#82.Yoshii9

 過日は、我が家のピアノの主治医である調律師さんがピアノの調整ではなく、純粋にお遊びにいらっしゃいました。こうしてお仕事でなしにお出でいただけることはとても嬉しいことです。
 
 その遊びの主たる目的は、面白いスピーカーがあるから試聴してみてくださいというもので、どんなものがやってくるのやら楽しみでした。
 前触れでは、一切の色がつかない、ありのままの音が出るなかなか面白いスピーカーというだけで、オーディオに疎いマロニエ君には想像もつきませんでした。
 我が家には一通りのオーディオセットは揃っているものの、マロニエ君自身は音楽やピアノは好きでも、まったくオーディオマニアの類ではないので、そこそこの音が出ればそれでじゅうぶんというタイプなのです。したがってオーディオの世界のことはほとんどなにも知らず、もうずいぶん昔に当時そこそこいいものとされたもので買い揃えたきりで、当然この世界の話題も、トレンドも、なにも捉え切れていないのは云うまでもありません。
 
 約束の時間にピンポンが鳴り、ガレージの前まで出迎えにいくと、話の様子ではごく簡単なものかと思っていたら、意外やそれなりに大きな筒状の物体が二つと、道具類が入っているとおぼしき箱が二つ、すでに車から降ろされており、それらが門扉の前に置かれていました。
 
 家の中に運び入れたところ、果たしてその筒状のものがスピーカーだそうで、高さはピアノの高さから判断して優に1mはありそうでした。
 さっそくセッティングとなりましたが、スピーカーの他に小さなアンプまであり、そこにCDプレーヤーやLPのターンテーブルなどを繋ぐというもので、互いを繋ぎ合わせるだけでもちょっとした時間はかかり、さすがにラジカセのようにコンセントに差し込んだらすぐパッと音が出るというものではないようでした。
 
 それにしても不思議なのはその形状で、直径わずか10cm足らずの細長い筒の先端に、カーオーディオ用ぐらいの小さなスピーカーがたったひとつ天井方向に向けてちょこんと取りつけられているだけで、音が出る場所はここだけと知ったときには、思わずエッ?と狐につままれたような気になるものです。そこにどんな魔法が仕掛けられているかはともかくも、この大きさや全体の構成からみても、およそ本格的なスピーカーという分類からは大きく外れた姿形をしており、はてどんなことになるのやらという不思議な状態におかれました。
 
 なにしろこの調律師さんご自身が本物の音にうるさい、きわめて厳しい耳をお持ちの本格派であることから、彼がそこまでいうからには、ある一定の音質はするのだろうという予測はしましたが、もしもこの調律師さんとは無関係の状況で、何の説明も無しにこのスピーカーだけを見せられたなら、申し訳ないけれども到底こんなものでいい音が出るなんて想像すらできなかったと思います。
 
 昔から綿々と続く高級スピーカーの世界ならば、JBLとかタンノイといったブランドを思い浮かべますが、それらはみなむやみに大きくて立派な、ほとんど高級家具のような佇まいであたりを払い、見るからに高音質を予感させるものですが、目の前にあるのはおよそ比較の対象にさえならないくらい小さくて簡素な作りで、今どきはちょっとした電気製品でももう少しは押し出しの効く立派な成りをしているでしょう。
 見た感じは、強いて言うならニトリにでも売っていそうな、安い照明器具か筒状の扇風機あたりといった風情でしかなく、要するにそれほど常識破りな、見るからに頼りない形状だというわけです。
 
 そうこうするうちにセッティングが完了し、いよいよそのスピーカーが音を出す時がきました。
 固唾を呑んで耳を澄ましているところへ流れ出てきた音の第一印象は、音質がどうのこうのという前に響きが非常にやわらかで立体的で、まったくコセコセしたところがないということでした。そして音自体もひじょうに繊細で美しいものであることも追っつけわかりました。少なくともその音の発生の仕方からして、既成概念とはまったくかけ離れたところにあるスピーカーということだけは、聴きながらまず呑み込めました。
 
 高性能スピーカーといえば、普通はもっといかにもパワフルで、聴く者の全身をその秀逸なサウンドで浸してわななくといったイメージがありましたが、まったくそういった類ではない。
 スピーカーから3mぐらい離れたところで聴いていましたが、音がむこうからこっちに向かってくるのではなく、スピーカーのまわりに神々しい泉が湧き出すように音楽が活き活きとその姿をあらわしています。
 
 この感覚は何かに似ていると思ったら、要は生演奏で楽器から出てくる音を直接聴いている、あの感覚だったのです。このとき初めて調律師さんがしきりに言っておられた「指向性がない」ということが如何なるものか実感としてわかりました。
 通常のスピーカーはあっちからこっちへと音が川の水のように流れてくるわけで、聴く側はその流れに相対していなくてはなりません。したがって聴く者もそのスピーカーに対してどこに位置するかが当然の問題になりますし、逆にいうとどこにスピーカーを置くかが非常に重要な要素となるのはこれまでの半ば常識でした。
 
