#89.ディアパソン210E(5)

 ある方から、下記のようなメールをいただきました。
 
 『はじめまして。マロニエ様の面白く興味深い記事を読ませていただき、メールしてます。私はマロニエ様ほどピアノは弾けませんが、いまグランドピアノが欲しくて探しているところです。私もディアパソンの210か211がいいなと思っていますが、その後マロニエ様のディアパソンはいかが でしょうか?
 ディアパソンの183でも悪くはなく、ヤマハやカワイよりはとても気に入りました。先日210を弾いて183よりとても素直で、ピアノが歌ってる感じがしました。オーバーホール後のご様子、また更新して下さい。楽しみにしてます。それでは。』
 

 ディアパソンについては、もうすでに何度か書いているので一応の区切 りとしているつもりでしたが、このメールへの返信を兼ねて、直接メールの回答になるかどうかわかりませんが、いま思うところを書いてみたいと思います。
 
 まず結論から先にいいますと、ディアパソンはこの価格帯の日本製ピアノとしては稀に見る名器だと改めて思うと同時に、他の大手メーカーのピアノとは比較することそのものが無意味では?と感じるほど、明瞭な個性を持っていると思います。
 とりわけオオハシデザインの3機種については、「ピアノとはかくあるべし」という設計者の理念がひしひしと伝わり、弾いていてまさにピアノと、さらには設計者と対話しているような気にさせられるのは他の量産ピアノではちょっと経験できない最大の要素だろうと思います。
 
 Y社K社のピアノは、もちろん素晴らしいものだと思いますし、価格に対する機械的品質という点ではおそらく世界一だと位置付けることも可能でしょう。マロニエ君はこれらの点を努々否定するものではありませんが、もしY社K社のようなピアノが心底好きな人、あるいはピアノ(の弾き心地や音の出方)とはこういうものだという感覚が染み込んだ人の場合、ディアパソンの評価は大きく二分されるだろうと思います。
 それはピアノが発してくる個性や価値がまったく異なるし、Y社K社のピアノにはないであろう欠点(と捉えるかどうかはともかく)も抱え持っているからです。
 
 ただ、Y社K社のピアノを好きだという人の中には、音やタッチや楽器の特性に拘りと云うよりは、どちらかというとピアノというものに対する漠然とした普遍性、定評、安心感、大メーカーならではのブランド性などを期待している場合も少なくないようで、さまざまなピアノに触れてみて、本当に自分がピアノに求める要素が何であるかが確立されないまま、無難な選択という点からこれらにされてしまう場合も少なくないだろうと思います。
 とくにピアノの個性に開眼していない時期は、技術者や先生の意見に従順になりますし、そこでディアパソンを勧めてくるということはまずないでしょうから、いよいよディアパソンは異端児の位置付けになるわけです。
 
 スポーツジムの器機ではありませんが、ピアノを楽器と云うよりは一種の訓練用具と捉えて、音大のピアノ科などを目指した猛練習、あるいは入学後もひたすら酷使に供する強靱さが第一というのであれば、Y社K社のピアノはうってつけかもしれませんが、本当を云えばそのような場合にでも、そういう価値基準が本当に正しいのかといわれれば、マロニエ君は必ずしもそうとは思いませんし、ディアパソンが酷使に耐えられないひ弱なピアノだとも思いません。
 
 マロニエ君個人の好みや私見だけで云うなら、ディアパソンはその価格から想像するところを大幅に上回るほどの素晴らしいピアノだと断言します。とくに素晴らしいのは、大橋氏設計のグランドは「楽器である」という点で、これは「芸術品である」という道に通じるものです。個性や癖もあるけれど、好きな人にとってはとにかく弾いていて楽しいし、弾き手の気分をいつも新鮮にしてくれ、真に心地よい愉悦で満たしてくれます。ピアノの音とは本来こういうものだろうなと思わせるような実直で太い音が、こちらの弾き方に応じてさまざまに表情を変えながら反応してくる点は、ちょっと代え難いものを感じますし、弾くたびにある種の高揚感さえ感じてしまいます。ちょっと触れないでいると弾きたくてウズウズしてくると同時に、弾くときには音楽に対する姿勢を正されるところのあるのもディアパソンの不思議です。
 
