末の歌番組のような衣装を着込んで人の注目を集めたいのだとしたらあまりにも情けない。だいたいこういうことをやりたがる人はセンスも悪いけれども、教養も知的レベルも決して高いとは言えず、卑俗な自己顕示欲だけが一人歩きしている。
 仮に演奏という道をその人なりに究め、音楽で磨き込んだセンスがあるとしても、それが教養として服装その他にまで応用できるほどのものではないとすれば、音楽自体も概ね大したものではない筈である。この手のドレスアップ趣味、ましてや色直しなどをする人で、演奏は見事だったという場面にはマロニエ君はまず立ち合ったことはない。人の内面は外側に顕れるといわれるように、これもまた同様だろう。
 もし本人にインタビューしたら何と答えるのかは知らないけれど、ひとつのコンサートの前後半で色直しをするような人は、要するに演奏だけでお客さんを満足させる自信がないのだろうとマロニエ君は最終的に思っている。もちろん、そんな人がドレスを途中で着替えたからといって聴いている人達が視覚的な満足を覚えるわけでは絶対にないのだけれども。
 
 ステージ上の出し物には、視覚的な要素を含めて観客を満足させるものもある。オペラやバレエはその最たるものだし、ビジュアルの要素が重要な役割を果たすステージは他にもいろいろあるだろう。しかし、通常のクラシックコンサートでは、演奏・音楽こそが主役であって勘違いのドレスショーではないことは、いまさらだけれどもはっきり申し上げておきたいところである。
 
 少なくともステージに立とうというほどの演奏技術を備え、そのための厳しい研鑽を積んできた御仁なら、それに相応しい見識も身につけて欲しいし、目的に適った出で立ちで演奏行為に及んでいただきたいものだ。