 ところがこのスピーカーはそういう従来のオーディオのルールがまるきり無関係といわんばかりに、なにか超越した場所に端然と存在しているようです。音は実際の演奏からでてくるそれのようにどっち向きと云うことでなく、あるがままに「発生」しているのであって、必ずどのあたりに置かなければいけないとか、どっちを向けなくてはいけない、あるいは必ずこのあたりで聴かなくちゃいけないという縛りがないわけです。
 まるで噴水から水が噴射されるように、あるいは木の枝があらゆる方角に向かって自由に枝葉を伸ばしていくように、音が自然に湧き出てくるに委せています。こちらは専らその音に自分の耳を集中させればいいだけのことで、その音質の良さもさることながら、その音の在り方そのものに心地よさを覚えて、気分まで自然でリラックスして、より純粋に音楽にだけ耳を傾けることができるのが驚きでした。
 
 音における指向性という言葉は何度か耳にする言葉でしたが、それは実際のオーディオではこういうことなのかということを如実に体験し、同時にそれがいかに心地よいものかということも実体験としてわかりました。
 音の方向だけでなく、音それ自体もいかにもピュアなもので、録音現場の空間の中に流れていた音はおそらくこういう音だったに違いないと思わせられるようなものです。まさに音楽がいま目の前で生まれ出るように聞こえてくるのは驚くべきものがありました。それに比べると、従来のスピーカーで聴く演奏は、楽器から出てきた音が録音機材とかオーディオ機器といったものを通過して、その結果ようやくこちらの耳に到達しているという夾雑物がある印象です。
 
 つまり、このスピーカーを聴く前と後では、オーディオの音に対する尺度がガラリと変わってしまい、同時にまったく新しいオーディオの時代が到来したことを悟らされました。
 
 よく物流経路の話で、産地直送とか工場直売といった言葉を聞くことがありますが、このスピーカーの音はまさにそんな感じで、演奏者の生演奏がそっくりそのまま直接自宅に届けられてくるようで、これならば普段の音楽を聴くという喜びがどれだけグレードアップされるかと思われ、同時にますます中途半端なコンサートなどにエネルギーを使って出向く意味がどれほどあるものか、あらためて見直しを迫られるという、一種の危惧さえ感じないではいられません。
 
 実際にこのスピーカーシステムをお持ちくださった調律師さんは、こうして良質の音や音楽に日常的に触れていると、コンサートに行ってもなかなか満足の得られるものでないことが見えてしまって、だんだん足が遠退いたということを仰っていましたが、大いに納得するところでした。
 こんなシステムがなくても、近ごろのマロニエ君などはコンサートに行くことにはいろんな意味で疑問を抱えていましたから、これはますます生のコンサートにとっては脅威的な存在になるかもしれません。
 世の中には生の演奏をほとんど神聖化して、CDで聴く音楽をまがい物のように断じる向きもありますが、マロニエ君などはその手段や形態がなんであれ、いいものはいいわけで、同時に生のコンサートでもほとんど時間の無駄としか思えないような劣悪なものが少なくないとも思っています。
 
 そこへこんなスピーカーを体験した日には、よほどの理由でもなければ家で素晴らしい音楽を好きなだけ聴いていたほうがどれほど有意義かと思ってしまいます。
 似たような状況はテレビにも通じる一面があるようで、デジタル放送の開始とそれを映し出すデジタルテレビの飛躍的な高性能化のおかげで、スポーツ観戦のチケットの売れ行きが鈍ったという話を聞いたことがありました。わざわざ高いチケットを買って時間と労力を使って会場に出向いて、小さな豆粒のような選手の動向を追いかけ回すより、最良最適のアングルで撮影された鮮明無比な映像によって、時間や場所に縛られず自由に楽しむことができるようになり、結果としてよほどの場合でない限りテレビで充分という流れが生まれてきているという話でした。
 
 もちろんコンサートにしろスポーツの試合にしろ、現場でなくては味わえない空気や時間の流れがあることはわかりますが、そうはいっても費やす費用や労力を天秤にかければ、現場の魅力ばかりをそれほど絶対視するわけにもいかなくなるでしょう。
 
 話をスピーカーに戻すと、普通の(といってもマロニエ君の家のものとの比較になりますが)スピーカーとの一番の違いは、やはり響きの立体感と音の柔らかさがもたらすリアル感だったと思います。
 この二つは生の音楽に欠くべからざる要素で、硬さのあるオーディオ的に作られた音というのは、それだけで現実の音とは似て非なるものに変化しているとも云えるでしょう。
 
 なるほどと思ったのは調律師さん曰く、一般的なスピーカーをはじめとするオーディオ機器では、どんなに優れた機器であっても固有の性格や色や表現の特徴というべきものがあるのだそうで、それはオーディオ自体が楽器化していると言い換えることもできるようです。そうすると出てくる音は、音源にある音の忠実な再現と云うよりは、それらの機器の価値観や個性を通過してくることで発生する「脚色された音」ということになり、しかもそれが常に好ましいほうに脚色されるとも限りません。いうなれば音源のもつ音とオーディオのもつ音という二者が織りなす折衷的な音ということにもなるのだろうと思われます。
 