 こういうことは、少なくとも大手メーカーの量産ピアノというカテゴリーにあるピアノでは、マロニエ君の経験した限りに於いては、まずありません。Y社K社のピアノの中には、こだわりの技術者による入念な調整によってハッとするほど美しい音を出すまでに仕上げられた個体があることももちろん知っています。しかし、率直に云うときれいだけどあとに何も残らない。ただきれいというだけで、そこに音楽の深い部分に結びつく何かの力が介在することなく終わってしまう印象です。
 
 当たり前のことですが、「いかなるピアノも管理次第・調整次第・技術者次第」というのは動かせない鉄則ですが、だからといってピアノが生まれ持った性格や器はどんなに調整を尽くそうとも変えられません。それは設計と、素材と、組立によって決まってしまうことで、これを後から技術者の調整によって変えることは不可能です。Y社K社のピアノもディアパソンも、持てる能力から最大限の美しさを引き出すのは技術者の仕事ですが、そのピアノの根底に在るものや性格を変えることまではできませんから、その根底にあるものが相容れないとなればそれ以上の手立てはないわけですから、ここの見極めは大事です。
 
 では、ディアパソンの根底にあるものは何かというと、まずその音には設計者の理念があり、楽器としての尊厳を感じます。音には太さと清涼感があって美しく、しかも純粋な飾らない清々しさみたいなものを感じるのです。しかもその美しさを十全に引き出すには自分の弾き方にも大きく依存された部分が残されていて、弾き手もピアノの美しい響きを作り出すために貢献するよう責任の一端が科せられています。少しでも気持をおろそかにすると、たちまち音は荒れ、響きのバランスが崩壊するのは、ピアノを弾いているのにどこか弦楽器を奏しているような気分になることしばしばです。
 常に心すべきは、その音色の保持、響きやデュナーミクに対する注意深さで、絶えず自分の出す音をよく聴くという必要が生じます。自分の出す音をよく聴くということは、つまるところ音と音楽がマッチしているかということの点検の連続でもあり、これが必然的に音楽にも注意を払うことに繋がります。
 良いピアノは表現力の幅が大きく、タッチに関する微妙な違いに即座に反応するので、下手な弾き方をするとたちまちそれが音として現れ、今の弾き方はよくなかったということが如実に認識できます。曲や曲想にそぐわない音が出るとピアノと作品の両方から拒絶されたようで、だからこそより音楽の求めに沿った演奏をするようになり、この点がディアパソンが楽しさと同時に弾く者の音楽性をごく自然に鍛えてくれるピアノだとマロニエ君が考えているところです。いや、逆に、そういう意識を常に喚起させられる点そのものが楽しいのかもしれません。
 
 ディアパソンは食べ物に喩えるなら、とくに高級でもないけれども老舗の味で、代々受け継がれた流儀で、ちゃんとダシをとるところから順を追って省略なしに作られた料理。対して大手メーカーのピアノはチームで開発した科学の裏付けのある華やかなご馳走のようで、必要とあらば何万食でも同じものが準備可能な料理のような気がします。
 
 こう云うと、ディアパソンとはいっても初期のもの以外はカワイの工場で量産された量産品に過ぎないということを仰る向きもあるでしょうが、実際のピアノはカワイとは似ても似つかぬ、なんの共通点も持たないピアノであることに寧ろ驚きを感じてしまいます。ボストンがやはり機構的にカワイピアノと何一つ(グランドの足やペダルは共通のようですが)通じるものがないのと同じようなものを感じますし、そういう意味ではカワイ楽器というのはつくづくユニークな会社だとも思います。
 
