#9.調律師の悲哀

 世にいう調律師。正しくはピアノ技術者。
 この仕事こそピアノの健康を整え、病気を治療し、新たな生命を吹き込むピアノの主治医である。時に整体師となり時に外科医にもなる。この調律師の技術があってはじめてピアノは時を経ても尚ピアノでいられる。ところが、実際の現場にあってはさまざまな制約や無理解が多いらしい。まずその元凶のひとつに、依頼者サイドのこの仕事に対する無知がある。
 例えば、一般的にはピアノ本体は高いお金を出して買っても、その維持管理にはなかなかお金はかけない。日本人は全般的に信頼性が高い故障しない商品というものに慣れていて、ピアノも無意識のうちにそちらに分類されているのではないかと思うがどうだろう。楽器には絶えず管理や手入れが不可欠で、ピアノを所有するということは、折々に手入れもしていく事だという単純素朴な事実をまず知らない。必要なのはメーカーの定めた年に一回の調律だけで、それ以外にやらなければならない多くの整備や調整項目があるなどとは、大半の人はまず思ってもいないだろう。

 そもそも調律師という言葉が良くない。この職種名称によって仕事の内容は「調律」という一点にあっけなく規定されてしまった。ある調律師が言った言葉だが「我々の仕事は“調律”以外ではまず金が取れない。状態がひどくてやむをえず調整や修理に何時間かけても、客はそれを有料の仕事とはなかなか見てくれない。調律は有料でもそれ以外はサービスという観念が根深くあるから、調律代以外の請求をするのはなかなか難しい。下手に請求してマイナスイメージを持たれては、以降仕事が来なくなる恐れがあるような気がして、泣く泣くサービスにしてしまうこともある。」というような、なんとも気の毒な、笑うに笑えぬ嘆きを聞いたことがある。

 あらためて言うまでもないことだが、ピアノの内部は大半が消耗品の集合体である。それでも他の一般的な機械類に比べたら耐用年数はかなり高い方だと思うが、それでも消耗品は必ず消耗する。どんなに適切に調整されたものでも、弾いていれば必ず音やタッチは狂ってくるし、変化してくる。
 ところが、一般的なピアノユーザーはそのあたりがまずわかっていない。「ピアノの寿命」ということに対しても、日頃の管理やメンテによって良い状態を維持しながら、少しでも長持ちさせるという知識も考えもないために、ピアノが古くなれば要するにモノがダメになるわけだから、廃棄するか買い換えるしかないという発想である。逆にいえば、ダメにならない限りはピアノは半永久的にピアノの機能を有しているものと思うようで、やはりユーザーは調律だけしていればいいと思っている。

 これには実はメーカーにも責任の一端があって、へたに手入れを勧めて寿命を延ばすよりは、適当な期間をおいて買い換え需要が見込めることの方がいいというのが本音だから、専門家の言いなりのユーザーはいつまで経っても正しい知識やそれに基づく自分の考えとか価値観を持つには到らない。
 このような背景のもと、無知なユーザーはできれば調律なんてお金のかかることさえもしたくないので、それ以外のことはサービスで当然と言った感覚である。調律師の職業人としての苦悩も尽きないわけだ。

 ところが中には調律師のほうにもひどいのがいて、ユーザーの無知を良いことに、必要箇所の修理・調整で難なく事足りるピアノを、少々のことでは復活する見込みのない酷いポンコツのように言いつのる。修理代のほうが高くつきますよというような殺し文句を巧みに使い、ユーザーの心理を操ってまんまと買い換えへともっていく、いわば「調律師の顔をした営業マン」の類も多くいると聞く。
 だが、ひどいのはそういう調律師だけでもない。ユーザーの中にはピアノはほとんどほったらかしで、内部はサビとカビのオンパレード、ひどいときにはピアノ自体がネズミの巣になっていたりで、調律師が自分本来の仕事などとてもできないようなピアノも少なからずあるというから、そんな客は買い換えを勧められても仕方ないような気もする。どっちもどっちというところか。

 そういう場合はともかくとしても、誠実な調律師にしてみても、決められた料金と時間の中でいかにして良心的な仕事をするかという選択の問題があり、必然的に妥協的な仕事にならざるを得ない場合が多いといえる。だからとてもやりにくい仕事ではあるけれど、それでも時間=料金をあまりにドライに割り切る人だと、やはりいい仕事ができる筈はない。そこは誠実な仕事の積み重ねによって客の信用を得て、少しずつピアノのメンテの必要性や、それには料金がかかることを説いて、理解させないことには道はないという気がする。
 技術はあっても、それをプロとして思う存分発揮できるフィールドが乏しいというのは、とても辛いことだと思うが、だからそこに下手な調律師が入り込む余地もあるということかもしれない。