 しかもスピーカーなどは高級品になればなるほど、サイズは巨大化し、コーンはまさに楽器のような威容に満ちたサイズとなります。世界の名だたる一流メーカーのスピーカーは、ほとんどが例外なくこのパターンの製品で、価格もそれに見合った、あるいは不当とも思える高額商品となって、よほど懐に余裕のある好事家しか我がものにしてこれを楽しむことはできません。
 またそのようなスピーカーを鳴らすとなれば、アンプやプレーヤーなどもそれに見合う高級品を揃えるというのが常道で、必然的に価格も桁違いの世界に突入するのは常識ですね。世の中にはオーディオのために家まで建てて、機材だけでも数千万円といった巨費を投じてまで、そこに自らの欲求を満足させる人もあると聞きますが、こうなるとオーディオ趣味は底なし沼に足を取られるごとく、永遠に終わりのない無軌道な道を酔狂に突き進むようにも思われます。
 
 そんなオーディオマニアにこのスピーカーシステムを聴かせると、大半の人達は困惑し、俄には受け容れられないという態度を示すらしく、なかなかその良さを認めようとはしないのだとか。でも、それはそうですよね。このスピーカーの良さを肯定することは、下手をすればこれまで自分がやってきたことを全否定することにも繋がりかねないのだそうですから。人間にとって自分を否定することほど辛く不本意なことはありませんから。
 
 大事なことを言い忘れていましたが、このスピーカーは「Yoshii9」というもので、由井啓之氏という音響エンジニアの作だそうで、TIMEDOMAINという会社から発売されています。ネットなどで見てみると、この分野でかなりうるさい人達からも一定の評価を得ているようで、相当に評判が高いことは間違いないようです。
 価格は消費税込みの315,000円で、絶対額としては決して安いものとは思いませんし、とりわけ思いつきで購入するにはちょっと二の足を踏む価格です。しかし、よくある高級オーディオのほとんどナンセンスとも思える数字から見れば桁違いにお安く、圧倒的に現実的な数字です。この価格ならよほどのマニアでなくても、その気になれば購入可能な範囲の価格であるというところが、なんとも上手い具合に設定されているんだなあと思ってしまいます。
 
 それと、普通は良いスピーカーを買った場合、それに見合った性能のアンプやプレーヤーを取り揃えなくてはいけないという問題が附随するものですが、このYoshii9の場合はこの点にもぬかりはなく、手の平に載るような小さなウミガメみたいなアンプがセットになっていて、あとはそこへCDなりLPなりiPodなり、自分の好きな機器を繋げばいいだけなので、このあたりも実になんとも現実的で、その簡単さもますます購買意欲をそそられる点です。
 
 CDプレーヤーとして調律師さんが持ってこられたのは、これがまたどこにでもありそうなソニーのウォークマン風のポータブルCDプレーヤー(7000円ぐらいの由)でしたが、曰くこれで充分なのだそうで、正確にいうならむしろこういうプレーヤーのほうが好ましいというのには重ね重ね呆れました。
 呆れついでにもうひとつ書いておくと、スピーカーやアンプなどを繋ぐケーブルですが、これもオーディオの常識ではさも高そうな太い専用ケーブルがありますが、あれも由井氏に云わせると逆にダメなんだそうで、見るとどれもパソコンのACアダプターについているコード並みにひょろひょろと細いものばかりで、ここにも設計者の豊富な経験と深い思慮が息づいているようでした。
 
 かくのごとく、従来の高級品や高性能ツールの面子を片っ端から叩き潰していくような成り立ちであるにもかかわらず、実際にその美しく気品に満ちた清澄な音を、まぎれもなく自分の耳で聴いているわけで、ちょっと頭が混乱してくるようでした。どこを見渡しても高級だの最上級だのといった世界のものはなく、見た目も至って簡素な筒状のスピーカーが頼りなくぽつねんと置かれており、アンプもプレーヤーもポータブル並の物ばかり。然るに出てくる音はなんとも形容しがたい艶めかしくも気品のあるもので、今そこで演奏しているようなリアルさに肉薄するもの。これは実に困ったものを教えていただいたと思いながらも、マロニエ君もいつかはぜひとも手に入れたいもんだと思っているのは言うまでもありません。
 
 ひとしきりこのスピーカーの音を聞いた後、時を変えて我が家のオーディオを聴いてみると、とくに悪い音とは思いませんでしたが、音が向こうからこっちに来るという特性自体が、妙に鬱陶しい、押しつけがましい、そして古臭いもののような気がしてしまいました。
 
 音楽は、向こうから一方的に向かってくるのを風のように浴びるのではなく、美しく鳴り響く空間に同席するようにして聴くほうが好ましいと、ことさら思うようになりました。