 よくピアノの価格の構成要素とは、つまるところ設計費と材料費と人件費(今はさらに設備費?)の集合体だといわれます。アジア生産の劣悪なピアノなどは、この3つがいずれもずさんですし、逆にヨーロッパの高級品はいずれも手間ひまを惜しまぬ労作であり逸品ですから、あのような価格になるのだと思います。
 
 その点で云うと、ディアパソンは設計はすでに大橋幡岩氏が創り上げていたものをカワイが引き継いで製造されますが、根本の設計から支柱の組み方まで、カワイから流用できるものはどうでもいいようなパーツ以外はほとんどなかった筈です。
 また価格の点から云っても、ディアパソンに使われた材料がとくに高級だったとも考えられませんし、作り込みや出荷調整もどれ程のことがなされたか非常に疑わしい限りです。その点だけでいうなら、現在は伝説の職人である乗松さんなどが誇りをもって入念な調整をやっておられるような話も聞きますから、却ってこの分野は向上しているのかもしれませんが、詳しいことはよくはわかりません。
 
 ただ、マロニエ君に云わせると、やはり大橋氏の設計によるディアパソンは基本というか、生来持っているものがとにかく素晴らしく、とりわけマロニエ君の好みに合うピアノだということを痛感しています。おそらく大橋氏の確かな設計は、カワイでの製作に引き継がれても充分に耐え得るだけの揺るぎないものがあったのだろうと思います。スーパーの材料でも、目も醒めるようなご馳走を作れる鉄人レシピといったところでしょうか。
 
 もちろん材料や作り込みにコストを惜しまなければ、それに越したことはありませんが、逆にどんなに材料が良く念入りに作られても、肝心の設計が悪かったらピアノはどうしようもありません。現在のスタインウェイが素材等のコストダウンの波を被っても、尚スタインウェイの地位を維持できているのは、やはりその秀逸な設計に拠るところが大きいと思われます。
 
 スタインウェイといえば、その普及ブランドであるボストンもカワイの工場製ですが、これも一流の技術者の手にかかると望外の能力を発揮すると云われていますから、やはりピアノに於いては設計というものは動かし難い個性と能力をまちがいなく決定してしまうことを思わずにはいられません。
 
 マロニエ君のディアパソンに話を移すと、その音は週単位で熟成されたものへと変化して、最近ようやく安定期に入った感じです。いまではベヒシュタインに迫ると云えばその親バカ加減に笑われそうですが、でも、それぐらいの太くて透明感のある「ああ、いかにもピアノの音だ!」と思えるような澄んだ音が出るようになりました。また、ディアパソンが楽器らしいと思える点は、弾いているとピアノ全体がわななくように小刻みに振動していて、奏者の耳はもちろん、手と足にもそれを感じて、その感触には思わず陶然となってしまうことしばしばです。本当に弦が鳴り、駒から響板へとその振動が伝わって、ピアノの音へと還元されていることを身体で実感として感じることのできるピアノです。
 
 実を云うと、ながらく使っていたカワイのGS-50も手放すことなく、別の場所に置いてはいるのですが、そこそこ気に入っていたはずなのに、最近ではまるで興味が消え失せ、触ってみようと云う気も起きないほど、マロニエ君にとっては魅力が失われてしまったことも告白しなくてはなりません。
 
 そればかりか、練習嫌いといいますか、ピアノは好きでもそれほど毎日弾きまくるというタイプではなかったマロニエ君ですが、ディアパソンがやってきて、さらには日々その音がよくなるにつれ、毎日弾きたくてうずうずしてしまうのは自分でもびっくりです。
 
 ディアパソンはタッチコントロールを要求するピアノだといわれますが、それはまったくその通りです。美しい音を出すためには管弦楽器のような美しい音の出るスポットを探らなくてはなりませんし、なにより音楽的な気分をもって弾かなくてはいけません。雑なタッチをすればすぐにそれがバレてしまいますから、そういう意味ではまったく油断ができないし、同時に乱暴と云っては語弊がありますが、曲によっては、むしろ衝撃音を必要とするということも、とくにベートーヴェンなどでは珍しくありませんが、そういうときにはそういう気分で弾いてみると、まさにそんな荒々しい表現になってくれる表現力は驚くばかりです。
 
 誤解を恐れずにいうと、楽器はどんな弾き方をしても美しい音が出ることが必ずしもいいこととは思えませんし、やはり美しい音や響きというものは演奏する人がそのつど丹念に作っていくものだと思います。また、そうでなくては生の楽器を楽しむ意味も半減するわけで、電子ピアノの限界というものもそのあたりにあるのかもしれません。
 
 電子ピアノという言葉が出たついでに云うなら、ディアパソンの音は現代的ではないけれども、美しい色彩感と透明感があり、発音は鮮烈でエッジの立ったくっきりした音ですが、にもかかわらず決してキンキンした耳や脳が疲れるような音でないのは、やはり昔ながらのアコースティックピアノだけが出し得る楽器の音だからだと思います。こういう音は、どの電子ピアノからも類似の音はまず聞かれることのないものだろうと思います。
 
 その点でディアパソンは、清濁両面の音が出る表現力にあふれた「楽器」であって、決して単なるピアノの音発生装置ではないようです。美しい音が中核を成すのは当然としても、必要とあらばそうでない音も出せなくては本当の楽器とはいえないと思います。それは美醜というものは常に相対する関係にあるからかもしれません。
 
 また、優れた楽器ほど、その特性に合わせた奏法というものがあって、人と楽器とが互いに依存し合う関係にあることが本来の姿であるということを、いまさらのように再認識するようになったのも今回のディアパソンに毎日接するようになってからのことで、いろいろなことを与えたり提起したりしてくれるという点でも、このピアノはマロニエ君にとっては予想以上に大きな存在であり、もはや先生のような存在といえるかもしれません。
 
 …気が付けば、マロニエ君のディアパソンに対する印象を縷々述べただけの駄文になりましたが、とにかく日本のピアノの中にあって、少なくとも量産ピアノとして少数ながらも生産が続けられているブランドとしては、まったく個性的なブランドだと云って間違いないと思います。とりわけこのピアノの直接の生みの親である大橋幡岩氏の設計による、
170、183、210の3機種にはその血脈がダイレクトに受け継がれていましたが、現在その直接的なDNAを受け継ぐモデルは183を残すのみとなってしまっているのはまったく残念とい
う他はありません。
 
 とりわけグランドピアノの最高バランスとされる210/211サイズでは何年も前に「Ohhashi Design」は消滅。その後このサイズのグランドは一応ディアパソンを名乗ってはいるものの、実体はカワイのRX-6ベースとしたデュープレックススケールをもつモデルに取って代わり、メーカーに確認を取ったところ、ボディや響板はカワイとすべて同一とのことでした。ディアパソンとしての差異は、現在も木のアクションであることや、出荷調整は工場内のディアパソンエリアで行われるなど、RX-6とのいちおうの差別化はあるにしても、これはいわば他家から養子に入ってその名を名乗っているお婿さんのようなもので、一族の血を受け継ぐモデルとは、どう贔屓目に解釈しても云えないものになりました。
 
 冒頭のメールをくださった方とは、その後数回のメールの往復や電話などでも連絡を取り合うまでになりました。マロニエ君としてはディアパソンは心底気に入っているピアノではありますが、それはあくまでも個人的なものであって、他者にとってどうかとなれば話はまったく別です。なにしろ現代の標準的なY社K社のピアノとはいろんな意味でずいぶん違うピアノですから、軽々にお勧めすることは厳に慎みました。趣味のピアノ選びばかりは理屈ではなく、要は自分の感性に合ったものでなければ買って傍に置いて弾いて楽しむ意味がまったくありません。
 感覚的にもY社K社のピアノを好む方も大勢おられると思いますし、そちらのほうが大多数だろうとも思います。そんな人が他人からの受け売りでディアパソンの古いモデルを購入して後悔するようなことにでもなれば、それこそ取り返しがつきません。
 
 しかし、聞けばこの方はすでに購入を念頭において驚くほどの数のピアノを弾いて回られておられるようで、その数多い体験の結果、やはりご自分にはディアパソン以外に求めるピアノはないというところまで行き着かれたのだそうです。しかも聞いてみれば、ピアノの他にヴァイオリンも弾かれるとのことで、やはり楽器としての響きや音色に関してはピアノだけに触れてきた方とは違ったこだわりがおありのようで、その方の耳にはディアパソンだけが最後まで残るピアノだったというお話で、こういう方にはディアパソンはうってつけだと思います。
 
 マロニエ君の知り合いにもディアパソンのグランドをお使いの方が何人かいらっしゃいますが、みなさん共通しているのは、ご自分のピアノをとても気に入って弾いておられ、他のメーカーにはあまり関心がないという印象があります。
 誰にでもというわけにはいかないものの、その音や個性に魅力を感じられる方ならば、ディアパソンはきっとかけがえのないピアノになること請け合いです。ただし困ったことには、このピアノの場合、実物に触れる機会がほとんどないので、必然的にその魅力にも接することがないままになってしまうことがほとんどと云うところでしょうか。
 
 オオハシモデルの中でも、大型の210/211は本当に欲しい方はあるときに買っておかないと、もともとの生産台数が少ない上、すでに生産中止から久しく、入手はますます困難になると思われます。現にこのメールをくださった方によれば、メーカーの方も同様のことを言ってお られたとのことでした。
 それでも一般的な人気という点ではY社K社のピアノより低いため、価格もそのぶんやや安めであることは、これから購入しようという人には自分の欲しい稀少性の高いピアノが安く買えるという点でありがたいことです。
 
 ディアパソンはベヒシュタインに倣って、ドビュッシーなどがふさわしいという定説がありますが、マロニエ君のまったく独断で云うならば、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト等が得意なのは云うに及ばず、同時にショパンも美しくたおやかに奏でてくれるのは大したものだと素直に思います。
 ショパンの名手で一時代を築き上げたコルトーが演奏会や録音に使ったのは、大半が戦前のプレイエルでしたが、どこかしらそれにも通じる雰囲気さえ持っているのは驚くほかはありません。もちろんプレイエルのあの独特な軽さはないけれども、なかなかの雰囲気があると思います。もし、小さめのハンマーに取り替えて、より明るめの整音と調律をしてもらえば、あるいはフランスピアノのようなニュアンスも出てくるような、そんな気配さえ感じます。
 
 超高級品の世界は別として、少なくともこの価格帯で、これほどピアノを弾いているという実感と喜びに包まれ、拙い自分の演奏でも、それに酔いしれることができるピアノなんて、そうそうないのは確かだと思います。
 しかし、技術者さんサイドから見れば、Y社K社の高い製品力や作業性の良さに慣れていて、そこに魅力を感じる方などは、ディアパソンなど歯牙にもかけない方もいらっしゃるようです。また、購入される方も、電子ピアノからスタートして生ピアノに移行されるような場合は、やはりY社K社の新しいもののほうが違和感がないかもしれず、それはそれでわかるような気もします。
 
 まあ、いろいろ云っているとキリがありませんが、とにかくディアパソンはいったんハマるとかなり魅力的なピアノで、楽器としてこれほどのコストパフォーマンスの高いピアノをマロニエ君は他に知りません。
 
 最後にどう贔屓目に見ても覆らないディアパソンの欠点をひとつ。
 それはペタッと平面的なペダルで、足が僅かながら痛くなってしまいます。これだけはY社K社のように垂直方向にも丸みをもったペダルの方が絶対に使いやすいと思いますので、いつの日か、可能であれば取り替えたいものだと思っていますが、互換性がないようなら諦めるよりありません。